唐池恒二の名言

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唐池恒二のプロフィール

唐池恒二、からいけ・こうじ。日本の経営者。「九州旅客鉄道(JR九州)」会長。大阪出身。京都大学法学部卒業後、日本国有鉄道(のちのJR)に入社。日本国有鉄道九州総局総務部人事課長などを務めたのち、分割民営化に伴いJR九州に入社。総務部勤労課副長、営業本部販売課副長、船舶事業部営業課長、船舶事業部次長、外食事業部長、JR九州フードサービス社長、JR九州経営企画部長、取締役、鉄道事業本部副本部長、旅行事業本部長、サービス部長、常務総合企画本部本部長などを経て社長に就任。

当社は災害といった危機を迎える度に立ち直り、這い上がってきた。


分割民営化当時はまさに逆境でした。ただ、それを全社員が承知していましたから、当社は何とかしなければならないという気持ちでスタートできました。


誰でも分かる身近な言葉を使い、いろいろなところで発信し続けると浸透していく。


お客様が少しでも心地よくなる、手間を惜しまない姿勢が高い付加価値となり、感動につながる。それこそが、ななつ星ブランドの真髄。


マニュアル通りのサービスに、お客様は価値を感じません。高いお金を払うだけの価値があるサービスか否か、必ず見抜きます。


組織はお役所的になりがちだからこそ、異端を尊ぶことに意味がある。そして果敢に挑戦した人をほめる。そうすると、放っておいても「みずからつくる」という社風が出来上がる。


「手間をかけよう、気を込めよう」。営業部長に就いた時も社長になっても、従業員に対してずっとこの言葉を繰り返し伝えてきた。


手間を掛けていないものをお客様は見抜きます。そんなものにお金を払おうとは思いません。


トップが夢を語り、それを全員で共有する。「夢見る力」で目標へと向かうことで、エネルギーが湧き上がってくる。


お客様は手間に対して価値を見いだしている。


「うまや」は外国人のお客さまがとても多いんです。これからのビジネスを考えるうえで、日本の文化や伝統は、キーワードになると思います。


コンセプトは自分で考えますね。おかげさまで「うまや」は国内で16店にまで増えました。中国・上海にも5店あります。


JR九州が上場するメリットは、「いざとなれば政府が助けてくれる」という甘えがなくなること。


地方活性化のためには、まず自分たちが住む場所に誇りを持つことが何より重要。


どう伝えればメッセージが社員やスタッフの胸に残り、「自分ごと」として受け止めてくれるのかについて、徹底的に考える。そのことが大切。


時代や歴史に裏打ちされた物語性がとても大切。それを欠いたものはヒットしない。


地域を元気にする、あるいはまちの賑わいをもう一度もたらす。まちの賑わいをつくることがまちづくり。


鉄道ファンだけをターゲットにしていても限界がある。ファン以外を取り込めば、市場は一気に広がる。


今までの鉄道会社の枠にとらわれず、新しいチャレンジをしていかなければ生き残れない。そんな危機感が、今のJR九州の社風を作った。


メモを取ることが大切。頭の中を巡っている悩みも、書き出してみたら意外と少なかったりするもの。


悩んだら声に出すといいでしょう。頭の中で考えるだけでなく、失敗しても「失敗したが、まあいいか」と声を出す。すると、悩みはスッキリ晴れます。


何でもかんでもアウトソーシングではいけない。みずから考え、みずからつくる。


異端を尊び、挑戦をたたえる社風をめざします。


「気」に満ちた仕事をすることが大事。人にも動物にも植物にも特有の気があります。さまざまな気を多く集めるところが繁盛するし、職員の元気も出るし、成功するものだと確信しています。気を集めるには、キビキビと動くこと、明るく元気であること、お客さまのことを常に意識して緊張感を持つこと、常に向上しようという貪欲ささを持つことが重要です。


