松平康隆の名言

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松平康隆のプロフィール

松平康隆、まつだいら・やすたか。日本のバレーボール監督。ミュンヘン五輪で男子バレーボール日本代表チームを指揮し金メダルを獲得した。バレーボール競技発祥の地、米マサチューセッツにあるバレーボール殿堂に外国人としてただ一人選ばれた。

選手に認めてもらうための努力を積み重ねたことが、選手の理解を得る足がかりになった。


人間、それぞれの得手、不得手があるものである。その得意とするものに自信を持ち続け、不得手なものに対するコンプレックスを払拭できたものだけが、熾烈な勝負、人生のレースに勝ち残れる。


社長の立場に拠り所を求めたとき、社員は一様にそっぽを向き始めることになる。


私は意識して世界一という言葉を使った。男なら、期待が大きければ大きいほどやりがいを感じるものだからだ。
【覚書き:松平監督は選手に対し事あるごとに世界一という言葉を使った】


背は低く、酒も飲めない、欠点の多い私に対して、選手が一目も二目もおいてくれ、最後までついてきてくれた理由。それは、私が世界のバレーボールを日本のどの選手よりもよく知っていたし、それなりの勉強もした。その結果、世界のバレーボールに関する現状と、将来の予測、人脈まで誰よりも知悉(ちしつ)しているという自負を持っていたからである。


私のミュンヘン時代の部下は、選手、コーチ、トレーナーとも私の持っていない、尊敬できるものを持っていた。しかし、私はコンプレックスを感じたことは微塵もなかった。なぜなら、私は彼らの知らないことを知り、できないことをできるように努力したからである。この努力をしないで、「俺は監督だから」というところに拠り所を求めたら、すべてが終わりになる。


指導者とは教える人間ではありません。教えるのはある段階までのこと。指導者がもっとも心がけなければならないのは、生みだすことのできる人間に育ててやることです。教わったことが全部できたというだけでは大したことはありません。教わったものを土台にし、栄養にして自分自身の独特な何かを生みだすことができてはじめて一人前になるんです。


松平康隆の経歴・略歴

松平康隆、まつだいら・やすたか。日本のバレーボール監督。ミュンヘン五輪で男子バレーボール日本代表チームを指揮し金メダルを獲得した。バレーボール競技発祥の地、米マサチューセッツにあるバレーボール殿堂に外国人としてただ一人選ばれた。

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