池谷裕二の名言

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池谷裕二のプロフィール

池谷裕二、いけがや・ゆうじ。日本の薬学博士、脳科学者。専門は薬理学、神経科学。海馬、大脳皮質を研究する。静岡県生まれ。東京大学大学院薬学系研究科で薬学博士号を取得。コロンビア大学客員研究員を経て、東京大学大学院薬学系研究科講師。脳の研究を一般にわかりやすく紹介する著書を数多く出版している。主な著書に『進化しすぎた脳』『海馬』『単純な脳、複雑な「私」』など

いまの状況はずっと続くのではなく、いずれ終わると考えておくと、いざ変化が訪れたときに、固執することがなくなります。


発想は料理のようなものです。料理は未知の食材をつくり出すものではなく、すでにある食材を巧みに組み合わせるもの。発想するということはそれに近いのです。


大人に適しているのは、自分の体験を情報と関連付けて覚える経験記憶です。最も簡単なのは人に話すことでしょう。単独では覚えにくい知識も、あのときあの人にこう説明したという経験と結びつければ、比較的容易に覚えられると思います。


入力の仕方は関係なく、出力する機会が多い方が記憶は定着すると考えられます。人に話すという行為は、まさに出力そのものです。覚えたい知識があれば、資料を何度も読み返すより、それを職場で話してみるとよいでしょう。その方が、ずっと記憶として定着します。


直感のもとになるのは「方法記憶」です。自転車に乗るときは体中の筋肉を使いますが、あまりに動きが複雑で、それを意識するのは困難です。しかし、実際は方法記憶として無意識の脳が記憶しているため、筋肉の動きを意識しなくても自転車に乗れます。直感もこれと同じで、意識はできなくても、無意識の脳が膨大な処理をして答えを導いてくれるのです。直感は、経験を積めば積むほど精度が増します。なんとなく浮かんだアイデアを上手く説明できずに窮することもあるかもしれませんが、キャリアを積んだビジネスマンなら選択に自信を持つべきです。


理由を説明できない直感とは異なり、思いついたあとに理由が説明できる考えを閃きといいます。閃きを生むには睡眠中の無意識の脳に考えてもらうのが最も効果的だと私は考えています。夜眠る前には、情報をインプットすると同時に、課題を再確認することです。私は毎日これを実行しています。


就寝前は、脳に睡眠中の課題を与える時間帯です。眠る直前まで仕事の資料や本などに目を通して、無意識の脳に仕事をさせるための情報を入力するとよいでしょう。


早く勉強の成果を出そうと最初から高度なところに挑戦する人がいますが、あれは逆効果です。脳科学者がサルに複雑な行動を学習させるとき、すべてを一度に教えることはありません。「届かない位置にあるエサを長い棒を使って取る」という行動を覚えさせる場合は、まず「棒を使えばエサが取れる」ことを学習させてから、「短い棒より長い棒の方が届きやすい」ことを教えます。基礎から徐々に難易度をあげていく方法は、一度に複雑なことを覚えるより最終的に早く多くのことを習得できることがわかっています。


もの覚えが悪くなったことを、脳の衰えのせいにするのは間違いです。年齢とともに新しいことを記憶しづらくなっているのは、たんに年不相応な記憶のやり方をしていることが原因でしょう。中学生ぐらいまでは知識記憶が優勢で、丸暗記をしてもどんどん頭に入ります。しかし、それ以上の年齢になると、経験記憶が上回り、丸暗記が難しくなります。にもかかわらず若いころと同じ記憶のやり方をしているから、新しいことが覚えられないのです。


忘れていたはずの記憶も、復習を繰り返すことで定着率が上がります。昔からよく言われることですが、やはり勉強はコツコツが基本です。短期的に結果を求めず、長い目で考えることがモチベーション維持につながるはずです。


すぐに学習の成果が出ないからといって、次のステップに進むのも厳禁です。記憶の半分は、覚えてから4時間以内に消えてしまいます。そこに追加して新しいことを覚えようとすると、記憶の干渉という現象が起こり、前の記憶はさらに忘れやすくなり、新しいことも記憶しづらくなります。焦って次に進むより、まずは復習です。