成長するだけでなく、環境の変化に合わせて自ら変化しなければ企業は生き残れません。それは新しい事業に挑戦することだったり、社内組織を変えていくことだったりします。


昔は百貨店の屋上は楽しいものでした。しかし、時代が経つにつれて効率化の名の下に、屋上に力を入れなくなった。そこで、我々は時代の逆行をした。もっと楽しい屋上にしたいと考え、それまで駅ビルには来なかった若いお母さんと小さな子供が来るようになったのです。


私が「ななつ星」のクルーに求めていたのは、サービスする側とされる側の「二項対立」で考えることではありません。旅の間、あたかもパートナーや友だち、家族のように、お客様に寄り添うサービスについて考え、サービスを設計することでした。


お客様は、こちらの手間を見抜き、手間がかかっていない商品やサービスにはお金を払わない。「手間をかけることの大切さ」に社員一人ひとりが気づくことが、お客様から愛されるブランド構築の基。


当社の自慢は、風通しがいいこと。私がお笑い人間だからかもしれませんが、社員は平気でいろんな意見を提案してくる。時々、私は会長ではなく、単なる友だちだと思われているのではないかと思います(笑)。そんなフランクな空気も、上場の推進力になったと思っています。


言葉だけではなかなか伝わらないのは、ある意味当然のこと。そんな時に、いかに具体的にイメージさせられるかが大切。


世界的な著名人であっても特別扱いはしない。そんなポリシーの徹底が、ブランド維持には重要だということは、世界最高峰との誉れ高いレストラン「エル・ブジ」から学んだ。


私は子供の頃から、「何をどう伝えると、相手は反応してくれるのか」について、常に考えてきました。そして今も、「いつ、どんな言葉を発すると、相手に伝えたいことが伝わるか」を考えて発信しています。


以前、当社の理念は「地域貢献」でした。私はそれを「地域を元気に」と言い換えた。すると、地域の人々がうれしくなるようなサービスを提供しなければいけないなど、社員は役割をイメージしやすくなる。


「自分マーケティング」ができる人に共通するのは、他者が見過ごすものを見過ごさない力。


プロは、ある種の才能を持っていたり、ある段階に至っていれば、いわゆるビッグデータにもとづいてものをつくったりしません。己を頼んで、自身の感性や経験値、そして好みにもとづいたものづくりをし、そしてヒットを飛ばすんです。


鉄道・非鉄道部門で共通している一番の魂は「鉄道だ」「鉄道ではない」ということは関係なく、私たちが目指すべきものとして、「私たちJR九州が地域を元気にするんだ」ということを一番高い概念として掲げているということです。


まちづくりはハードたけではなくてソフトが大事なんです。そこでイベントをする、あるいは人が動く。そこを訪れる仕掛けをする。


やたらに手間をかければいいというものではありません。お客さまの感動につながらない手間は、単なる自己満足に過ぎず、コストと徒労だけを残します。「お客さまを喜ばせるためにやるんだ」という方向性が、手間には必要。


「ななつ星」では、博多を出発後にランチのにぎり寿司が出ますが、福岡で一番おいしいお寿司屋さんが毎回列車に乗り込み、握りたてをお客さまの目の前に出してくれるのです。これは手間以外の何ものでもありません。でも、それがお客さまを感動させるのです。


あるとき私は、工業デザイナーの水戸岡(鋭治)さんに「九州で豪華寝台列車を走らせたいんですけど」ともらしました。すると水戸岡さんも「実はぼくも、同じことを20数年前から考えていました」とおっしゃるんです。水戸岡さんはすぐにやる気になり、たった3週間で車両のデザインパース(完成予想図)をつくってこられました。それを私に見せると同時に、なんとメディアにも発表してしまったんです。私に無断で(笑)。その結果、週刊誌に「JR九州がいよいよ豪華寝台列車を走らせる」という記事が出てしまった。これはもう、やるしかないですよね。


鉄道は成熟産業です。東京の都心部を除けば、これから新たに線路を敷いたり、列車の運行本数を増やしたり、ということは考えられません。当社でも鉄道運輸収入は全体の4割。鉄道以外の事業を伸ばしていく必要があります。


