枡野俊明の名言

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枡野俊明のプロフィール

枡野俊明、ますの・しゅんみょう。日本の僧、作庭家。曹洞宗建功寺住職。神奈川県出身。玉川大学農学部農学科卒業後、曹洞宗大本山總持寺(そうじじ)僧堂で修業。その後、造園設計会社の日本造園設計を設立。禅と日本庭園をテーマとした造園設計を行い、国内外で高い評価を得た。そのほか、ブリティッシュコロンビア大学特別教授、多摩美術大学環境デザイン学科教授などを務めた。主な受賞にブリティッシュコロンビア大学特別功労賞、日本造園学会賞(設計作品部門)、芸術選奨新人賞(美術部門)、カナダ政府カナダ総督褒章、ドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬章ほか。

「理解してもらう」「評価してもらう」というように、相手を動かそうとすると悩みが生まれてきます。理解されたいのなら、まずは一生懸命伝える努力をしてみる。それでも理解してもらえないときは、「あ、そういうものか」と割り切ってしまうことも大切。


執着には終わりがありません。お釈迦様が亡くなられる前に説かれた説法をまとめた『遺教経(ゆいきょうぎょう)』というお経に「知足(ちそく)」ということが説かれています。どんなに裕福な環境でも満足を知らなければ満たされない。地面に伏したような生活をしていても、これで充分だと感じることができれば、幸せを感じられると。


自らよくありたいと思い行動するのはいいことですが、人からよく見られたいという意識があると、無理を招き疲れてしまう。ありのままの自分でおつきあいをすべき。


過去・現在・未来の三世のうち、私たちが生きているのは現在です。今、息をし終わった瞬間、すべてが過去になります。学歴という既に過ぎ去った事実に心を留めるのは、過去に生きる人。実にもったいない時間の過ごし方であり、生産性の低い過ごし方です。


今やるべきことに一生懸命に取り組む人の生き方は、実に魅力的です。人間的な魅力に磨きをかければ、たくさんの人が応援してくれます。多くの応援は、生きていくうえで様々な助けとなり、成果にも結びつきやすくなる。


チームの足並みが揃わない。そう嘆くより、いま一度メンバーの能力や性格を見つめ直し、それぞれが活躍できるような環境や、評価の仕方を考えてみてはいかがでしょうか。


今あるべき姿がすべてを表しているのではなく、角度を変えれば、また違う強みが見えてくる。この世に存在するものはすべて、何かしらの役割を果たしている。


全員の能力のレベルが同じということはあり得ません。それを前提に考えると、各人の持ち味が生かせる適材適所の役割を与え、スペシャリストを育てるマネジメントの方がチーム力は上がる。


チームがうまく機能しないのは、メンバー全員の目指すべき方向性が共有しきれておらず、それぞれが違う方向を向いている場合があるのではと感じます。


余裕がない一日の始まりは、縁の初めが悪いので、どんどん悪い縁につながっていく可能性があります。初めにいい縁を結ぶためにも、朝に掃除をすることは有効なのです。


何よりも大事なのは、続けること。いつも部屋をきれいにしていることは、いつも整った心でいることです。しかし、忙しい毎日の中で、すべての部屋を掃除しようと思うと長く続きません。いつもより少しだけ早起きして、窓を開けて新鮮な空気を吸い込み、10分なら10分、5分なら5分というように、掃除の時間をあらかじめ予定に組み込んでおきましょう。そして、今日は玄関だけ、翌日はキッチン周り、その次はトイレのみと、場所を小分けにして、決めた時間内でしっかりと心を込めて掃除する。まずは、朝に掃除をするという習慣を身につけましょう。


禅には「清風払無塵(せいふう はらいて ちりなし)」という言葉があります。塵は心を縛っている煩悩や雑念を指しており、清らかな風が吹けばその塵はどこかに飛んでいき、残るのは清らかな心だけだという意味です。塵や埃が拭い去られるからこそ、気持ちのいい爽快感を得られる。


物事がなんとなくうまくいかないとき、負の気分を変えたいときなどには朝の掃除をお勧めします。身の回りがきれいになると、誰もが「ああ、気持ちいい」と、すがすがしい気持ちになるはずです。


頭に血が上りそうなことを言われたら、へそから75mmほど下の丹田に力を入れて呼吸し、「ありがとさん」と3回唱えてみてください。不思議と気持ちが少し収まり、感情的な発言をせずに済むはずです。