欲張りな学習はむしろ非効率です。焦らず基礎から順に学んでいった方が、じつはずっと早く目標を達成できるのです。たしかに最初に基礎を習得するのに時間はかかりますが、基礎を覚えると、その理論を応用して次の段階を容易に覚えられるようになります。


ルーティン化は、慌ただしい朝を過ごす人ほど効果的です。脳には「ワーキングメモリ」という短期的な記憶を処理するメモリがあります。ワーキングメモリは意外に容量が少なく、一度に意識できることは7つ程度が限界だといわれています。一方、無意識の記憶に制限はなく、無意識の領域に仕事をさせれば、より多くのことが同時並行で処理できます。この性質を利用しないのはもったいない。毎日やるようなこまごまとした仕事は、ルーティン化することで脳の無意識に任せてしまいましょう。


仕事や勉強で期待通りの成果が出ないと、努力を続けることが虚しくなるものです。しかし、そこで諦めてしまうと成長も止まります。思うような成果が上がらない人は、まず勉強法を見直すことから始めてみましょう。


朝出社して、今日はどの作業から取りかかろうかと考えているようでは、仕事は思うようにはかどりません。大切なのは、意識に立ちあがらないレベルまで習慣化してしまうことです。たとえば「まずメールチェックをして、次は予定表を書く」というように、やる作業を固定して毎日繰り返せば、いずれ苦も無くこなせるようになります。


受験生のころ、「必勝合格」と壁に貼って自分を励ましていた人はいないでしょうか。泥臭い印象があるのか、最近は以前ほど見かけなくなった気がします。しかし、精神論だといって馬鹿にしてはいけません。紙に書いて自分にハッパをかけるのは実は理にかなったやり方なのです。無意識に脳にメッセージが届き、やる気をかきたててくれるのです。


ルーティン化には、無意識の記憶を司る線条体や小脳が関与していると考えられます。毎日の習慣にすれば、朝のこまごまとした身支度が苦にならなくなるのも、無意識が勝手にやってくれるからです。ルーティン化は、面倒なことをやるのに非常に強力な方法なのです。


仕事に集中したいが、どうにも気が散って進まないという経験は誰しもあるものです。ただ、動物としては、むしろ集中力が高い方が不自然な状態だといえます。野生の動物は、常に周囲に気を配って危険を察知します。人間も同じで、何かに集中して道を歩いていたら、事故に遭う確率が高まります。この脳の性質に抗って集中力を高めるには、よそ見できないように意識して強制的に視野を狭めるしかありません。


子供のころ、毎朝、歯を磨くことを面倒に感じたことがある人は多いと思います。しかし、大人になって歯磨きを嫌がる人はほとんどいません。むしろ、磨かないと気持ち悪いという人の方が多いはずです。これは、歯磨きという行為がルーティンワーク化されたからです。


眠っているときは直前にやっていたことが最も再現されやすいので、僕は寝る前にもう一仕事するようにしています。眠っている間に脳が勝手に動いてくれることを期待しているんですよ。


眠る前に次の日の仕事をリストアップしておくことで、寝ている間に情報が整理、固定されると考えていいでしょう。浅い眠りのときに、脳が無意識のうちに情報として保存するのだと思います。


強く念じれば、その通りに体が動くことをイデオモーター(観念運動)と呼んでいます。これは無意識の作用。夢や目標を手帳に書き出し、机の前に貼って眺めると、脳が自然と準備を始める。そういうことも十分考えられるのではないでしょうか。


脳のワーキングメモリーは7つくらいなので、やるべきことが8つ以上あると、脳が全部を覚えられずに、「ものすごく忙しい」と勘違いをはじめるのではないでしょうか。でもよく考えると、8つ程度なら大したことはない。書き出すことで、それがわかって安心します。また、情報も整理され、気分が楽になるのだと思います。


いいアイデアが思いつくのは、パソコンの画面をにらんでいる時ではありません。仕事の合間に、ちょっと席を立ったり、トイレに行った瞬間、フッとひらめくことが多い。歩く、場所を変える、ということが重要でそういうときには、脳の海馬周辺からシータ波という脳波が出ると考えられます。シータ波が強くなるのは、外部の情報を収集しようという意識的検索モードのときなんです。


