武士・武将・軍人・司令官の名言

このページは「武士・武将・軍人・司令官」に関する名言を集めたページです。仕事の能率、人生の質、資産状況を変えるアイデアのヒントが詰まっています。気に入った名言は、SNSにスクラップしたり、手帳などに書き写してみてはいかがでしょうか。

武士・武将・軍人・司令官の名言 一覧

人は誰でも負い目を持っている。それを克服しようとして進歩するものなのだ。

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば人は動かじ。信頼せねば人は実らず。

どんなことでも部下の失敗の責任は長官にある。下手なところがあったらもう一度使う。そうすれば必ず立派にし遂げるだろう。

天下に先んじて憂い、天下に遅れて楽しむ。
【覚書き|破綻寸前の財政難の中、17歳で藩主になり、苦労に苦労を重ねて肥前佐賀藩を躍進させた自らの人生について語った言葉。】

電光朝露、石火のごとくなる夢の世に、なんと人生を送ろうとも、名誉より大切なものはない。人は一代、名は末代と心得るべし。

すべてを得んとする者は、すべてを失う者である。

たびたび生死の境を切り抜けてきたベテランの隊長は、平素の訓練では若いパイロットの操縦技術には及ばないが、ピンチに際して、その何倍かの腕前を発揮する。それは慌てないからである。

上下万民すべての人々に対して、言半句たりとも嘘を言うようなことがあってはならない。いかなる場合でも、ありのままに申しのべることが大切である。嘘を言っていると、それが習慣となって、ついには信用をも失ってしまい、物笑いの種となるのである。己れが言った言葉について信が置けず、他人から聞きただされるようになっては、一生の恥と考えて、かりそめにも嘘は言わぬように心掛けなくてはならぬ。

真の戦いはこれからである。奇襲の一戦に心驕るようでは真の強兵ではない。諸士は凱旋したのではない。次の作戦に備えるために、一時内地に帰投したのである。一層の警戒と奮励努力とを強く望む。
【覚書き|真珠湾攻撃成功から帰った直後の空母赤城での発言】

戦争において必要な知識は極めて簡略であるが、この知識を実行に移すことは本当に容易ではない。

いま私の部下が失礼をしたが、この者は戦場では何人分もの働きをする。とくに槍の扱いなどは当家一であろう。
【覚書き|部下が酒の席で失敗したとき、客に謝りながら語った言葉。部下思いの道雪の人となりを現すエピソード】

気ながく心穏やかにして、よろずに倹約を用い金を備うべし。倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり。この世に客に来たと思えば何の苦もなし。朝夕の食事は、うまからずとも褒めて食うべし。元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい。

勇将は根のようなものであり、そこから枝となって勇敢な兵卒が生まれる。

高貴な考えとともにある者は、決して孤独ではない。

機先を制するというが、機先に遅れる後の先というものがある。相撲取りを見てもただちにわかる。

足ることを知って、及ばぬことを思うな。

戦争は味方が苦しい時は敵も苦しい。もはや退却という時に、突然敵が撤退するのは、戦場では珍しくない事例である。なによりも、戦意を失わぬことが肝要である。

将たるものは、怯弱の時あるべし。ただに勇をたのむべからず。
【覚書き|義理の弟である夏侯淵に向かっての発言。夏候は勇猛果敢で魏の大きな力になったが、勇気に過ぎるため曹操は不安に思っていた。そこで、上記の発言、良い武将は時に怯えて慎重に動くことも重要だと知っているものだと諭す。結局、夏候は劉備の陽動作戦にひっかかり命を落とした】

武士道というのは、身を殺して仁をなすものである。社会主義は平等を愛するというが、武士道は自分を犠牲にして人を助けるものであるから、社会主義より上である。

これ賢、これ徳、よく人を服す。
【覚書き|息子の劉禅に対する遺書の一節。賢とは聡明さ、徳は人徳を表す。部下や国民を感服させ上手く用いるには、武力や権威ではなく聡明さや思いやりの方が重要だという言葉。関羽、張飛、諸葛亮などの有能な人物から信頼を受け国をつくり上げた劉備の人となりをよくあらわした発言】

要害がいかように堅固であっても、人の心が一つでなければものの用をなさない。
【覚書き|要害=堅固な城塞。】

わが軍の右翼は押されている。中央は崩れかけている。撤退は不可能だ。状況は最高、これより反撃する。
【覚書き|第一次世界大戦でフランス第9軍の指揮を執っていた時の発言。戦況がドイツ軍に押されていた際に】

