後藤忠治の名言

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後藤忠治のプロフィール

後藤忠治、ごとう・ただはる。日本のスイマー、経営者。「セントラルスポーツ」社長。日本大学商学部卒業後、大丸に入社。水泳男子100メートル自由形で日本新記録を達成。東京五輪に出場。現役引退後、東京工機を経てセントラルスポーツクラブを設立。多くのメダリストを輩出した。そのほか、(財)社会スポーツセンター会長などを務めた。

普段の生活から仕事まで人生のあらゆる事象がスポーツに通じているように感じる。競技スポーツをすることで人生の勉強ができる。


社員の生活をいかに会社が守るかという経営の基本を貫いてきた。


注目を浴びても浮かれていてはいけません。傲慢な態度をとれば、必ずひがみや嫉みを抱かれてしまう。すべてに対して慎重になりなさい。


「諦めずに頑張る心」と「自主性」を身につけさせることは指導者の役割。選手やスクールに通っている子供たちにとって、コーチの役割は大変大切。


これまで何度も気持ちがめげそうなことがあった。逆境の度に「何くそ」という気持ちで自分を奮い立たせてきた。


水泳を本格的に始めたのは大学時代からです。どうすれば他の選手を追い越せるか。そればかり考えていた。人より泳いだ時間が少なかったのですから、人一倍泳ぐしかなかった。


自分自身との戦い、そして競争相手と競って勝利を獲得するわけですが、自らの限界を超えるほどの成果を挙げるためにはライバルの存在が欠かせない。


偉大な先人たちの背中を見て、その生き方、日々の過ごし方を学べたことが、私の人生に大きな良き影響をもたらしてくれました。


いかに自分が自主性を持って自分のやることに磨きをかけられるか。スポーツも仕事もこれが大事。単に教わっているだけでは限界がある。自分自身で新たな領域にまで高めるかが大事。


「人生は運・鈍・根ではなく鈍・根・運と思え」と学生時代に教わった。この言葉で逆境を乗り越えてきた。


本人にはより一層の努力が求められますが、努力をするための環境づくりは我々経営トップの役割。


勤務時間に気分転換や体力作りとなる運動を取り入れることで、メリハリが効いて仕事の生産性は上がる。


いかに選手がその練習方法に納得して練習をするか。そういった気持ちになるような説得力のある指導をできるかどうか。そこに指導者の資質が求められる。


スポーツは結果がすべて。逃げたら終わりの厳しい世界。


五輪に出場できなかった選手は強いですよ。選考にもれた日も練習を続けますから。苦しさを乗り越えた選手は、その後の人生も自分で道を切り開く力が備わっているのです。


いつの時代もスポーツで感動するのは、己の極限を超えて上のステージに上がっていく選手たちの姿。


ストレスを解消するためには汗をかくことが一番。汗をかくスポーツを定期的に続けることが、メンタルヘルスの改善につながる。


教育、人にものを教えるという仕事は、まっさらな白紙のところに色を付けて、それが見事に開花し、結果的に多くの人たちに喜んでもらえるということ。こんなことは本当に指導者冥利に尽きる。


東京五輪での結果は11位。惨敗でした。調整に失敗し、米国の強敵ドン・ショランダーらの前になすすべもなかった。金メダルを取りに行った400メートルリレーも4位。気持ちの弱さが敗因です。私は五輪出場を目指したのであって、そこで勝つことを目標にしていなかったのです。


競泳を始めたのは大学に入ってから。入学時のタイムは水泳部でビリでしたが「勝ちたい」気持ちは人一倍強かった。テレビで見たローマ五輪に感動して「東京五輪に絶対出る」と思っていました。


スポーツは人間形成においてとても大きな影響力があります。人を思いやる気持ちや自分の力を試すという飽くなき挑戦心、ルールの中でのプレーやチームメンバーとの人間関係の中で協調性・自主性を養うといった人格の形成に、スポーツは最も影響力があり、役立つと思います。


競技スポーツは記録、あるいは結果が全てです。自分なりに頑張りました、努力しましたと言っても通用しません。これは仕事にも当てはまります。仕事も結果が全てという厳しい世界です。


創業当時から常にリスクヘッジに心を砕いてきた。仮に地震などの災害が発生して営業中止に追い込まれると、たちどころに経営が破綻してしまう。そこで、まずは全国に拠点を広げることから始めた。


スポーツという世界を歩んできた私が企業経営者として約50年の起業家人生を歩むことができたのは、スポーツの世界で学び、育んできた精神や理念、そして目標があったから。


何年も経つと、いろいろな選手が誕生し、その結果、スポーツの歴史は形づくられてくる。しかし、時間が経っても、伝統は私たちの手で作らなければ何もできない。そのためにも選手だった人が社会に出て、その後どのような人生を歩んでいくかが大事。社会に役立つ人を作る。