人と会うことで揺らぎが生まれ、脳が刺激される。そもそも人間は社会性の強い動物です。初対面の会話では、声や表情などいろんな情報が入るため、脳がより刺激されるのではないでしょうか。


空腹のときに、海馬をはじめとした脳が活性化するため、仕事効率が高まるのではないでしょうか。自然界を見ても、昼間活動する動物は、朝と夕方に活発に動き、満腹になった午後はのんびいりとしている。ライオンだって朝と夕方しか狩りをしない。人間も同じだと思いますよ。


ルーティンワーク化するということは、無意識化するということ。無意識の記憶を司る線条体が関与していると考えられます。繰り返すことで体が覚える。無意識だから苦にならない。そういう状態を一般的には「集中している」と呼んでいるのです。集中しているときは時間を忘れて没頭しているでしょう?こういうときの脳は、動物的なシンプルな使い方をしていて、大脳皮質に前頭葉が麻痺している状態だと考えられます。時間感覚だけでなく、おそらく、喜怒哀楽や損得勘定も消えているのではないでしょうか。


人間は脳から変わらない。体からしか変えられないと私は考えます。脳は体に引っ張られる形で活性化される。作業興奮のメカニズムはまさにそれです。


人間は「エラー&コレクト」、すなわち自分のクセや欠点に気付き、修正しながら成長することで社会に適応してゆきます。


原稿や企画書を書かなければならないのに、集中できない。やる気が出ない。そんなときには、ワープロの前で指も動かさず呻吟するのではなく、まずはペンを持ってとにかく書いてみるのも一案です。そうすることで、脳が次第に活性化し、のめり込んでゆくということがあるのです。これを作業興奮といいます。興奮とは脳の神経細胞が活性化するという意味です。
【覚書き|呻吟、しんぎん。苦しみうめくこと】


指先の運動は脳を活性化させることが知られています。バイオリニストやピアニストは指を動かす脳領域が普通の人に比べて広いのですが、これは生まれつき演奏家の脳領域が普通の人に比べて広いのではなく、演奏や練習を続けたことで脳領域が広くなったと考えられます。つまり指を動かすことで、指を動かす脳領域が活性化されたわけです。


重要なことは「別にストレスを感じても構わないんだ」と思うことです。普段からストレスを怖いものと捉えていると、実際にストレスを受けたときに過剰反応を起こします。それよりも「ストレスはごく当たり前のもの。もしストレスを感じたとしても、私にはストレス解消法があるから大丈夫」と楽観している方が、より充実した毎日を過ごすことができるでしょう。


ストレスがないとモチベーションは上がらないし、成長もありません。私たちはストレスや不安を感じることによって、毎日の生活に上手く対応することを可能にしているのです。


ストレスとは「主観的な負荷」を指す言葉で、人にストレスを与える環境的な刺激はストレッサと呼びます。外的な要因であるストレッサに対して個人が感じる重圧がストレスです。したがって、同じストレッサに対しても、それにストレスを感じるかどうかは、個人によって差があるのです。


毎日を悲観的に過ごせというつもりはありませんが、このくらい悪いことが起きるかもしれないと、頭の中でシミュレーションをしておくと、実際に不測の事態が起こった際に感じるストレスを軽減できます。これは準備された心、「プリぺアド・マインド」といいますが、このような予測を心のどこかに持っておくことは必要でしょう。


スポーツで身体を動かすことがストレスを軽減するということもあるのですが、それだけではありません。「運動すればストレスが軽くなる」と自分で思い込んでいることこそ大きな意味があります。自分はこれをすれば気持ちが楽になると信じて、ストレスを感じたときの逃げ道を用意しておくことで、実際にストレスホルモンの上昇は抑えられます。


ストレス対処を担当するのは「海馬」という脳の役割です。海馬は恐怖を記憶しますが、慣れることでその恐怖体験の上に「怖くない」という別の記憶を上書きし、そのストレッサ(ストレスをもたらす外的要因)に対する耐性をつくります。その結果、ストレスに打ち勝つことができるようになります。


