北尾吉孝の名言

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北尾吉孝のプロフィール

北尾吉孝、きたお・よしたか。日本の経営者。SBIホールディングスCEO。兵庫県出身。慶應義塾大学経済学部卒業後、野村証券に入社。その後、ケンブリッジ大学に留学。野村証券海外投資顧問室、第二事業法人部次長、ワッサースタイン・ペレラ社常務(ロンドン)、野村企業情報取締役、野村証券事業法人三部長を経たのち、ソフトバンクに移り常務に就任。ソフトバンク・インベストメント(のちのSBIホールディングス)社長となった。

一番大切なのはやはり志に尽きる。理想を掲げ、何とかして成し遂げようとする意志を持つべき。


基本概念は「世のため人のため」。顧客中心主義を貫けない企業はいずれ滅んでいく。


努力を尽くした後の最後の最後には、運に身を任せることも必要。最後は、任運・任天。


あれが駄目、これが駄目だというのは簡単ですが、それでは成長の芽を摘んでしまう可能性がある。


ただ厳しいだけでは人は付いてきません。組織を大きくする上でも、愛情を持って人と接することは大事。


人は土壇場でこそ真の力を発揮する。


「目は口程にものを言う」という故事があるように、その人の目を見ていれば色々なことが分かってくる。


やる前から「危ない」、「リスクが高い」などという議論をしている暇はない。


欲の無い人間はいませんが、一方でそれを律しなければなりません。


人間は生まれた時には無垢な気持ちを持っていますが、その綺麗な心もいつの間にか曇ってしまう。それをいかにして磨いていくかが大切。


経営者は日々、一歩間違えば会社の屋台骨を揺るがすような判断を迫られます。そんなときに一番やってはいけないのは、軸がブレてしまうこと。


熱意というものは確実に伝わって行きますし、その熱意があれば次第に人は感化されて行くものです。


自らがやってみせねば熱意など人には伝わりませんし、その人が本当に熱意を持っているということにもなりません。


最終的に決裁するのは人です。特に経営者やリーダーは決裁するためにいると言っても過言ではありません。


私が「人」にこだわるのは、物事のイノベーションは人の行いだと考えるからです。まさに人材こそ差別化を生み出す源泉といえます。


戦略とは経営者自身の自問自答の結果生まれてくるものです。戦略に納得がいくかどうか、そしてそれを証明する根拠があるかどうかと自問自答を繰り返すことで、より大きな戦略になります。


