ゲーテの名言 一覧

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ゲーテのプロフィール

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。ドイツの詩人、劇作家、小説家、哲学者、自然科学者、政治家、法律家。ドイツを代表する文豪。『若きウェルテルの悩み』『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』『ヘルマンとドロテーア』『ファウスト』など多くの名作を残す。文筆家としての活躍と同時にヴァイマル公国の宰相としても実績を残した

平和は、人類最高の理想なり。


ひとつの害悪を逃れようとする者は、いつも自分の欲する所を知っているが、自分の持つものよりもよいことを欲する者はまったくの貪欲者だ。


何もかも独学で覚えたというのは、褒めるべきこととはいえず、むしろ非難すべきこと。


人間が自分に与えることのできる最も驚くべき教養は、他の人たちは自分のことなど求めてはいない、という確信である。


私はつくりあげてしまった作品には、かなり冷淡なほうだった。いつまでもそれに執着しないで、すぐに新しい作品のプランを練った。


最も偉大な芸術とは、自分を限定し、他から隔離するものをいうのだ。


生まれてからずっと、世界は自分に影響を与え続けている。だから独創性ということに対する一種の幻想はやめたまえ。


思い高ぶらない人間は、本人が信じているよりもはるかに大した人物である。


「処世の掟」
気持ちよい生活をつくろうと思ったら、済んだことをくよくよせぬこと、滅多なことに腹を立てぬこと、いつも現在を楽しむこと、とりわけ人を憎まぬこと、未来を神に任せること。


我々が不幸または自分の誤りによって陥る心の悩みを、知性はまったく癒すことができない。理性もほとんどできない。時間がかなり癒してくれる。これにひきかえ、固い決意の活動は一切を癒すことができる。


仮説は、建築する前に設けられ、建物が出来上がると取り払われる足場である。足場は作業する人になくてはならない。ただ、作業する人は足場を建物だと思ってはならない。


自己の誤りから脱することは困難である。往々にして偉大な精神や才能の人においてさえ不可能である。


空はどこに行っても青いということを知るために、世界を回ってみる必要はない。


批評に対して自分を防衛することはできない。これをものとせずに行動すべきである。そうすれば、次第に批評も気にならなくなる。


どんな場合にも口論なんぞする気になるな。賢い人でも無知な者と争うと、無知に陥ってしまう。


気分がどうのこうのといって、何になりますか。ぐずぐずしている人間に気分なんか湧きはしません。今日できないようなら、明日も駄目です。一日だって、無駄に過ごしてはいけません。


ひとつのところに執着するな。元気よく思い切って、元気よく出でよ!頭と腕に快活な力があれば、どこに行ってもうちにいるようなもの。太陽を楽しめば、どんな心配もなくなる。この世の中で気晴らしするように。世界はこんなに広い。


忘恩は一種の弱点である。有能な人で忘恩だったというのを、私はまだ見たことがない。


真剣さなくしては、この世で何事も成し遂げることができない。教養のある人と呼ばれる人たちの間に、真剣さはほとんど見出されない実情である。


鍛冶場では、火を吹き、鉄棒から余計な成分を除いて、鉄をやわらかにする。純粋になったところで鉄棒を打ち、強い力を加える。そしてほかの水の成分によって、鉄棒は再び強くなる。同様のことが、人に対してもその師によって行われる。


仕事の圧迫は心にとって極めてありがたいものだ。その重荷から解放されると、心は一段と自由に遊び、生活を楽しむ。仕事をせずにのんびりしている人間ほどみじめなものはない。そんな人はどんなに美しい天分も厭(いと)わしく感じる。


権威は真理と同様に誤りを伴うものである。それは、個々のもとのして消滅すべきものを永遠に伝え、堅く保持させるべきものを拒み消滅させる。こうして権威は往々に人類をして一歩も先へ歩かせぬようにする原因となる。


学術においても、実際は人は何も知ることはできない。つねに実践が必要である。


青年は教えられるより、刺激されることを欲する。


人はいつも考えているものだよ。利口になるには歳をとらねばいけないとね。だが実のところ、人は歳をとると、以前のように賢明に身を保つことは難しくなってくる。


いつも遠くへばかり行こうとするのか。見よ、よきものは身近にあるのを。ただ幸福のつかみ方を学べばよいのだ。幸福はいつも目の前にあるのだ。


喜んで行い、行ったことを喜べる人は幸福である。


時を短くするもの―――それは活動。
時を耐えがたく長くするもの―――それは怠惰。


自分にできること、あるいは夢に思い描いていることは、すべて実行に移すことだ。大胆であれば、非凡な能力と不思議な力を発揮できる。


何ごともはじめは難しいということわざは、ある意味では真理かもしれないが、より一般的には何事もはじめは容易だ。最後の段階に登ることこそ一番難しく、これに登り得る人間は稀だと言える。