自分はストレスに弱いと感じている人は、普段から「なるべくストレスになることは避けよう」という心がけているため、無意識のうちに自己ケアができていることが多いものです。そのため、過剰なストレスを感じる前に対処ができます。


ストレスというと、条件反射的に「悪いもの」「排除すべきもの」と思ってしまう人がほとんどです。しかし、ストレスがまったくない状態では、人は学習できないし、成長もあり得ません。過剰なストレスは好ましくありませんが、日常的に生じるストレスならば、それと向き合うことが生きるエネルギー源になるのです。


人は個性によって縛られた思考しかできません。他の人とのコンビネーションがあると、発想にダイナミックスが生まれるのです。


あまりに突拍子もない発想はダメ。拒絶されてしまう。人間の文化背景には必ず受け入れ可能な範囲があるのです。これまでにあったアイデアとはちょっと変わっていて、「ああ、こういう手もあったか」と思われるくらいがちょうどいい。


たくさんある材料をランダムに組み合わせても、良いアイデアが生まれるわけではありません。料理で言えば、組み合わせる素材がたくさんあったほうが新しいメニューは作りやすいですが、しかし、いかに創作料理といえども、絶対に合わない組み合わせはあります。逆に、まだ試したことはないけれども、「経験上、これとこれとは合いそうだ」という目星をつけることもできます。ですから、経験によって料理が上手になるように、訓練によってひらめきやアイデアの発想もうまくなる側面があります。


私の場合は、研究室の学生に「先生のアイデアはつまらない」とか「先生のアイデアは間違っている」とどんどん否定してもらうようにしていますし、こうした意見をお互いに言い合おうといつも言っています。もちろん、頭から否定するのではなく、「それは面白い。でもこういうふうにも考えられないか?」と互いに言い合うのです。こうして脳が2つ、3つと合わさると、1+1が2になるのではなく、それ以上の発想が生まれてくるのが面白いところです。


所詮、自分の脳から出てくるアイデアなんてタカが知れています。私たちは自分がさまざまな考え方ができると勘違いしていますが、実は、人間の思考は想像以上にワンパターンです。しかも、長く生きれば生きるほどワンパターンになっていきます。ですから、創造的な発想をしようと思うなら、他人と脳を合わせることです。


閃くためには、知識を入力することは必須だとしても、そのあとは覚えたことをしばらく寝かせた方がいい。覚えた直後の記憶は鮮明すぎます。時間がたつにつれ記憶の内容がだんだん曖昧になっていきます。そうすると、他の記憶とブレンドしやすくなる。


人間の発想は記憶の間違いから生まれます。発想というのは記憶の組み合わせの妙だと言えます。


適応能力の高い人にこそ、私は素質を認めます。


実は、正確な記憶は、脳にとって負担があまり大きくありません。それに比べて、間違って思い出すというのはとても難しいことです。コンピュータをイメージすればわかりやすいでしょう。データを記録し、必要に応じて取り出すのは、当たり前のようにできます。しかし、「ときどき勘違いして不正確なアウトプットをする」ということをコンピュータにやらせようとすれば、かなり複雑なプログラムを書かなければなりません。ですから、人間の脳がここまで大きくなったのは、記憶を勘違いする能力を発達させることと表裏一体だったと言えるでしょう。


人間は、記憶の内容が似ていたり、記憶した時期が近かったりすると、Aという記憶とBという記憶を間違えたり、AとBが混ざったりして、不正確に思い出すことがあります。こうして記憶が曖昧になって組み合わされることによってさまざまなアイデアが生まれるのが創造性というものの正体です。そのわかりやすい例が、架空のストーリーであったり、芸術作品だったりするわけです。


人に何かを教えるときには2つの方法があります。答えを教えてしまうのがひとつの方法。もうひとつは、答えを悟らせる方法です。社会に出てからは、相手の顔色をうかがったり、情報を分析して解決策を考えたりといった、自分で悟らなければいけない場面のほうが圧倒的に多い。しかし、教育の場面では答えを教える方法ばかりが行なわれてしまうのは、悟らせる教育には技術がいるからです。