戦略を打ち立てる場合、用意周到に進めながら、タイミングをしっかりと考えなければなりません。つまり、「天の時」を得ることが大切です。


リーダーに一番大切なのは一言で言えば情熱です。情熱を持っていなくては始まりません。


事業というのは一人ではできません。自分の周りの自分よりも優秀な人、あるいはそれぞれの分野で優れた人が集って初めて事業になるわけです。


小さな志なしに、大きな志は持てません。自分を律する気持ち、それから人の何倍もの努力が必要です。単に大きな志を持っているだけでは、夢想家になってしまいます。


小成に安んずることなく、やりかけたら男子一生。夢や志を持ちながら、中途半端に満足していたら、私の人生は終えきれません。


結局、事業の基は徳です。徳のない事業は成長しないと思います。「世のため、人のため」。これが成長する秘訣でしょう。


才能はそんなに大きな差はなく、努力をするかしないかの方がよほど重要です。


人に「人徳」があるように、会社には「社徳」があると思います。会社の「社徳」には上から下まで徳性の高い、よく磨かれた人が必要です。


「野心」ではなく「志」を持っていることが、経営者に一番求められるんではないでしょうか。


営業はASP、つまり「アナリシス(分析)」「ストラテジー(戦略)」「プラクティス(実行)」が肝要です。


ひとつの欲求から派生するあらゆるニーズをワンストップで提供できたら、お客さんは他に行く必要がない。


重要な決断をする際は、何を基準にすればいいのだろう。それは、自分の良心だ。


苦境に立たされても動じず、むしろそれを好機ととらえられるようになったら、そのときはもう何が起ころうとビクビクすることばない。


志ばかりを高らかにうたい、利益を求めることを二の次にしたら、ビジネスはうまくいかない。


まともな動機とやり方できちんと儲けて、その金を私利私欲ではなく、他人や社会のために使えばいい。そうすれば、それは巡り巡って最後には自分に返ってくる。


どこの国でも人間性の基本は変わりません。髪の色や肌の色が違っても、交渉するうえで一番大切なことは誠実さです。小手先のテクニックは、誠実さには絶対におよびません。


SBIグループが急成長できたのは、時流に乗ること、そしてCS(顧客満足)を高めることを徹底してきたからです。


自己進化できない企業は、いかなる大企業であっても30年で滅びます。


企業を持続的に成長させていくには、時間の経過とともに伸びていく業態を選択しなければダメです。


自己否定をできず、成功体験にあぐらをかいていると、自社を取り巻く状況が変化したときに必ずやられてしまいます。


時代が変われば環境が変わります。ビジネスは時代の潮流に乗らなければなりません。同じことを続けるのではなく、変化することも必要です。


今も昔も人間はそんなに変わっていません。このことを知ると、新たなビジネスのヒントになります。


知識は、それだけでは何にもなりません。学んだことをどう活かすかを考える。活かし方がわかって初めて意味を持つのです。


時代が変われば、非常識が常識に、不可能が可能に変わることがあります。時代に合わせて、柔軟に考えることが必要です。


人に「人徳」があるように、会社には「社徳」がある。会社は強いだけではいけません。強くて尊敬される会社にしなければいけない。


「志」は「士」に「心」と書きますね。「士」のうちの「十」は一般大衆を表し、「一」は、彼らを率いる指導者を表す。方向性を与え、責任を担うのがリーダー。


人をいかに育てていくかが、イノベーションが起こるか起こらないかを決定します。


「忙しい」という漢字は、「心を亡(な)くす」と書きます。心を亡くしてはいい仕事はできませんから、心に落ち着きと静けさを持つことが非常に大切。


長時間集中力を持続させることは不可能であり、「急急だらり急だらり」の「だらり」も必要。


私自身、思い立ったらすぐ行動するタイプなので、できるだけ身軽でいたいと思っています。ですから持ち物は最小限にしています。


習慣とはその人の「第二の天性」であり、人間を構成する四要素として徳性・技能・知性と並び非常に大切なもの。


何を実現するにも最後は行動力が必要。どんなに優れた企画があっても、それを実現するために行動力がなければすべては絵に描いた餅でしかない。


どんな事業にもリスクがあるのは当たり前。大事なことはどうすればそれを会社の経営に支障をきたさない範囲にとどめることができるかということ。


経営者や社員が意思決定をする上での指針を決めることが重要です。それがないと軸足を失い、判断がブレます。


わが社にはおよそ100の子会社があり、ややこしい意思決定ほど私のもとに来ます。でも私は、これまでの意思決定にほとんど間違いはないと自負しています。常に「信・義・仁」に基づいて判断しているからです。「信」とは社会からの信頼を失わないか、「義」とは社会正義に則っているか、「仁」とは他者を思いやっているか、を指します。


私は才(能力や才能)よりも徳(良識や見識)を重視します。企業が徳を高めるには、全役職員が徳を高めること、つまり高い倫理的価値観を持つことが必要だと思います。一見、組織は「才人」が引っ張ったほうがよいように思いますが、才能だけで良識・見識のない者がトップに立つと、組織は崩壊します。


経営者には、運も必要です。運とは博打のようですが、私は、努力次第で高めることができるものだと信じています。必要なのは、自分ができることを一心不乱に続けることです。私もみずからの天命を全うすべく、がんばり続けます。


人を率いる立場である以上、人とのご縁は大切にせねばなりません。本当のご縁とは、相手がどんな立場になっても続くものだと思います。


どんなに素晴らしいビジネスモデルであっても、経営者が私利私欲にまみれていたら失敗します。当社の投資の成功確率が高い理由は、私が一人一人の経営者と面談し、志ある経営者の企業にしか投資していないからではないでしょうか。