我々はパリを前にしても、パリの真っただ中でも、パリを後ろにして戦うだろう。
【覚書き|どんなことがあってもパリを守り抜く決意を表現した言葉】

指揮官は心を自由にしておかなければならない。偏見、先入観、固定観念を排除することである。

中国地方の全部とは愚かなことだ。天下を全部持つようにと祈ればよいものを。天下を取ろうとすれば、だんだん中国地方は取れる。中国地方だけを取ろうと思えば、どうして取れるだろうか。
【覚書き:厳島神社詣に行った時、中国地方が主のものになりますようにと家臣が祈った。上記はそれを聞いた元就の返答】

悪人を追いかけて掟を増やしたり、牢獄を増築するだけでは悪人は絶えない。悪事が増えるのは自分たちのやっている政治に問題があり、民衆が不満を持って政治を心掛けることである。そうすれば悪事はおのずと減る。

一番首は自分一人が手柄を立てようという行為だ。だが一番乗りは自分の属する軍全体に勝ちをもたらそうとする行為だ。だから身構えが違う。一番首は敵一人の戦い方に目を向けるが、一番乗りはどこから城壁に取りついて攻めれば味方を引き入れることができるかと全体を見わたす。つまり、一番首は自分のことしか考えない。そこへいくと、一番乗りは組織全体のことを考えている。

弓を見てみよ。敵があるときはこのうえなく重宝なものだが、国が治まっているときは袋に入れて土蔵に入れておく。わしはつまり弓である。
【覚書き:平和な江戸時代になり、さらに領地を安芸・備後から津軽に飛ばされたときの言葉。猛将も平和な時代には用済みだということを皮肉っている】

上一人の気持ちは、下万人に通ずる。
【覚書き:朝鮮出兵の帰路での発言、占領した地域にもう敵はいないのに清正が装備を整えていたのを見た人が、なぜ装備を外し身軽にならないのか問いかけたことに対する答え。自分が旅装を解いて身軽になって進んだ方が楽だが、油断をしてはいつ何が起こるかわからない。上の者が油断していれば、部下も全員油断する。だから自分は旅装を解かないのだという趣旨の発言】

合戦も度重なって慣れてくると、つい前のことを思い出す。前に勝っていればあの時と同じやり方をすれば今日も勝てるだろうと思う。ところが、合戦は敵の状況が勝敗を決する。前とまったく同じということはあり得ない。そういう時に心構えとして何が必要かといえば、今日初めて合戦に出たのだ、今日の敵とは初めて槍を交える。油断するとやられると思え。

私の戦略は、一をもって十に対抗することである。私の戦術は、一の敵に対して十をもって撃破することである。

小さな敵には恐る恐る対する。大敵の場合は恐れず、十死一生の戦いをやるぞという気概を君主から示す。

死して不朽の見込みあらばいつでも死すべし、生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。
【意訳:死んでも後世に残るだろうと考えるなら死んでもいい。生き延びて大きな仕事ができそうだと思うならどんな状況でも生き続けろ。】

真の勇士とは責任感が強く律儀な人間である。

武士は常に、自分をいたらぬ者と思うことが肝心だ。

敵がほとんど予期しないことは、どんなものでも成功する。

私は兵士のために大きな苦労を忍んできた。お前たちの誰が私のためにそれほど苦しんだというのか。傷跡のある者は見せてみよ。その者は私の傷跡を見よ。お前たちの栄光と富のため、私は傷を受けたのだ。そしていま、私はもう戦いにかなわぬ者たちを、故国の人々がうらやむほどの身分にして帰郷させようとしているのだ。それなのにお前たちは皆を背き去ろうとしている。行くなら行ってしまえ。
【覚書き|長期遠征に耐えきれなくなって不平を漏らした兵士たちへの言葉】

私が命令を出すだけで、すべてを勝ち得たとでも言うのか?