多くの学生を指導していて感じるのは、最初からプレゼンが上手い人というのは、相手の立場に立てる人である、ということです。


研究者にはプレゼンテーション能力が必須です。そもそも研究成果を学会で発表するのにもプレゼン能力が必須ですし、研究費の獲得のためにもプレゼン能力が必要になる。


注意しなくてはいけないのは、人によって違う、遺伝的に決まってくる性格もあるということ。自分がある方法でうまくいったからといって部下にも同じやり方を押し付けるのは独り善がりでしかありません。


おそらく、平社員がいきなり社長の仕事を与えられたら耐えられないでしょう。でも、徐々に出世していって、失敗しながら徐々に責任が増していくから、社長になったときにはそのストレスに耐えられるようになっている。ストレス耐性がつくというのはそういうことだと思います。


ストレス耐性についても、後天的に身につけられる面があります。これは動物実験ですが、継続的に小さなストレスを与えていると、あるとき大きなストレスが来ても耐えられることがわかっています。


本質的に自分を変えられるかどうかは、はなはだ疑問です。でも、「変わるぞ」「頑張るぞ」と思って生きるほうが、滑稽かもしれないけれど、良い生き方ではないでしょうか。


現在では、遺伝で決まることと後天的に決まることは半々くらいだと言われています。半分も変えられる、というのはすごいことです。そう考えると、遺伝子で決まっている半分に目を向けて残念がるよりも、自分を変えるための脳を持っていることに目を向けて期待するほうが、はるかに健全だと私は思います。と同時に、私の英語のように、遺伝的にどうしても苦手なことは、諦めることでラクになる部分もあります。


私たちはなぜこんなに大きな脳を持っているのか。それは、経験や学習によって自分を変えていくためです。遺伝で決まっていることだけで生きていくならカエルやハエと変わりません。遺伝で決まっているデフォルトからどれだけ乖離できるか、どれだけ羽ばたくことができるか。そのために脳があるのです。


自分の適性がわからないという人もいるかもしれませんが、今まで生きているのですから、「けっこう逆境に強いな」とか「本番に弱いタイプだな」といったことは、なんとなくわかるはずです。周りの人に聞いてもいいでしょう。


私たちの個性は単純ではなく、千差万別です。共通の成功ルールはありません。ある人にとっては良い方法も、別の人がやれば逆効果かもしれない。自分に本当は何が向いているのかをきちんと考えることが重要です。


一般に、豊富な知識や経験があると、それが「殻」をつくってしまって発想の邪魔をします。


座学と現場主義ではどちらがいいか、といった議論がありますね。これについても、脳の観点からは、どちらがいいとは言えません。人によって、きちんと段階を踏んで勉強したい人もいれば、行き当たりばったりで挑戦して成功する人もいますから。


富士山をイメージしてもらうとわかりやすいのですが、高くて美しい山は、一点の噴火口から噴き上げることでできています。そして、高い山は必ず裾野が広い。一点の能力を高めることで、その周辺の能力も付随して上がることを、専門用語で「学習能力の転移」と呼びます。


面白いのは、熱中して、ある一点を徹底的に掘り下げると、その周辺の能力まで高まっていくことです。特定の能力を高めると、それに関連した周辺の分野の問題に遭遇したときに、なぜか正しい答えがいきなりわかってしまうことがあります。それを、人は直感力と呼ぶわけです。「一芸は多芸に通ず」と言われるのもこれです。


知識や経験を身につけるときに「いつでも通用するわけではない」という保留を付けること、必要なときにほんの少しだけ常識を外れることが大事だと思います。


いわゆる理系と文系に関しては、その分け方からして疑問が持たれています。東大が「文科○類」「理科○類」という分け方で入試を行なっていることも批判されているくらいです。まして、理系と文系で脳が違うかというと、なおさら疑問ですね。


「自分はモチベーションを高く保つことができない」と劣等感を感じている人もいるかもしれません。しかし、私が伝えたいのは、モチベーションだけがすべてではない、ということです。ルーチン化をうまく取り入れたり、身体がやる気におよぼす影響を活用するなどして、自分に合った方法で仕事に取り組んでほしいと思います。