企業に投資をする際、私はその企業の後継者や右腕といった「二番手」の存在を重視します。事業の永続性を担保したいという意向もありますが、本当に確認したいのは、「二番手」になれるような人が惹きつけられるほどの志と人間的魅力がその企業の経営者にあるのか、という点です。


私は企業価値を、「顧客価値」「株主価値」「人材価値」の総和だと考えています。「顧客価値」とは企業が提供する財・サービスに対して顧客が支払うキャッシュフロー、「株主価値」は時価総額あるいは将来受け取りが予想されるフリーキャッシュフロー(純現金収支)の現在価値、「人材価値」とは競争力の源泉である差別化をもたらす主因、と言えます。このモデルでは、顧客によい商品を提供すれば利益が生まれ、その利益は株主価値を高めると同時に人材投資に回ります。そうして得られたよき人材がさらに良い製品を生み出せば、価値が循環しながら増殖するのです。これまでは、数値化しやすいこともあって、「株主価値」を企業価値ととらえていましたが、少し狭い概念だと思います。


インターネット時代に入り、人と会話せずに商品を買えるようになりました。そんな人と人とのふれ合いがなくなりつつある時代だからこそ、企業は「仁」の思想を持ち、社会的な存在であるという原点に立ち返るべきだと思っています。「仁」とは、「にんべん」に「二」、つまり二人の人間が意思疎通を図るうちに、「恕」という働きが起こり、わが心の如く、相手のことを考える、思いやりの気持ちを意味します。


自分の能力を自分で限定し自らの限界を自ら規定しないためにも、夢は出来るだけ大きく持ち続けるということが大事だと思います。


一つの目的を達成した時に、満足感を得「良かった、良かった」で終わりにしたり燃え尽きたりするのでなく、世のため人のためという大志を有して夢を膨らませ夢を抱き続けねばならない。


夫が家庭のお金を管理すれば、夫婦間の会話も増えます。電気製品が故障したので買い替えるとか、子供の学費がどれだけいるとか、家計の面から自然と会話ができます。


我が家ではずっと、僕が嫁さんにお小遣いをあげています(笑)。渡した範囲で賄ってもらいます。足らなくなったらいつでも言ってきなさいという世界を作り上げました。だから家内は今でも僕がナンボもらって、いくら使っているか、まったく知らず、興味もありません。


(ケンブリッジ大学留学時)はじめは英語がしゃべれない。だから、英国人の学生を誘って、食べながら会話の勉強をしたわけです。とてもいい勉強になりました。家庭教師代と思えば食事代ぐらい安いものです。そのうえ友達もでき、英国人を知ることにも役立ちました。こういうときにケチらない。これも自分に対する先行投資です。生きたお金の使い方が大事だということです。


株式市場には先行性があります。経済の回復を見越して早めに動きます。いち早い決断のためには、そのことも忘れてはなりません。


飲みに行ったとき、部下に払わせたり割り勘にしたことは一度もないし、個人的に行くのだから経費では落としません。いまでも会社の交際費は、ものすごく厳しくしていて、僕自身ほとんど使いません。したがって部下も使いません。会社の決算後の打ち上げや、新入社員を10人ぐらいずつ連れての飲食のときなども、僕が払います。


服を買うのもサラリーマンには大切な投資でしょう。無理をしてもスーツは5着は持って毎日変えた方がいい。僕はそうしてきました。その方が長持ちもします。ぶら下がり(既製のスーツ)は着ません。いつも仕立ててもらいます。いいモノを買って長く大切に使います。


不動産の市況は株式市況に比べると、1年遅れます。ピークは株のピークの一年後にきます。経済をマクロでずっと観察していれば、そういうことがわかってきます。近年でも不動産価格がガタッと落ちた時期に、最低だと判断したタイミングでマンションを複数買いました。とくに、僕がカラーエリアと呼ぶ、白金、赤坂、銀座など、地名に色が付く地域です。まさに上昇に転ずる前で、その後に全部売却しましたが、大幅に利売りでした。