義に背けば勝っても勝ちではなく、義を貫けば負けても負けではない。

戦争はこちらが風邪をひいている時にもはじまる。これしきの寒さでくたばるような当主なら、もっと頑丈な者に当主をかわってもらったほうが徳川のためだ。
【覚書き:井伊直孝は平和な時代になっても有事への備えのため武具や馬などに金を使い、生活は質素にしていた。屋敷内は隙間風が入り、着物や寝具は粗末だった。医者が寒さ対策をしたほうがいいのではとアドバイスしたときの返答】

先駆けの心がけとは、槍なくば刀、刀なくば無刀無具足でも、とにかく誰よりも早く取りつこうとすることだ。

晴信の弓矢は欲のためではなく、民百姓を安楽にするためだと民に知らせれば、わしが軍を進めるのを待ち望むようになる。
【覚書き|武田晴信は信玄の諱。弓矢は戦や武力・武術のこと】

成せば成る、成さねば成らぬ、成る業を、成りぬと捨つる、人のはかなき

負けることのない戦いに負け、滅ぶことのない家が滅ぶのを、人はみな、天命と言っている。自分は天命とは思わず、みなそのやり方が悪いためであると思う。常々やり方をよくしておれば、負けることはあるまい。

何ごとにつけても、つねに堪忍の二字を忘れてはならぬ。昔の物語にも「韓信という人は、初め家が貧しく、少年のころに他人から股の下をくぐらせられりなどして辱めを受けたが、よく堪忍してついには漢の大将軍となって成功した」ということが伝えられている。また「一時の怒りのために身を滅ぼす」というような例もあるのだ。

信玄の兵法に、のちの勝ちを大切にするのは、国を多くとりたいという気持ちからである。自分は国を取る考えはなく、のちの勝ちも考えない。さしあたっての一戦に勝つことを心掛けている。

人の上に立つ対象となるべき人間の一言は、深き思慮をもってなすべきだ。軽率なことは言ってはならぬ。

手にする道具は得意とする業物でよい。飛び道具を使っても、相手が死ねば死だ。鉄砲で撃っても、小太刀で斬っても、敵を討ったことには変わりはない。
【覚書き:変心した城主と家来を誅殺したとき、謙信の部下が鉄砲と小太刀を使った。謙信の養子上杉景虎が「鉄砲は飛び道具で卑怯だ。小太刀を使った者の方が良い働きをした」と言ったのを聞いての一言。戦場では敵を倒すことが重要であり、使う武器の種類は重要ではないという趣旨の発言】

いったん約束を結んだことの責任は重いと存じます。日本国中の半分を賜るとしても、気持ちを変えることはできません。
【覚書き:徳川家康にスカウトされ、信濃一国を与えるので部下になれと言われた時の言葉。】

戦場の働きは武士として当然のことだ。戦場の働きばかりで知行(報酬)を多く与え、人の長(おさ)としてはならない。

君に合戦計画を与えるつもりはない。達成してもらいたいことを計画しただけであり、それをどのように達成するかは君の自由だ。
【覚書き:シャーマン将軍に与えた言葉。南北戦争で南軍を攻めるうえで明確な目標を与えたが、どう達成するかは自分で考えよと裁量権を与えた】

第一、家中には情を深くし、知行(給料・報酬)を授けるように。知行ばかりで情がなければ、万全とは言えない。情ばかりで知行がなくてもこれまた虚しいことだ。知行と情とは車の両輪、鳥の両翼のようなものだ。

何のなにがしの家風は和を主とし、恩を貴ぶ。そのため士の多くは柔弱である。儀礼を知る者は多いが勇猛の士は少ない。また何のなにがしの家風は凛々と締まっていて、武道の心がけが良く、強い士が多いが、儀礼を知る者は少ない。この両家にはそれぞれ欠点がある。

春夏秋冬どれか一つにかたよらず、家風を正すことが主将の器と言うべきであろう。
【覚書き|優しさだけでなく、厳しさだけでなく均整のとれた家風をつくり上げることができるかどうかがリーダーの器という趣旨の発言】

生死を度外視する決心が固まれば、目前の勢いをとらえることができる。難局に必要なことはこの決心だけだ。

数年、昼夜奉公しても気のつかない主人であれば、代々仕えた君主であっても暇を取るべし。うつらうつらと暮らすのは意味がない。

寝屋を出るより、その日を死番と心得るべし。かように覚悟をきわまるゆえに、ものに動ずることなし。

武士たる者、七度主君を変えねば武士とは言えぬ。

諸人の頭(かしら)などをするいまどきの者で、軍略を立てて床几(しょうぎ:折り畳み式簡易腰かけ)に腰をかけ、采配を持つ手さえ汚さずに、口先だけで戦に勝てるものと心得ているのは、とんだ考え違いだ。