私も、仕事に関しては盲目的です。仕事は好きですし、時間があれば仕事をしています。そもそも研究者とは、多少はバカにならないと務まらない職業かもしれません。


何かに夢中になっているとき、脳内のテグメンタという領域が活発に活動します。この領域は快感を生み出す場所であり、盲目的な熱中力を発揮します。これは恋愛状態と同じであり、恋愛中の人はあらゆることを犠牲にしてでも愛を捧げようとします。平常だったらできないことでもやってしまいます。恋愛する盲目性も、仕事に打ち込む盲目性も、どちらもある程度バカになることで、ほかのことを考えられなくして、夢を追う原動力を生み出しているといえます。


マンネリ化はよくないと思われがちですが、じつは悪い面だけでもありません。マンネリ化とは、一方で仕事が効率的に進んでいることの表われです。仕事に不慣れだった頃は、苦労や失敗が絶えなかったかもしれませんが、慣れてくると問題は減ってきます。それを世間ではマンネリ化しているというのです。もしマンネリ化がなかったら、目に映るものすべてが新鮮で、驚きの連続でしょう。それでは仕事が進みません。マンネリ化とは、一度経験したことに対しては「慣れ」というメカニズムで対処することで、仕事の効率化を図る重要な機能なのです。


一年前は苦労や失敗の連続だったのに、いまではスムーズに仕事ができるようになったことに気づけば、「自分も成長したな」とうれしくなります。しかし残念なことに、一年前の自分と比べようにも、一年前の自分の状態を覚えていない人が多いのです。自分の成長を確認するためにも、ブログなどに日々の出来事や失敗などを記しておくとよいと思います。ちなみに私は、非公開のブログで日々の仕事内容を記録して、ときどき読み返しています。


ご褒美というと、多くの人は好きなものを買ったり、おいしい食事をするなど、具体的なメリットが生まれることを想定するでしょう。しかし、それだけでなく、いったんマイナスに下がった状態を平常に回復するのも立派なご褒美になります。嫌な仕事をしなくてはならないときは、その嫌な仕事から解放される自分を強くイメージして、自分の背中を押してあげるのもひとつの方法だと思います。


仕事から逃げていると、逃げようとする自分の状態を感知して、脳は「自分はこの仕事がよほど嫌なんだ」と判断し、その結果、モチベーションはますます下がります。たとえ気分が乗らなくても、逃げ癖をつけるのはよくないですね。


箸を横にして歯でかんだ被験者と、箸を縦にして唇ではさんだ被験者に、同じマンガを読んでもらい、マンガの面白さを点数で評価してもらうという実験があります。結果は、箸を横にしてくわえた被験者のほうが高得点になります。つまりどういうことかというと、箸を横にくわえると、表情筋の使い方が笑顔と似ます。決して笑っているわけではありませんが、笑顔に似た状態を強制的につくることになるのです。身体の部位を動かすとき、脳は「この部位を動かせ」という指令を運動神経に出すだけでなく、身体中に張り巡らされた感覚神経を通して身体の状態をモニターしています。表情筋の使い方が笑顔と似た状態になっていること、そしてマンガを読んでいるという情報をキャッチし、「笑顔」+「マンガ」=「マンガは面白い」という推測を導き出したというわけです。


自分の期待は低かったのに、飛び込んでみたら意外に楽しかったり、スムーズに物事が進んだと感じたら、これはある意味で「ご褒美」です。人はできるだけ多くのご褒美を得ようと行動するので、ご褒美が重なれば、次第にその行動が自分の癖やスタイルになっていきます。その仕事を嫌だと思う気持ちは変わらないのですが、やれば何とかなることを学習していきます。これを自己啓発本では「成功体験」と呼ぶのかもしれませんが、私たちは「強化学習」の一種であると捉えます。