独身だったので借金でもしないと、給料はみな飲み代に消えるだけ。ローン返済は自分にとっての強制貯金だとも考えました。
【覚書き|北品川の3LDKマンションを自宅用に購入したことを振り返っての発言。経済動向への読みが当たり、同物件はその後、2.5倍以上の価格で売却できた】


成長企業を見極めるポイントは、パーキャピタルです。つまり従業員一人あたりの利益の絶対額です。重電やコンピュータの日立製作所や、富士通、NECなどの製造業はこの数値が下がっています。一方、誕生後あっという間に時価総額十傑入りしたグーグルは、その額が非常に高い。


株式投資の場合、ファンダメンタルズのいい会社、つまり企業として基本的な収益力を備えた会社を選ぶことです。それが長期投資を可能にします。株価が下がっても焦って売る必要がないからです。「辛抱万人力」という言葉がありますが、ファンダメンタルズのいい会社なら、しばらく辛抱して相場全体の回復を待てばいいのです。


お金のこと、資産運用に関して熱心に勉強して正しい知識を身につけることは、決していやしいことではありません。それどころか、生きていくうえで非常に大切だということです。


私自身は、個人的に投資で儲けようと思えばいくらでも可能でしょう。相場観は比較的いいからです。野村証券ニューヨーク支店勤務時代、アメリカで日本企業の株を売り込む仕事をしていましたが、私が毎朝各リポートは機関投資家やポートフォリオマネジャーに「よく当たる」と高く評価されたものでした。しかし、私は基本的に、お金は自分の身につくものしか身につかないと考えています。だから、私利私欲で必要以上に大金を儲けようとあくせくする気はありません。


大金はハングリー精神を失わせ、私利私欲は志を曇らせます。諸葛亮孔明の遺言にあるように、「澹泊(たんぱく、淡泊)にあらざれば、もって志を明らかにするなく……」です。


お金は人を狂わせます。持ったら持ったで、さらに欲が出る。次に、失いたくないという気持ちが強まり、次第に人間を変えてしまいます。そういう例を、いくつも目の当たりにしてきました。ストックオプション、株式の新規公開でいちどに大きな利益を得た人が、その後、他人に対して傲慢な態度をとってしまうのを見て、「お金って怖いなあ」と感じたことが何度もありました。


私はお金に対しては非常に淡泊であることを基本姿勢にしてきました。これまで一度たりとも自分の報酬、金銭的待遇を巡って自分の側から交渉したり、人と争ったことはありません。「死生命あり。富貴天にあり」と論語にあるように、金持ちになるかどうか、偉くなるかどうか否かは天の配剤だと割り切っているからです。


「死地に陥れてしかる後に生き、これを亡地においてしかる後に存す」は十八史略にある言葉ですが、自分を絶体絶命の状況に追いやり、そこに生き延びてこそ強い自分ができるという考え方です。艱難辛苦こそが自分を鍛え、磨き、成長させるチャンスだと感謝しています。


私は若いときから、あえて自らを艱難辛苦(かんなんしんく)の中に置くようにしてきました。たとえば野村証券時代、「業績を上げたから、次はどこでも君の好きなところに行かせてやる」と言われた私は、当時、海外支店の花形だったロンドンではなく、業績不振のニューヨークを選びました。そこで自分を鍛えるのが一番実力を身に付けることになるだろうと考えたからです。


人は様々な原因で落ち込みます。しかし、そういうときに「これは自分への試練だ。天が与えてくれた試練だ。これを克服してこそ、より強い自分になれる。そういうチャンスなんだ」と考えればどうでしょう。こう考えればストレスなど溜まりません。


ストレスを抱える人が多いといわれる時代ですが、ストレスが生じる理由のひとつに、高望みしすぎるということがあるのではないでしょうか。バラ色のストーリーを描きすぎるということです。ものごとは9割方うまくいかないものだと考えればいいのです。うまくいかなくて当たり前だと思えばこそ知恵も出ます。A案が駄目ならB案、C案でと用意する。A案だけ考えて、うまくいくはずだと思うから、駄目だったときに打ちひしがれてしまうのです。


