曽野綾子の名言 一覧

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曽野綾子のプロフィール

曽野綾子、その・あやこ。日本の作家。吉川英治文化賞などを受賞。東京出身。聖心女子大学英文科卒業。数多くの長編・短編小説、エッセイ、翻訳書を出版。幅広い読者層に支持された。

仕事が道楽になった時、初めて、その人はその道で第一人者に近くなれる。


自立というのは、ともかく他人に依存しないで自分の才覚で生きること。今の自分に合う生き方を創出し、自分で工夫して生活を楽しむこと。


道楽は、初めから楽をすることではない。すべての道楽は苦労がないことはないのだが、その苦労を楽しみと感じられるように変質させ得るのが、道楽なのである。


まず足下を固めよ。どんなに小さくとも、自分の専門職を完全に果たし、その分野で有能な人間として社会に評価されてこそ、次の段階に進み得る。


人間は、完全に理解されるなんてことはありえません。ですから、それを踏まえてなお、自分が思っていることを誠実に話し続けたり、あの方の言いたいことはこういうことなのではと考えたりしながら、人間理解を深めていくわけです。


私は生きることは働くことだと思います。死ぬまで稼がなくてはいけないとか、重労働をすべきだとかいう意味ではなく、家事でも、向こう三軒両隣の前の道を掃くことでも何でもいいから、その時々、自分ができるだけのことをする。それは当たり前のことではないでしょうか。


生涯の豊かさは、どれだけこの世で「会ったか」によってはかられる。人間にだけではなく、自然や出来事、思想にふれることだと思うのです。何も見ず、誰にも会わず、何事にも魂を揺さぶられることがなかったら、その人は生きてなかったことになるのではないか。


友人となり、適切な人間関係を持ち得るということは、いかに親しい友人であっても、生来、全く違う個性のもとに生まれついているということに自覚を持ち、その違いを許容し得る、というところから始まるのである。


私は時々、不思議に思うのだが、世の中には、いい年をしてまだ、他人か自分を正しく理解してくれない、と言って嘆いている人がいるのである。或る人間が、他人を心の底まで正しく読みとれるなどということは、普通に考えてもあり得ないことなのに。


老年にとって、孤独とのつき合いが、一番勇気のいる仕事だと思います。今は家族といても、いつ一人暮らしになるかわからない。そういうこともあり得るのだと覚悟して、前もって備えなくてはなりません。


歳を重ねると、いろいろな能力がだんだん衰えてきます。昔のようにできないと思うと苦しくなりますから、その時、その時、その人なりにできることを面白がってやればいい。


自分の一生なのだから、自分の判断によって、運命を試してみたい。そして死ぬ時に、恐らく「ああ、自分がまちがっていた」と思うことも多いのだろうが、その時は、自分を憐れんで、「バカな奴だったなア」と言って死ぬつもりなのである。


人間は一人で生まれてきて、一人で死ぬ。原則としては、あくまで生きることは一人である。それを思うと、よく生きよく暮らし、みごとに死ぬためには、限りなく自分らしくあらねばならない。それには他人の生き方を、同時に大切に認めなければならない。その苦しい孤独な戦いの一生が、生涯、というものなのである。


結局のところ、人間は一人で生まれてきて、一人で死んでいく。だから老年は孤独と徹底してつき合って死ぬことになっているのだ、と考えたほうがいい。つまり老年の仕事は孤独に耐えることであり、孤独がもたらす時間の中で自分を発見する。自分はどんな人間で、どういうふうに生きて、それにどういう意味があったのか。それを発見して死ぬのが、人生の目的のような気もします。


以前に、私は足首を骨折して入院したことがありました。ある日、車椅子でエレベーターに乗ったら、低いところにボタンがついていない。身障者用ではなかったのです。乗っているのは自分一人ですし、私は片足で立つこともできない状態だったので、ボタンに手が届かない。どうしたら三階まで行けるか。頭をめぐらせて出てきたのは、いたって素朴な答えでした。このまま待っていれば、そのうち誰かが乗ってくるだろう、と。思った通り、すぐに誰かが乗ってきて、ボタンを押していただいて無事に三階へ行くことができたのです。なんだか自分が、手の届かないバナナをどうやったら取れるのか考えているサルにでもなったような気がして、面白かった。足が働かない分、脳みそを働かすことによってカバーできるわけですね。


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曽野綾子の経歴・略歴

曽野綾子、その・あやこ。日本の作家。吉川英治文化賞などを受賞。東京出身。聖心女子大学英文科卒業。数多くの長編・短編小説、エッセイ、翻訳書を出版。幅広い読者層に支持された。

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