戦わずして勝ちを得るのは、良将の成すところである。

信長公は勇将であるが良将ではない。剛を持って柔に勝つことを知ってはおられたが、柔が剛を制することをご存じなかった。ひとたび敵対した者に対しては、怒りがいつまでも解けず、ことごとく根を断ち葉を枯らそうとされた。だから降伏する者をも誅殺した。これは人物器量が狭いためである。人には敬遠され、衆から愛されることはない。

軍備に制限は加えられても、訓練に制限はないのでしょ?
【覚書き|ワシントン軍縮会議で日本の主力艦保有量を米英の6割にする条約を締結したことを聞いた時の発言。ハードで劣る状況を戦闘技術や兵の連携で克服しようとした。海軍の猛訓練体質は太平洋戦争終了まで続く】

自分はただローマに対して戦っているのである。ローマとの同盟を強制されたイタリア人と戦っているのではない。
【覚書き:トラシメヌス湖畔の戦いでローマ軍に大勝し、1万人以上の捕虜を捕えた。そのうち、ローマと同盟関係にあったイタリア諸都市の捕虜を解放するようハンニバルが命令を出す。なぜいままで戦っていた者を解放するのかと部下がハンニバルに聞いた時の返答が上記。この捕虜開放でイタリア諸都市から信頼を得、カンナエの戦いでの大勝利への素地となった】

兵士は死んでも祖国のためにならない。敵を殺すことが祖国のためになる。

計算されたリスクを取れ。それは軽率な猪突猛進とはまったく違うのだ。

最初に軽い者を遣わして埒があかないからといって、また重い者を遣わせば、初めに行った者は面目を失い、討ち死にをするほかはない。
【覚書き:家康が奥州九戸一揆を井伊直政に鎮圧させようとした。家康の側近で直政の主である本多正信が「はじめにもっと格下の人物を遣わし、もし駄目なら直政を遣わせばどうでしょうか」と進言した。家康は上記発言をし、下の者が失敗して恥をかかないよう初めから上役を送るのだと諭した】

金銀をたくさん積んでおくのは、良い侍を牢に押し込めて置くのと同じことだ。
【覚書き:秀吉が金銀を気前よく部下や民衆に与えるのはなぜかと家臣が聞いた時の言葉。秀吉は気前が良い武将であると同時に、敵だった武将を打ち負かした後、牢に押し込めておかずに自分の部下に登用するほどの器量を持っていた。】

いまは必勝の信念の方に進みますが、他面の時機も常ににらんでいくつもりです。
【覚書き:昭和20年に高松宮へ発した言葉。他面の次期とは戦争を終わらせることを意味している。海軍大臣時の発言。】

小事が大事に至らないためには、小事も大事だと思って、大事の時と同じような議論と慎重な決断を下すべきだ。そうすれば決して後悔することはなかろう。

俗語を使いまして恐れ入りますが、ジリ貧を避けんとしてドカ貧にならないようご注意を願いたいと思います。
【覚書き:太平洋戦争開戦直前に昭和天皇に献じた進言。当時日本はアメリカの経済封鎖で経済的にジリジリと窮地に陥っていっていた。】

大事の時は、皆が大変だと言い、一門や部下が大勢集まって議論する。だから、大事はさらなる大事に至らず、きちんと解決できる。ところが小事となると、皆が大したことではないと軽視し、タカをくくってしまう。知恵を出し合わないために、小事が思わぬ大事を引き起こす。油断の成せる業だ。

戦死を好むのは匹夫である。将たる者は、命の危険を逃れて、何度も戦いを重ねることこそ本意とするものだ。
【覚書き|関ヶ原の戦いで負け、捕虜となったとき、なぜ自害せずに捕まったのかと罵られた事に対する返答】

上下の間に生ずる疑心暗鬼が平和な時代の何よりの敵と存じます。疑いの念が次第に大きくなると、家全体が乱れます。天下泰平の時の一番の大敵は、まず上が下を疑うことかと存じます。
【覚書き:徳川家康に「天下泰平の時代の政治で一番気にしなければならないことは何か」と問われた時の返答。】