論語には「死生命あり、富貴天にあり」とあります。生きるか死ぬかは、これまさに天命。金持ちになるか貴くなるか、これもまた天の配剤だという意味です。このように、天の配剤だと解釈すれば気が楽になります。私も最近では、仕事がうまくいかなかったとき、「これは天命だろう。お前は修養が足りないから天が苦難をわざわざ与えてくれているんだ。ありがたい」と思えるようになりました。投げやりとは違います。準備計画、やるべきことは十分にやったうえで、その先は天に任せるということです。


彼女にフラれて自殺まで考える若者もいますが、そんなときも「自分に合わない相手だったから天が引き離してくれたんだ。もっと素晴らしい人を与えてくれるに違いない」と思えばいいのです。


自分に起きたことはみな天の配剤だと思って受け入れる。これは私の考え方の基本にあるものです。だからクヨクヨ悩んだりもしません。たとえば、ある会社を買収しようとして上手くいかなかった場合、「ああよかった。これはきっと天が買収しない方がいいからと、そう仕向けたんだ。買収したら何か問題が起こったに違いない。そんなことに資金を使わずに済んでよかった」と考えます。


人を動かすには率先垂範が必要。そして褒めることも大事です。私は部下が仕事で失敗したときも、なるべく勇気を与えるような叱り方を心がけています。たとえば「お前ほどのやつが(なぜこんな失敗を)」という言い方をします。上司も言葉を選ばなければなりません。


部下に対する言い方、接し方にも法があります。「部下が言うことを聞いてくれない」と、イライラしている人もいるでしょう。多くの場合、相手に変化を求めがちですが、実は変わるべきは自分のほうなのかもしれません。論語には「その身正しければ令(命令)せざれども行わる。その身正しからざれば令すといえども従わず」とあります。率先垂範、みんなの先に立ち身を修め、口先だけでなく実践し後ろ姿で導く。それが上に立つ者の基本条件だということです。


父が頻繁に引用したのは「天網恢恢(てんもうかいかい)、疎にして漏らさず」という老子の有名な言葉です。私が悪さを働いたときなど、その意味を懇々と説明したものです。天の網の目というのは粗いように見えるが、決して悪事を見逃すことはないと。人が何をするか天がちゃんと見ているぞというのです。悪いことをすれば天が見ていて必ず天罰が下るという意識が、いまの日本人には欠けてしまっているように思います。


摩擦や軋轢を恐れて言うべきことを言わないのは組織にとってマイナスですしストレスも溜まります。ただ、同じ諫言にしても言い方があります。「長幼序あり」で、先輩や上司に対しては、諌め方、諭し方にもおのずと礼節が必要。それをわきまえたうえで、言うべきことはおおいに言うべきです。


私はソフトバンクの孫正義さんに10年余り仕えましたが、経営会議では孫さんのぶち上げる途方もない買収提案にストップをかけるのが大きな役割でした。次々に計画する大型買収にCFO(最高財務責任者)として真正面から反対を唱えたことが何度もあります。「駄目です。それをやったら会社はつぶれます」とズバリ言ったこともあります。


企業は人間が集まってつくりあげている組織。だから、人間関係を保つことは不可欠の要素です。しかし、それは単に摩擦や軋轢を避けて事なかれ主義で表面的にうまくやっていけばいいということでは決してありません。言うべきことは言う。問題は言い方です。


後に総理大臣となった広田弘毅は、若いころ左遷されたときに、次のような句を詠んでいます。「風車(かざぐるま)風が吹くまで 昼寝かな」。閑にあって、見事なまでに恬淡(てんたん。無欲なさま)としています。このぐらいの心の余裕が欲しいものです。


中国古典は自分自身を深く知るためのヒントとなってくれるものです。自分自身のことがわかる、つまり自得こそ、あらゆる行動の前提です。自分がわからなければ、いかに生きるべきかもわかるはずがありません。