上司や部下と互いに認め合えず、イライラしてしまう時は、相手の良い面を見つけるように意識しましょう。そしてこちらから先に褒めてみる。褒められて嫌な気になる人はそうはいないはず。


率先して動いて手本を見せれば、最初はぎこちなかった現場も、時間が経つにつれて変わり、職人さんたちは私に協力しようという雰囲気になっていただけます。周りから協力、支持を得たいのであれば、自ら渦中に入っていくことが何よりも大事。


人間は上司や部下から評価されるためだけに働いているわけではありません。「この仕事をして誰に喜ばれるか」を基準に考えられれば、「評価の呪縛」から少なからず解き放たれるはず。「仕事を通じて社会に貢献する」「人々の暮らしに役立つ」。ここに価値を見いだせれば、評価よりやりがいが大きくなり、前進できるでしょう。


仕事で失敗したという事実は、いくら悔やんでも、引きずっても変えようがありません。まずその事実を素直に受け入れて、原因を自分なりに明らかにすることが次の成果につながる。


終わったことは断ち切り、失敗の原因を自分なりに明らかにすることを大事にする。その経験を積み重ねれば、同じようなお題を突きつけられた時に、判断を見誤らなくなる。


なかなか結果が出ない人ほど、過去の失敗にとらわれている場合が多いように思います。「あの時、ああしなければよかった……」と、取り返しのつかない失敗に引きずられて前進できなかったり、変化することを恐れたりする。いくら悔やんでも過去は変えられません。


大切なのは、深くゆっくりと呼吸すること。へそから指4本ぶん下にある「丹田(たんでん)」を意識しながら、深く息を吸い、ゆっくりと吐いていく。これを繰り返すことで、感情が腹に留まり、頭までせり上がるのを防ぐことができます。呼吸をしながら「大丈夫、大丈夫、大丈夫」などと3回唱えると、より心を落ち着かせることができます。


無心に物事に取り組み続けると、与えられた仕事や目標に対する「やらされ感」が薄まってきます。人はどうしても、与えられた仕事や目標に対して、「なぜ、私がこんなことを……」といった不満を抱きがちです。しかし、目の前の仕事に没頭することができれば、自分なりの試みを楽しんで行うことができるようになります。


先の目標のことばかりを考えると、どうしても「できなかったらどうしよう」などといった未来に対する不安がよぎってしまい、目の前の仕事に集中できなくなるもの。すると、自分の持つ本来の力を発揮できなくなってしまう。一方、目の前にある仕事に無心に取り組めば、未来に対する不安にさいなまれずに集中することができます。結果的に、目標を達成しやすくなる。


目標と上手に折り合いをつけて心穏やかに過ごすことは、不可能ではありません。禅の世界では、目標を先に設定してそれを達成すべく努力するという、一般社会とは反対の考え方をします。「今、できること」をそのつど一心に行なっていけば、結果は自ずとついてくる、という考え方をするのです。


背中が丸く覇気がない人と、若々しく自信があるように見える人では、どちらと一緒に仕事をしたいでしょうか。疲れが顔に出ると、ビジネスにおいてもプラスに働きません。


人は妄想するからこそ、要らぬ不安や心配事を抱えてしまいます。他人をうらやむ気持ちや、自分はダメだという気持ちも実はすべて妄想であり、それにとらわれ、現状が変わらないのは、バカバカしいですよね。


人と比較することを、禅の世界では「莫妄想(まくもうぞう)」という言葉で戒めています。意味は「妄想するなかれ」。つまり、「無意味なことをいつまでもクヨクヨと考えるな」です。


「驚かせてやろう」「引きつけてやろう」などという下心を持って取り組む人は、それが必ず表面に浮き出てきます。下心が少しでも見えてくると、人々は警戒し、距離を置くようになる。謀(はかりごと)は魅力を消し去る。


ひた向きに自分の本分を全うしていれば、その結果が人を喜ばせ、引きつける要因になる。雑念にとらわれず、ただひた向きに取り組む姿こそ、人を感動させる。


苦労したからこそ、人の苦労が分かるようになり、悲しみを味わったからこそ、人の悲しみが分かるようになる。苦労せずに得られた結果より、苦労があるからこそ得られた喜びは大きい。つまり、苦労は人間としての幅を増していく。


