古橋広之進(古橋廣之進)の名言

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古橋広之進(古橋廣之進)のプロフィール

古橋広之進(廣之進)、ふるはし・ひろのしん。水泳選手、コーチ。第二次世界大戦後の水泳界で活躍し「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた選手。現役ピーク時まで、日本がまだ世界水泳連盟から離れたままだったのでオリンピックなどの世界大会に出られなかった。主な競技は400m自由形。引退後は日本大学の教授や日本水泳連盟会長、日本オリンピック委員会会長などを務め日本水泳界の発展に寄与した。

大きな目標をもって一筋に努力し、工夫し、苦しみにも耐えてこそ、大きく成長していけるものだ。


ハンディがあったからこそ、それをどのように乗り越えたらいいかということを考え、人のやらないことをやった。こういう発想ができたことが、ものすごくプラスになった。


僕はハンディを抱えているので人の何倍もやらなければダメだと考え、人が5やれば10やる、10やれば20やるというように人の倍々とやっていった。


別にどうということはありません。ただ自分は800(メートル)を泳ぐときは700、1500を泳ぐときは1300と考えて全力で泳ぎます。そうするとあとの100、200は苦しさで腕が肩から抜けそうです。このラストが記録の勝負です。自分はラストの分秒に捨て身の逆転を狙って賭けます。これは意地ですね。


人間というのは、どこも具合の悪いところがないと、あまり頑張らずに、これだけやっているからいいんじゃないかと考えてしまう。ところが我々ハンディを抱える者は、どうしたら皆よりできるのかを、自分なりに工夫するわけです。そういうことをやることによって、精神的にも絶対に負けない、へこたれないぞという気持ちになる。それが結局いろいろと精進するきっかけとなった。


僕は左手をケガしていますから、泳いでもどんどん手から水が漏れてしまい、うまく水をかけないんです。左手はもうとてもじゃないけど使えないからそれならば右手を鍛える。また、足を使ってやるようにもしなければいけないから、泳ぎ方はふつうの泳ぎ方ではない泳ぎ方にしてしまったんです。そういう工夫というのは、ハンディがあったからこそできた。


古橋広之進(古橋廣之進)の経歴・略歴

古橋広之進(廣之進)、ふるはし・ひろのしん。水泳選手、コーチ。第二次世界大戦後の水泳界で活躍し「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた選手。現役ピーク時まで、日本がまだ世界水泳連盟から離れたままだったのでオリンピックなどの世界大会に出られなかった。主な競技は400m自由形。引退後は日本大学の教授や日本水泳連盟会長、日本オリンピック委員会会長などを務め日本水泳界の発展に寄与した。

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