「ななつ星」の客さまの平均年齢は65歳です。「ななつ星」のコンセプトは「新たな人生にめぐり逢う、旅」。車窓をぼんやり眺めながら、これまでの来し方を振り返っていただき、そしてこれからの人生に思いを馳せてほしい。それが新たな人生にめぐり逢うことになる。そう考えました。


やはり我々の会社は鉄道なくしてはすべての事業が成り立ちません。大半の事業は駅あるいは線路の近くでやっていますから。ローカル線もきちんと維持して、できれば少しでも発展させて、お客さまを増やす。そのうえで鉄道を取り巻く事業をもっと発展させていく。「ななつ星」はそのひとつです。鉄道を疎かにしてはいけないと思います。


豪華寝台列車「ななつ星」に乗車されるのは、偶然集まったというのではなく、「ななつ星」を目一杯楽しみたいという方ばかりです。お客さま同士が楽しさを高め合っていくようなところがあります。


豪華寝台列車「ななつ星」は30年ほど前、社外の友人に「九州に豪華な寝台列車を走らせたらヒットしますよ」と言われて、「これはいいアイデアだな」と思っていたんです。しかし当時の私は営業部販売課の副長。社長になるまで密かに企画をあたためていました。そして、社長就任後すぐに検討を指示しました。これは社長でないとできませんからね。


私はよく「お客様に対する気づきには三段階ある」と言っています。最初は、「お客様の存在に気づく」こと。次が「お客様の行動に気づく」こと。そして最後が「お客様の気持ちに気づく」こと。


私は「観光」という言葉が嫌いです。観光というのは中国の故事から来た言葉で、「光を観に来る」ということ。他から人に来てもらうことばかりが強調されて、双方向になっていない気がするからです。


お客様が何も言わなくても、その心中を推し量ってサービスをすることが大事。一見、大変そうですが、相手の気持ちになって考えれば難しくはないはずです。


券売機の前でうろうろしているお客様がいたら、「切符の買い方がわからないのかな」と気づき、聞かれる前に案内する。行動というシグナルにいかに気づくかが大事。


一度来てもらうだけでなく、何度も来てもらい、「定年後にはここに住みたい」と思ってもらえるまちにする。大事なのは観光活性化ではなくまちづくり。そのためには地域の人たちが自発的に「住みたいまち」にしなくてはいけない。ユニークな列車を走らせても、イベントを開いても意味はありません。


「荒波が来ても、真正面にぶつかれば転覆しない」。これは嵐の中での操船の心得です。どんなに大きな船でも、波から逃げようと横向きや後ろ向きになったら転覆してしまう。逃げずに真正面から立ち向かう重要性を教えてもらった言葉です。


会うのが嫌な人には、なるべく早く会いに行くことが大事。上司と部下との関係でもクレームでも、すぐ会わなければ会わないほど、問題は大きくなります。


JR九州では、ほとんどの社員が鉄道以外の業務に一度は出向します。むしろ、ずっと鉄道事業のままだと「俺、出世コースから外れたんじゃないか?」と不安になるそうです。こんな鉄道会社、他にないですよ。


九州には山手線や東海道新幹線といったドル箱路線はありません。何もない中での、逆境からのスタートだった。だからこそ、新しいことに挑戦するしかなかった。


鉄道ファンには怒られてしまいますが、実は私はそもそも鉄道があまり好きではないのです。旧国鉄に入ったのも、先に国鉄に就職していた柔道部の先輩に餃子を大量におごってもらったから。今思えばずいぶん安い契約金でした(笑)。ただ、だからこそ鉄道好きではない人の気持ちがわかる。たとえばSLを復活させるにあたり、鉄道ファンからは「昔のままの姿で」と要望が来るわけですが、私は鉄道ファンではないから聞き流してしまう。むしろ「どうしたら若い女性や親子連れに乗ってもらえるか」を考え、現代風にリニューアルするわけです。


最初は、あまり賛成の空気はなかったです。なぜなら自分たちが経験したことがなかったからです。裕福でゴージャスな旅行をしたことがないのです。ですから、「ななつ星」を準備するチームにはヨーロッパなどにある豪華列車に手分けして乗せに行きました。私も乗りに行きましたが、どこの列車もほとんど平日でも満室に近い。「これはいける」。そう感じました。
【覚え書き|ななつ星の高額料金設定について】