私はドイツの問題について語ることなく、この場を去ることはできません。あなたは自分を信用せよと言っておられるが、あなた自身が我々を信頼していないのではないでしょうか。【覚書き:ノルマンディ上陸作戦後にヒトラーに面会した時の発言】

部下にどうやるかを教えるな。何をするかを教えろ。そうすれば思いがけない工夫をしてくれるものだ。

功名は武士の本意とはいっても、そのあり方によるものだ。いまその方の功名は軽率な動きである。大将となろうとする者は、そのような功名を願ってはならぬ。身の危ういのをかえりみないのは、それほど手柄と言うことはできない。今後はこの心を忘れるな。

大将たる者は、威(威厳)というものがなければ万人を押さえつけることはできない。こしらえごとでいかにも威を身につけたように振舞ってみても、それはかえって大きな害になる。そのわけはひたすら諸人から恐れられるようにするのが威だと心得て、威丈高になる必要もないのに目をいからせ、言葉を荒々しくして、人の諌めも聞かず、非があってもごまかすから、家老もだんだん諫言を言わなくなり、身を引くようになってしまう。このように高慢で、人をないがしろにするから、万民は疎み、家を失い滅んでしまうから、よく心得るべきである。

まず自分の行状を正しくし、理非賞罰をはっきりさせていれば、叱ったり脅したりしなくても、自然に威は備わるものだ。
【覚書き|自分の行いを正しくし、公平に部下に接すれば、叱ったり脅したりしなくても上司としての威厳が生まれるという発言】

もうそろそろ戦争をやめる時である。何をぐずぐずしているのか!
【覚書き|日露戦争の奉天会戦勝利直後、参謀本部次長の長岡外史に面会しての発言。局地戦で勝ったが日本の国力はまだ弱く、このまま続けたら必ず負けるという見通しがあった。さっさと日露戦争を終結させ有利な状況で終わらせろという趣旨の発言】

作戦計画を立てることは誰にでもできる。しかし、戦争をすることのできる者は少ない。なぜなら、できごとと状況とに応じて行動するのは、軍事的天才でなければできないことだからである。最上の戦術家が将軍として、ともすれば凡庸であったりするのはそのためである。

自然の怯えを抑えつけて、悠々と仕事をさせてゆくものは義務感だけであり、この義務感こそ人間が動物とは異なる高貴な点だ。

平素極めて知恵に富み、しかも豪勇であると言われている人でも、いざ戦陣に臨み、重責の職に就いたため、責任の重さから心がくらみ、気が惑い、せっかくのその資質を発揮できぬという実例が多い。

我々の軍人のほとんどはナポレオンではなく、平凡人に過ぎない。平凡人であるがために責任の重さに打ちひしがれるという大弱点を持つ。

指揮官たる一人の愚将は、二人の良将に匹敵する。
【覚書き:命令が錯綜するので、指揮官やリーダーは一人だけに絞れという趣旨の発言】

経験は必要だが、経験によって増える知恵と同じ分量の牡蠣殻が頭に付く。知恵だけ採って、牡蠣殻を捨てるということは人間にとって大切なことだが、老人になればなるほどこれができぬ。
【覚書き:牡蠣殻とは動きを鈍くする先入観を意味している。】

戦闘の翌日に備えて新鮮な部隊を残しておく将軍は、常に敗れる。必要とあれば、最後の一兵まで投入させなければならない。なぜなら、完全な成功の翌日は、もはや我々の前に障害はないからだ。

若いころには何をしようかであり、老いては何をしたかである。

科学や哲学はヨーロッパの中世の僧院の中から起こった。僧侶たちは独身であるため、自分の課題に対し、わき目もふらずに精進することができた。そのように、凡庸な者でも、一心不乱である限り多少の物事をなし遂げるものである。

男は生涯において、一事を成せばいい。

その職にふさわしくない者はすぐに処分したりするが、よく考えてみると、その役を十分に務めてくれるだろうと見たのはその主だ。目利き違いなのだから、主の罪は臣下よりもなお重い。

悪い連隊はない。悪い大佐がいるだけだ。ただちに大佐のクビを切れ。

良いことの五つは真似しやすく、悪いことの一つはなかなかやめられない。

生まれながらに才能のある者は、それを頼んで鍛錬を怠る、自惚れる。しかし、生まれつきの才能がない者は、何とか技術を身につけようと日々努力する。心構えがまるで違う。これが大事だ。