吉田(沙保里)選手は今後、選手と指導者の両方の立場でやっていくという話ですが、吉田選手は指導者としても絶対に成功すると思います。何年にもわたる苦労を克服し、様々な経験を積んできました。そういった選手が、これからの指導者になっていくべきだと思うのです。


基本的には、ラジオ体操は基礎体力を付けることが最大の目的。基礎体力を付けるということは病気にならないことにもつながりますし、病気にならずに健康でいられることは自分自身の幸せになる。


社内ではスタイルアップキャンペーンを実施しており、いま以上に健康的で周りから憧れとなるカラダを手に入れることで、「0歳から一生涯の健康づくりに貢献する」という当社の企業理念に一層の説得力を持たせるよう努力しています。


選手を育てる指導者の一言一言の言葉と態度が自主性を持つような言動でなければならない。選手が「よし、やろう!」と奮起するような言動を投げかけることが指導者に求められること。


スポーツであれば何でも当てはまるのですが、特に競技スポーツをやっている人は前向きで記録に貪欲な人ほど良い成績を出しています。そして、記録を残す選手の共通点は、やはり継続ではないでしょうか。


仕事柄、メンタルヘルスを必要とする方と会うのですが、どんな人がかかりやすいかというと、まず性格的に真面目な人です。真面目だから、上司などから厳しく言われると、きちんとそれに沿って何とかしようと思い悩んでしまうのです。


「健康」はスポーツとは別のものなんだという認識が大半を占めているように感じる。しかし、この2つを「健康スポーツ」という一括りの言葉にすべき。健康とスポーツは別物ではない。厳密に言えば、競技は「競技スポーツ」、そして健康に資する運動は「健康スポーツ」と捉えるべきなのではないでしょうか。


50年近い起業家人生を振り返ってみると、スポーツは企業経営に通ずるところがあるのではないかと感じます。学生時代に選手として活躍し、その後企業に入られて経営者になられている方も多くいらっしゃいます。スポーツでの経験の中に、経営につながることがたくさんあるということではないでしょうか。


高校時代に私が所属していたのは水泳部ではなくバレーボール部。関東大会まで進出したこともあり、他の大学から声もかかっていました。ところが、進学する際にふと考えたのです。「どうせ同じ苦労をするなら好きな競技に行こう」。私は小さい頃から家の近くにある江戸川で泳ぐことが本当に好きでした。意を決し、決まっていた大学への進学を断り、日大水泳部に進学することを決心したのです。


大学時代、水泳部の練習の一環で、神奈川県の北鎌倉にある円覚寺というお寺に座禅を組みに行きました。そこで朝比奈宗源管長にお話を伺いました。人はすぐに「運が悪かった」という愚痴をこぼしますが、それは違う。「運」というのは同じように頑張って努力をしていれば、誰にでも同じように人生の中で巡ってくる。その「運」を捕まえるか、捕まえられないかは、「鈍」であり、日頃からじっくり腰を据え、愚直に努力をしているかどうか、「根」は、与えられたことを根気良く一生懸命努力することで、必ず道は開けると。それを教えていただきました。


私自身は水泳を辞めてから事業を始めたわけですが、当時は「フィットネス」という言葉はありませんでした。それでもこのビジネスを始めようと思った最大の理由は五輪選手として出場した1964年の東京五輪でメダルを獲得できなかったからです。当時、私たちは期待をされていました。正直に言って、私自身も出場できればメダルは獲れるだろうと、どこかで思っていたのですが、現実には獲れませんでした。それ以来、メダルを獲れなかったことに対する忸怩たる思いはずっと持っていました。私がこの事業を始めた契機は、次世代を担う選手を育てたいという気持ちがあったからなのです。


本来、企業が果たすべき役割は、そもそもうつ病を発症しない職場環境の整備にあります。治療する手立てはあっても、完治するには時間がかかります。ですから企業は、うつ病を事前に予防するような職場環境を実現するために、いち早く手を打っておく必要があるのです。うつ病防止は会社にとっても本人にとっても幸せなことですから、企業は戦略的に資金を投じて従業員の健康管理を積極的に行う必要があります。


後藤忠治の経歴・略歴

後藤忠治、ごとう・ただはる。日本のスイマー、経営者。「セントラルスポーツ」社長。日本大学商学部卒業後、大丸に入社。水泳男子100メートル自由形で日本新記録を達成。東京五輪に出場。現役引退後、東京工機を経てセントラルスポーツクラブを設立。多くのメダリストを輩出した。そのほか、(財)社会スポーツセンター会長などを務めた。

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