昨年は苦労が多く、仕事で結果が出せなかった人、苦労が報われなかったと嘆いている人もいるかもしれません。しかし、焦るあまり、準備が整っていない時に道を作ろうとするのは、季節外れに咲いた花のようなものです。昨年は咲かなかったけれど、今年は花が開いてかなえたかったことが成し遂げられるかもしれない。


「春来草自生(はるきたらば くさおのずからしょうず)」という禅語があります。これは、「春になれば自然に草木は芽生えてくる」という意味であり、人間の計らいとは全く関係なく季節は巡ることを指します。春が来ない冬は絶対にありません。


相手の意見を聞く時も、相づちを打つだけでなく、「それはこうですよね」と相手の言葉を繰り返す。そうすると、相手も「私の話を聞いてくれている」という気持ちになります。そのうえで「私の視点ではこのようなことも考えられます」と言えば、しこりが残るやり取りにはならないはずです。


「無心是我師(むしん これ わが し)」という禅語があります。無心というのは思慮分別を打ち払うこと。「これが絶対に正しい」と一方的に主張してしまうのは、分別をしているからです。本来、双方に一理あるはずで、どちらが「善し」でどちらが「悪し」というのはない。自らの意見に執着しすぎない心構えができればおのずと、双方の言い分を拾い合えるような柔軟性や余裕が生まれてくるのではないかと思います。


立場を変えて見れば相手の意見も正しいと思えるかもしれず、自身の論点とのズレも発見できるかもしれない。そうすれば、聞く耳を持ち、場を読む目も必要だと思えるはずです。


自分の体だと思っているものは、細胞レベルから始まる様々なパーツがたまたま組み合わさった総体や概念に過ぎず、それを「自分」と呼称しているだけなのです。社会や企業の中にいる自分もその細胞のようなもので、1人では何もできません。そう捉えれば、自分の立場では何をすべきで何が求められるかを考える必要があり、必ずしも自分の意見をすべて押し通すことだけが正しいのではないと思えるはずです。


僧侶も仏教の教えをお伝えすることが仕事の1つですが、私も若い頃からうまく話せたわけではない。ひとえに訓練による慣れでした。「人前で話すのは嫌だな」と思うとなかなか上達しないもの。「これは自分で通らなければならない道だ」と前向きに捉え、実践で経験を積むと、相手が面白がる部分が見えてきます。


無心でひたすら成すべきことを一生懸命やっていると、「それっていいよれ」と思う人が集まってくる。一方、「こう言えば、相手が喜んで近寄ってくる」などの作為が見えると、人は用心して構えてしまう。


人の手間が見えるアナログな礼状は、デジタルが主流の今だからこそ、人の心をつかむように思います。字が下手でも自筆で書かれた方がいい。さらに言えば、筆ペンで書くことをお勧めします。私自身、多くの封書やおはがきを頂く中で、最も目につくのが筆ペンで書かれた文字ですから。


気が散って目の前のことに集中できないときは、時間を決めて思い切り息抜きをしてしまうのも手です。禅の教えには、「喫茶喫飯(きっさ きっぱん)」という言葉があります。茶を飲むときは茶に、ご飯を食べるときはご飯に集中する。今、行なっていることと「一つになる」べし、という教えです。たとえば、休暇でリフレッシュしているにもかかわらず、「仕事のメールをチェックしたい」と考えるのは、もってのほか。働くときは全力で働き、遊ぶときは全力で遊ぶ。これが、「無心」と言われる禅の境地なのです。


枡野俊明の経歴・略歴

枡野俊明、ますの・しゅんみょう。日本の僧、作庭家。曹洞宗建功寺住職。神奈川県出身。玉川大学農学部農学科卒業後、曹洞宗大本山總持寺(そうじじ)僧堂で修業。その後、造園設計会社の日本造園設計を設立。禅と日本庭園をテーマとした造園設計を行い、国内外で高い評価を得た。そのほか、ブリティッシュコロンビア大学特別教授、多摩美術大学環境デザイン学科教授などを務めた。主な受賞にブリティッシュコロンビア大学特別功労賞、日本造園学会賞(設計作品部門)、芸術選奨新人賞(美術部門)、カナダ政府カナダ総督褒章、ドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬章ほか。

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