まだ日が暮れない。働くのだ、飽くことなく。そのうち誰も働くことのできない死が来るのだから。


人間の魂は、つねに耕される田畑のようなものである。よその国から種を取り寄せ、それを選抜し、蒔くのに時をかける注意深い園芸家であるのは屈辱的なことであろうか。種子を手に入れ、選抜することが、そんなに早くできるものであろうか。


若くして求めれば、老いて豊かである。


人間の最大の価値は、人間が外界の事情にできるだけ左右されず、外界をできるだけ左右するところにある。あらゆる階級を通じて、目立って気高い人は誰か。どんな長所を持っていても、常に心の平衡を失わない人だ。


人間は現在がとても価値のあることを知らない。ただなんとなく未来のよりよい日を願望し、いたずらに過去とつれ立って嬌態を演じている。


人が旅をするのは目的地に到着するためではなく、旅をするためである。


お前の本当の腹底から出たものでなければ、人を心から動かすことは断じてできない。


我々の持っている天性で、徳となり得ない欠点はなく、欠点となり得ない徳もない。


我々の犯す一つの大きな間違いは、原因を結果の間近にあると考えることにある。


真理はたいまつだ。しかも、巨大なたいまつだ。だから私たちは、みんな目を細めてそのそばを通り過ぎようとする。火傷することを恐れさえして。


新しい真理にとって、古い誤謬ほど有害なものはない。


人生は、愚者には困難に見えるとき賢者には容易に見え、愚者に容易に見えるとき賢者には困難に見える。


情熱は欠陥であるか美徳であるか、そのいずれかだ。ただどちらにしても度を越しているだけだ。大きな情熱は望みのない病気だ。それを癒しうるはずのものが、かえってそれをすこぶる危険にする。


自由も生活も、これを勝ち取ろうとする者は、日ごとに新しく闘い取らねばならない。


身分不相応の生活をする者は、ぼろが出る。


蚕は紡ぎながらだんだん死に近づくとしても、糸を紡がずにはいられましょうか。


天才も不滅ではないということほど、凡人にとって慰めになることはない。


才能は静けさの中でつくられ、性格は世の荒波の中でつくられる。


多数というものより気に障るものはない。なぜなら、多数を構成しているものは、少数の有力な先導者のほかには、大勢に順応するならず者と、同化される弱者と、自分の欲することすらわからずに従ってくる民衆とであるからだ。


新聞を読まなくなってから私は心がのびのびし、実に気持ちが良いです。人々は他人のすることばかり気にかけて、自分の手近の義務を忘れがちなのです。


愚者と賢者はともに害がない。半分愚者、半分賢者だけが一番危険である。


結婚生活はすべての文化のはじめであり、頂上である。それは乱暴者を穏やかにするし、教養の高い者にとっては、温情を証明する最上の機会である。


苦しみが残していったものを味わえ!苦難も過ぎてしまえば甘美だ。


常によい目的を見失わずに努力を続ける限り、最後には必ず救われる。


若い時は興味が散漫なため忘れっぽく、年をとると興味の欠乏のために忘れっぽい。


人間こそ人間にとって最も興味あるものであり、おそらく人間のみが人間に興味を感じさせるものであろう。


望んでいたものを手に入れたと思い込んでいるときほど、願望から遠く離れていることはない。


王様であろうと、農民であろうと、自分の家庭で平和を見出す者が、いちばん幸福な人間である。


人はほとんど知らない時にのみ知っている。知識とともに疑いが強まるのだから。何でも知らないことが必要で、知っていることは役に立たない。


革命前にはすべてが努力であった。革命後にはすべてが要求に変わった。


卑怯者は安全なときだけ威丈高になる。


決して人に欺かれるのではない。自分で己を欺くのである。


愛する人の欠点を美点と思わない人間は、その人を愛しているのではない。


なぜこのように悪口が絶えないのか。人々は他人のちょっとした功績でも認めると、自分の品位が下がるように思っているからだ。


泣いてパンを食べたものでなければ、人生の本当の味はわからない。


空気と光と、そして友達の愛。これだけが残っていれば、気を落とすことはない。


思案なんぞいっさいやめにして、一緒に世間へまっしぐらに飛び出しましょう。あえて言いますが、瞑想なんかする奴は、悪魔に取りつかれ枯れた草原の上をグルグルひきまわされる動物みたいなものです。そのまわりには美しい緑の牧場があるのに。