古典というと、若い人は「難しそうだし、すぐに役に立つわけでもないし」と敬遠しがちですが、急がず回れという言葉もあります。読む人によって響き方の異なる中国古典は、すぐに役立つと宣伝されるハウツー本などより、じつはずっと即効性があり役立つと言うべきです。ビジネスの上でも、個人生活の上でも、判断や行動のものさしとなるものだからです。


三国志時代の名参謀として知られる諸葛亮孔明は、8歳の息子に次のような言葉を残しています。「淡泊にあらざれば、もって志を明らかにすることなく、寧静(ねいせい)にあらざれば、もって遠きを致すなし」。私利私欲に溺れず淡泊でなければ、志を明らかにし、かつそれを保ち続けることはできない。また、落ち着いてゆったりした気持ちでないと、遠大な境地に立つことはできない。セコセコ、ガサガサするな。右往左往しては駄目だという教えです。


中国古典は読んだ人によってさまざまな響き方をします。また、同じ人であっても直面している問題の種類、経験の深さ、人生の時期など、その時々に応じてどの言葉に気持ちを動かされるかは異なってきます。勇気を与えられたり、戒められたり、諭されたり、読み返すたびに新しい発見があります。それが、たくさんの名言に満ちた中国古典の持つ力なのです。


誠実とは、嘘をつかないとか約束を守るといったことだけなのでしょうか。私は自分の意見や立場を明確にすることも含まれていると思っています。日和見主義やグレーな意思表示は不誠実なことだと思うのです。


韓非子には「巧詐(こうさ)は拙誠(せっせい)にしかず」という言葉があります。人の心を動かすには誠実さが一番だという真理が、まさに短い言葉でズバリと語られています。巧みな言葉で欺くようにして人の心に取り入ろうとするより、たとえ拙い言葉であり下手な対応であっても誠実であることが何よりも大切だということです。


論語には自分が何か問題に直面したときに答えとなる言葉が必ず潜んでいます。論語は孔子と高弟の言行を記録したものですが、二千数百年以上も前の言葉が、いまも生きた言葉として我々の心に響き、あるいは突き刺さってくるのです。人間が生きていくうえで必要なもの、大切なこと。その真髄は、大昔から何も変わっていないということなのでしょう。


悩む私の脳裏に、ふとひとつの言葉が浮かびました。若いときから親しみ愛読してきた論語の中にある言葉です。「徳ある者は必ず言あり、言ある者は必ずしも徳あらず」。この言葉の前半は「徳の高い者は必ず自分の主義主張、意見を持っている。それを堂々と言いなさい、そうでなければ世の中は良くならない」という教えです。世のため人のためなら自分が正しいと考えたことをはっきり決断すべきだと決断したのです。


部下を叱るときの基本は、何を理由に叱られているのかをきちんと相手に納得させることです。どこが間違っていたのかを理解させて初めて、叱ることが意味を持つのです。そうすれば同じ轍を踏むことはありません。


はっきりとモノを言うタイプなので、若いころは生意気だとよく言われました。それは会社のためになっているのか。社会正義と照らして正しい選択なのか。きちんと判断したうえで言うべきことを言うのなら、上司との摩擦や軋轢をあまり気にする必要はないと思います。


教えるという気持ちを持つということは、その人を伸ばすということであり、その人に対する愛情なんです。叱る側は、そうした気持ちを持たなければなりません。そして叱り終えれば、さっぱりと気分を変えることです。


北尾吉孝の経歴・略歴

北尾吉孝、きたお・よしたか。日本の経営者。SBIホールディングスCEO。兵庫県出身。慶應義塾大学経済学部卒業後、野村証券に入社。その後、ケンブリッジ大学に留学。野村証券海外投資顧問室、第二事業法人部次長、ワッサースタイン・ペレラ社常務(ロンドン)、野村企業情報取締役、野村証券事業法人三部長を経たのち、ソフトバンクに移り常務に就任。ソフトバンク・インベストメント(のちのSBIホールディングス)社長となった。

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