明晰な目的樹立、狂いのない実施方法、そこまでは頭脳が考える。しかし、それを水火の中で実施するのは頭脳ではない。性格である。平素、そういう性格をつくらねばならない。

一手の大将たる者が、味方の諸人の「ぼんのくぼ(首の後ろのくぼみ)」を見て、敵などに勝てるものではない。
【覚書き:大将は味方の後ろに隠れず前に出て戦えという意味】

苦しみに耐えることは、死ぬよりも勇気がいる。

勝つということは味方に勝つことである。味方に勝つというのは我に勝つことだ。我に勝つというのは気をもって体に勝つことである。

天下になくてはならぬ人となるか、あってはならぬ人となれ。沈香も焚け、屁もこけ。牛羊となって人の血や肉に化してしまうか豺狼(ヤマイヌとオオカミ)となって人類の血や肉を吸い尽くすかどちらかになれ。

人間というものは、棺桶の中に入れられて上から蓋をされ、くぎを打たれ、土の中へ埋められて、それからの心でなければ何の役にも立たぬ。

人の器により、それぞれ使うは君の職(仕事)なり。ゆえに見損ずるときは、君の過(過失)なり。

剣の道は深い、精神を統一せぬ限り勝負は負ける。中段に構えたら、じっと相手の身体全体を見つめて、間合いを測る。心を集中させていくと相手の心の中が読める。跳びこむときは、自分が切られることを恐れてはいけない。たとえ皮を切らせても、相手の肉を切ればこちらが勝ちだ。その一瞬の皮膜のあいだに勝負を賭けよ。

確実な成功にはなんらの栄誉もありえないが、確実な敗北からは多くの力がほじくりだされるはずだ。

若い者はまだ修業中の身だ。修業中の者は、自分にとって嫌なこと、理解するのが難しいことに積極的に取り組むべきだ。人生は長いのだから、そういう山川を越えていくことによって自分を鍛えろ。自分の好みに合ったことだけを取り入れるな。むしろ自分が苦手なことにこそ立ち向かえ。

人の意見を聞いて、すぐにごもっともです、その通りですという人間が本当にわかったためしがない。本当に人の意見を聞く者は、自分で納得いかないことは何でも駄目押しする。なぜそうなるのですか、あるいはそういうことをするとこういう結果が出るのではありませんかなどとぐいぐい押しまくる。

わからないところがあっても「こんなことを聞いては相手が気を悪くするのではないか」などと考えるのは、本気でその意見を聞いていない証拠だ。俺の言ったことをすぐわかりましたなどと請け合う部下は信用しない。

武士の心がけとしては、その場に臨んで始めるようでは駄目だ。

舞踏などの世間的な戯れにふけっていないで、錆びつかないように馬、剣術、弓、鉄砲を中心に毎日鍛え、その余暇に読み書きを習うことだ。これに尽きる。剣術を馬鹿にする武士が多いが、自分が主人から命じられて人を狙うとか、逆に人に狙われてみれば、誰だって剣術を習いだすものだ。

槍の穂先が上がっている敵は弱く、下がっている敵は強い。敵の槍の長さが揃って見えるのは足軽舞台で、そこに向かうのは利がない。槍の長さが不ぞろいなのは、身分のある敵であるから、そちらに向かえ。敵の気力はある時間で衰える。そこで一拍子に突きかかることだ。

武士は豪勇だけではいけない。臆病で味付けする必要がある。

常在戦場
【覚書き|馬場信房の座右の銘。上記言葉を大書して壁にかけた。】

諸君が実行不可能としてあげた諸点をひっくり返せば、それだけ奇襲の効果が上がるということだ。【覚書き|朝鮮戦争仁川(インチョン)上陸作戦の戦略会議での発言。仁川上陸が成功すれば北朝鮮の補給線を潰すことができ、戦況が一気に有利になることがわかっていたが、地形上とても難しかった。将校たちができない理由をいくつも挙げたので、上記の発言が発せられた。このあと仁川作戦は成功する】

老兵は死なず、ただ消え去るのみ。
【覚書き|軍引退のセレモニーでの発言。兵士の間で流行っていた風刺歌の一節。ワシントンでの引退パレードには50万人の市民が集まった】