世の中のことは何でも我慢できるが、打ち続く幸福な日々だけは我慢できない。


人間は内面から生きなければならない。芸術家は内面から制作に向かわなければならない。人間も芸術家も、たとえどのように振舞おうと自分の個性を打ち出してゆく他はない。そういう気持ちで元気いっぱい仕事にかかるならば、間違いなく彼は自分の生命の価値を自然から与えられ高邁(こうまい)さ、または優雅さを表出することとなる。


自分が自由だと称するのは、大変僭越なことです。なぜなら、それは同時に自分を制御する意志をも表明しているからです。誰にそれができるでしょう。友人たちに若い詩人たちに、私は次のように言いたい。君たちは、今は規範というものを一つも持っていない。それは君たちが自分で得なければならない。


最も重要なことを簡単に申しましょう。若い詩人は、生きて働き続けているものだけを、たとえそれがどんな形においてであれ、表現するように努めなさい。反対のための反対、悪口、ただ否定することしかできないものを、ことごとく退けてはなりません。ただの否定からは何も生まれてこないのですから。


君たちの恋人が、遠くへ去ったために、不実のために、あるいは死んだために失われたとして、もし君たちがその人のために悲しんでいるだけなら、君たちに進歩はありません。たとえ君たちが、そのためにどんなに技巧と才能を傾けても、そんなものには少しも価値はありません。前進する生命を頼みにし、おりあるごとに自分を吟味することを忘れぬようにしたまえ。


若い友人たちにいくらすすめても足りないと思うのは、自己省察を学ぶことです。詩の言葉をあやつることがいくらか容易になっても、それに伴って、内容にますます重さを加えるべきことを忘れてはならないからです。詩の内容は、自分の生命の内容に他ならないのです。


常に時間はたっぷりある。うまく使いさえすれば。


審美眼というものは、中級品ではなく、最も優秀なものに接することによってのみつくられる。


内的生活は、外的生活によってのみ刺激されます。生活の髄を干からびさせるような冷ややかな思索によってではありません。


すべての人間が、自由を得るや、その欠点を発揮する。強い者は度を超え、弱い者は怠ける。


気前がよければ、人から好意を受ける。
とくに気前のよさが謙遜を伴う場合に。


真の弟子は、知られたものから知られざるものを発展させることを学び、かくして師に近づく。


ものごとの無常について仰々しくしゃべりたて、現世の空しさの考察にふける人々を私は哀れむ。我々は、無常なものを無常でなくすためにこそ存在しているのだ。それは、両者を尊重することを知って初めて可能になる。


支配したり服従したりしないで、それでいて何者かであり得る人だけが、本当に幸福であり、偉大なのだ。


豊かさは、節度の中にある。


自分を他の人の立場に置けば、我々がしばしば他の人に対して感ずる嫉妬や憎悪はなくなるだろう。また他の人を自分の立場に置いたら、高慢や独りよがりは大いに減ずるだろう。


人は各々自分の流儀に従って考えねばならない。なぜなら、人は自分のやり方によって常に真理、あるいは一生を通じて役に立つ一種の真理を見出すのであるから。ただ放逸に流れてはならない。自制しなければならない。単なる赤裸々な本能は人間にふさわしくない。


偉大なことを欲する者は、心を集中しなければならない。制限の中に初めて名人が現れる。


孤独はよいものです。自分自身と平和のうちに生き、何か達成すべきしっかりしたことがあれば。


欠点を改め、過ちを償うことは、最高の幸福である。


焦ることは何の役にも立たない。後悔はなおさら役に立たない。前者は過ちを増し、後者は新しい後悔をつくる。


古い基礎を人々は貴ぶが、同時にどこかで再び初めから基礎を築きだす権利を放棄してはならない。


私はこう勧めたい。何も無理強いをせぬことだ。何もできない日や時には、あとになって楽しめないようなものをつくろうとするより、ぶらぶらして過ごしたり、寝て過ごす方がいい、と。


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ゲーテの経歴・略歴

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。ドイツの詩人、劇作家、小説家、哲学者、自然科学者、政治家、法律家。ドイツを代表する文豪。『若きウェルテルの悩み』『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』『ヘルマンとドロテーア』『ファウスト』など多くの名作を残す。文筆家としての活躍と同時にヴァイマル公国の宰相としても実績を残した

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