年末の大掃除などがよい例で、初めは嫌々始めたものの、いざ掃除を始めると次第に気分が乗ってきて、いつの間にか部屋がきれいになっていた……という経験は誰にでもあると思います。頭のなかだけで考えていても億劫に感じますが、実際に身体を動かしてみると、やる気が出ることがあります。つまり、やる気とは、物事を始める前からあるものではなく、物事を始めたあとから発生するものです。やるべき仕事を前にして、「気分が乗らないな」とダラダラしている段階が、一番不幸な状態だといえますね。


アイデアというのは、いつでもボンと生まれるわけではありません。スランプもあります。そこで裏切らないのは「道具」ですね。技術の発見から生まれるアイデアには、スランプはないんです。実験をする道具に、最新の技術を組みこんで改造したら、かならず発見がある。


サイエンティストの仕事において最も重要なのは、プレゼンテーション能力なのではないかと思います。世界共通の言葉で他人に伝えられなければ、サイエンスの世界での「わかったこと」や「発見」にはなりません。


研究に非常に長い時間をかけてはじめて、サイエンティストはサイエンティストになれると言えるでしょう。いまは労働基準法がどうであるなど、仕事をやりすぎたらダメだという風潮もあるけど、私の実感で言うなら、やはり研究はやりすぎなければ成功しないものであろうとは感じています。長くやりさえすればいいとは思いませんが、長い研究時間というのは、まずはサイエンティストであるための前提条件なのです。


研究のコツはコミュニケーションに尽きると思っています。世間一般のサイエンテイストに対するイメージは「研究室に閉じこもっているんだろう」だと思いますが、本当に閉じこもっているのはダメな研究者なのではないでしょうか。


基本的に、発見(わかる)から発表(伝える)までにはたいへんに時間がかかるものです。だいたい、どのような発見を発表するのだとしても、1年以上はかかるのではないでしょうか。以前に、世界でも有数の大発見をなさった日本人研究者に「発見から発表までの時間の長さ」について聞いたことがあります。すると、「自分の場合には5年から7年だな」と言われました。見えているのに説明できないことも、たくさんあるんですよね。


目の前にある「すごい」という事実を整理整頓し、サイエンスの世界で理解される範囲のワクの中にパッケージングしなければ、論文にはなりません。そうして言語化していくプロセスは苦しいですけど、「このように見せていけばいいじゃないか」と考え抜くという、伝えるための試行錯誤は楽しいものでもあります。論文執筆前に学会などで発表すれば、「こうやれば伝わるのか」「こう言うと伝わりにくいな」と当たりもつかめます。


私が研究生活を続ける中で、はじめて「サイエンスの研究とは、本当はこういうものだったのか」と実感したのは、2年間、コロンビア大学に留学していたときでした。世界中から集まって来た最先端の研究者たちを観察していたら、日本のサイエンティストたちとは「集中力」と「議論をする力」が根本的にちがうな、と気づいたのです。日本の大学では、食事や休憩のときに研究の話をはじめると「おい、メシの時ぐらいは研究の話はやめようや」と面倒なやつのような扱いをされたけれど、コロンビア大学では、四六時中、ものすごく濃く研究についての議論をしていました。私は幸い、自分の関わるジャンルにおいて、まさに世界最先端と言える研究室に留学できたのですが、そこでは世界最先端とはいえども研究している時間そのものはそれほど長くはなくて、とにかく、議論によって濃い時間を蓄積しているのだ、と自分なりにはわかりました。結局、アイデアは、コミュニケーションからしか生まれないようなのです。


個人でやる研究というのは、どうしても成果があがりにくいんです。なぜかと言えば、個人の視点というのは狭すぎるから。研究も思考も、つねに第三者の視点を必要とするものでしょう。研究室の中でも第三者の視点に触れられるのは、論文を読むことですね。他人の論文には常に刺激をもらえると言うか、論文を読まない人もまたよくない研究者なのではないでしょうか。


私も、20代の頃には社会性もなく、研究室に閉じこもりたがるタイプでしたが、嫌々でも何でも学会に出かけてみたら、そのうち、外出をすればものすごくたくさんの収穫があるものなんだと気づきました。自分の発表に対する反応を見れば、どのように受けとめられる研究なのかも直にわかりますし。


