大谷米太郎の名言

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大谷米太郎のプロフィール

大谷米太郎、おおたに・よねたろう。大相撲力士、実業家。ホテルニューオータニの創業者。31歳まで小作農として働いたのち上京。大相撲の力士としてデビューするが幕下上位どまりとなり酒屋に転身、その後東京ロール製作所、大谷重工業を創業したのちホテルニューオータニを作った経営者

たった今から収入の一割の貯金をしたまえ。自分で苦労したタネ銭がなくては、芽も出てくるまい。


私はこの履歴書を記すにあたって、若い読者に言っておきたいことがある。それはたった今から、収入の一割を貯金したまえ。ということだ。私の履歴書は、この種銭を残すことのできない人にはわからない話である。タネがなくては、芽も出てくるまい。【覚書き:履歴書=日経新聞の私の履歴書】


手にひと包みの握り飯と20銭を懐に、私が初めて東京の士を踏んだのは31歳の春だった。1泊15銭の木賃宿に泊まった翌日、焼き芋で朝食を済ませ深川・高橋の荷揚げ人足に素足のままやっと拾われたのが初仕事だった。1俵23貫(約86kg)ある砂糖袋を2俵ずつ軽々と担いだから、その日の賃金は普通の人足の倍以上の1円28銭。この金で半纏(はんてん)、地下足袋の古物を一通りそろえ、どうやら人夫の仲間入りをしたわけだ。


大谷米太郎の経歴・略歴

大谷米太郎、おおたに・よねたろう。大相撲力士、実業家。ホテルニューオータニの創業者。31歳まで小作農として働いたのち上京。大相撲の力士としてデビューするが幕下上位どまりとなり酒屋に転身、その後東京ロール製作所、大谷重工業を創業したのちホテルニューオータニを作った経営者

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