当社の2016年までの5か年計画に、「異端を尊び、挑戦をたたえる」という一文が入っています。私は社員から提案されたこの言葉が好きで、迷わず採用を決めました。正統派も異端もない。誰もが挑戦できる風通しのいい社風が、新しいことを生み出し、進化できる当社の活力にもなっています。


私はななつ星には、他の列車とは違うんだという特別感を漂わせたかった。そこであえて、事前情報の発信を制限しました。広告を出したのは、新聞1紙と月刊誌2誌だけ。駅貼りのポスターをはじめ、宣伝広告はほとんどしませんでした。隠されるとますます見たくなるのが人の心理ですよね。広告宣伝しないことが宣伝となり、注目度と期待値を上げることができました。


「ななつ星」は専用窓口を設けて、コネやツテは一切禁じ、厳正な抽選を行うことを決めました。たとえ当社の経営陣といえども、「口利き」は一切できません。これは私自身も例外ではなく、実際に王貞治さんから電話を頂いたこともあります。さすがに世界の王さんですからむげには断れませんでしたが、一晩考えてから断りました。さすがに「世界の王」と言われる方だけあって、すぐに納得してくださいました。その後も今に至るまで、同様の相談はたくさん頂きますが、「あの王さんにもお断りしたんです」と伝えると、皆さん素直に納得してくださいますね。


夢を共有すると、ワクワクする気持ちがどんどん波及していく。特に地元メデイアの記者は、九州から生まれたこのななつ星を、全国に発信しなければいけないという使命感を持って記事を書いてくれていたように思います。ななつ星が話題になるにつれ、東京の本社から、「もっとななつ星について書いてくれ」と指示があり、うれしかったそうです。「九州から世界一を生む」ということに、一緒になって喜び、同じ九州で暮らす者として誇りを持ってくれたのだと思います。


私はななつ星事業をスタートさせた時に、「世界一を目指そう」というビジョンを、プロジェクトに関わる社員やスタッフに伝えました。夢を語ると、参加するメンバーはまず「何をもって世界一なのか」と考える。そして一人ひとりが考えたことを持ち寄り、皆で話し合うことで、チームとしての価値観が醸成されたり、一体感が生まれたりする。


お客様は手間にお金を払います。それが1990年代、私がジェイアール九州フードサービスの社長在任時に学んだことです。当時、西鹿児島駅(のちの鹿児島中央駅)にあった直営カレー店は非常に売り上げがよかった秘訣は何種類にも及ぶスパイスを調合し、鉄板で炒めるという「手間」にありました。しかし、私が社長を交代した後にコスト削減を優先してレトルトカレーに変更したことから、売り上げが瞬く間に半減した。ちなみにこのお店は、私が社長に再び就任した時に手づくりの味に戻したところ、売り上げを回復させることができました。


国鉄時代、九州に約2万7000人いた社員はJR九州発足時には約1万5000人に減り、鉄道から離れることになった仲間は数千人もいた。つまり私たちは実質的に、倒産と同じ経験をしたのです。その無念さや悔しさ、そして本州3社に追いつくんだという意地に加え、大赤字なのに収益事業がないという事実に対する危機感を原動力にしてきました。


唐池恒二の経歴・略歴

唐池恒二、からいけ・こうじ。日本の経営者。「九州旅客鉄道(JR九州)」会長。大阪出身。京都大学法学部卒業後、日本国有鉄道(のちのJR)に入社。日本国有鉄道九州総局総務部人事課長などを務めたのち、分割民営化に伴いJR九州に入社。総務部勤労課副長、営業本部販売課副長、船舶事業部営業課長、船舶事業部次長、外食事業部長、JR九州フードサービス社長、JR九州経営企画部長、取締役、鉄道事業本部副本部長、旅行事業本部長、サービス部長、常務総合企画本部本部長などを経て社長に就任。

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