自分のいる研究室で、いつものみんなに会うことは刺激にはなりません。研究室のメンバーというのは、同じような考え方で同じ話をしますので。大切なのは、研究室の外にいる人に会うことです。


学会や講演や会議などで発表をしたり、発表をせずとも、積極的に外部の懇親会に参加をする。これが大事なんです。学会の後で開かれる懇親会(飲み会)はサイエンスの議論をする場所ではないけれど、顔を合わせれば、自然に研究の近況について話しあいますよね。「あの分野の研究なら、○○さんを紹介しましょうか」「その実験は、こういう方法でやるのはどうだろうか」。そういったコミュニケーションの中に、思いがけないヒントが隠されているのです。後日、メールなどで「あの時に話していたあの研究は……」と示唆をいただくこともあり、またその逆にこちらが相手にとっての参考になることもあり、そうした相互援助で研究が向上していくんです。


サイエンティストは、サバイバルをしていくうちに、サイエンスの真理さえも政治が決めるという部分があるのだ、と体験するものです。「小さい頃にサイエンスの世界にのめりこんだ時には、純粋に真理を求めるという美しさが好きだったのにな」と駆け出しのサイエンティストは幻滅するのかもしれません。ただ、幻滅したとしても、知的好奇心を持ち続けられるのかどうかが、サイエンティストの研究人生を左右するのではないでしょうか。


言語化しなければ、自己満足で留まってしまいます。少なくともサイエンスの世界においては、発表する能力がなければサイエンティストでさえないのです。当然、そのままでは、サイエンスの世界では「優秀ではない」と評価されてしまうでしょう。


私は、ものごとについて「俺だけは知っている」と思うことはできません。きつい言い方かもしれませんが、「俺だけは知っている」では、ものごとをわかったということにはならないのではないでしょうか。「オタク」や「おままごと」に過ぎないのかもしれません。他人の批判にさらされない思考は、そもそもいいのかダメなのかさえ、判断ができないものなのでしょう。歯がゆいですけど、言葉や数式にしなければ本人にもわからないままで、発見や理解について他の人たちに伝える時には、かなり話を噛み砕かなければならない。


論文を書く時には、私は物語を作らなければならないと考えています。物語をどのように展開するのかによって、同じ発見でもまるで違うものに見えますから。素晴らしい発見をしたとしても、もしも物語を語ることができなければ、「実験屋さん」のままなのですね。


サイエンスの研究に対する評価というのは、論文の成否に左右されるものです。私も、2004年に『サイエンス』(世界最高峰の科学雑誌)に論文が載ったからこそ、研究を進められているのです。もしも結果が出ていなければ、今頃、研究費に飢えていたであろうというのは容易に想像ができます。


経済の取引、たとえば株の判断でいえば、人は自分の意志で株を買うわけではありません。8割以上が過去の経験と、それが反映している反射行動の癖によります。むしろそう考えた方が、妙な自信過剰にならなくて済み、冷静な判断ができているともいえそうです。


研究者は誰でもみな文献をよく読みます。最先端の世界についていかねばならないからです。私が異常なのは、それを文章で引用して外に発信することです。研究会などで「そんな文章を書いている暇があったら、とっとと実験しろ」とよく叱られます。しかし、他の人がスポーツなど趣味にいそしんでいるときに、私は文章を書いているだけです。私自身は飽きっぽくてひとつのことに集中できない性質であり、自分の研究に役立たなくても、それらを読んでいるだけで楽しい。


入力するだけではダメ。テストの点が高いのは参考書を何度も読む人より、問題集を何度も解く人のほうで、出力を磨くほうが脳は成長します。仕入れた情報を人に話して、出力を心がけるのが大切です。


池谷裕二の経歴・略歴

池谷裕二、いけがや・ゆうじ。日本の薬学博士、脳科学者。専門は薬理学、神経科学。海馬、大脳皮質を研究する。静岡県生まれ。東京大学大学院薬学系研究科で薬学博士号を取得。コロンビア大学客員研究員を経て、東京大学大学院薬学系研究科講師。脳の研究を一般にわかりやすく紹介する著書を数多く出版している。主な著書に『進化しすぎた脳』『海馬』『単純な脳、複雑な「私」』など

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