甲乙選び難い時は、より危険性があっても積極策をとるべきだ。

一度、銅づくりにしておけば、のちのちのためにはなる。だが、いっぺんに多額の出費をすることはいかがなものか。何ごとも時代につれて古いことを改めるというのはよくない。【覚書き:居間の水筒が壊れやすかったので、今流行っている銅の水筒にすれば壊れず経済的だと進言した家来に対する言葉。池田輝政は52万石の大名になっても1・2万石大名相当の暮らしをしていた倹約家の武将として有名】

部下の行為の行為について喜んで責任を分かつ。戦場で死んだ幾千の日本軍将兵の仲間入りをしたい。
【覚書き:戦後のGHQの裁判法廷での発言。】

私は決して指揮権の共有を受け入れない。たとえ神との共有でも断る。

城下の繁栄に驕って下々の憂苦を思わず、武具のみに力を入れて城郭を構築しようとしても、徳と礼儀がなければ、はなはだ危うい。

順境の中では軍人としての資質で評判を維持する人にも、ひとたび苦境と疫病神の高笑いに取り囲まれると急速に弱くなる。部隊は急速に悲観論に感染し、優れた指揮官によって管理されない限り戦闘効率が低下する。

厳しい戦況において、真の指揮官は前方を見据えて傲然と仁王立ちし、並の指揮官に比べて著しい対照を示す。

戦争で最も計算できないものは戦意である。

新しいアイデアを軍隊に注入するとき、もっとも難しいのは在来の考え方を追い出すことである。

発令した作戦の結果を予測して、さらにその先のことまで計画をつくろうとするのはナンセンスである。かくあるべきと思い込んで、先の先まで詳細に計画するのは素人だけである。

作戦が50回阻止されたら、51回目で目標をなし遂げる。

浮浪者が熱い風呂に我慢できないように、平凡な将軍は変化に我慢できない。なぜなら、毛布にこびりついたタールのように、先輩から学んだ戦闘ドクトリン(軍隊の基本的な運用思想や主義)が先入観として頭の中を完全に支配しているからである。

予期しないことと、予期したくないことが起こると、予期するようにせよ。
【覚書き|部下に今後予期すべきことはあるでしょうかと問われた時の返答。起こりうるケース、そして最悪のケースもすべて想定せよという言葉】

将軍は決して「まさか」と言ってはならない。
【覚書き|上に立つ者はすべてのことを想定し、最悪のケースすらも事前に対処法を検討しておけという意味の発言。また、まさかのケースが発生しても、部下の士気を下げないために悪態をつかず、冷静に対処せよという発言】

用兵の道は、城を攻めるのは下手な策、心を攻めるのが上手い策。
【覚書き|武力制圧するよりも、敵が精神的に忠義を尽くしてくるような状況を作ることが、戦後に反乱などが起こらず優れた策だという意味の発言。また、心理的に相手を揺さぶり内部分裂させることができればより有利に戦いを進めることができるという意味合いも含んでいる】

戦は兵数の多少によるものではない。一和にまとまった兵でなくては、どれほど大人数でも勝利は得られないものだ。

世間並みの一万の兵と、宗茂配下の三千、五千の兵と何の差もありません。軍の備え方がよいというだけでなく、常に兵士に対してえこひいきせず、ひどい働きをさせず、慈悲を与え、少々の過失は見逃し、国法に外れた者は、その法によって対処するのみです。

家臣の俸禄も拙者の高(石高、収入)に応じて少しずつ与えたのですが、常に慈悲を第一にして愛情を与えますので、戦に挑むとみな一命を投げ打って力戦してくれ、それがみな拙者の功になります。そのほかに別に良い方法とてありません。

いつから将校が兵士より先に逃げていいことになったのかね!
【覚書き|ウクライナ戦線でドイツ軍がソ連軍に包囲され、兵士たちがこぞって逃げ出そうとしたとき発した言葉。この一喝でパニックは回避され、兵・将校ともに正気を取り戻し本来の持ち場に戻った】

各員がその義務を果たすことを期待する。
【覚書き|ナポレオンのイギリス侵攻を阻止したトラファルガー海戦時に、ネルソンの旗艦ヴィクトリー号の信号旗に書かれた言葉。全員の力を合わせナポレオンを退けるぞという意気込みを各員に伝えた言葉】

お前たちが争いを起こすことがあれば、その場で軍服を脱がせるぞ。
【覚書き|ガダルカナル攻防戦の司令官に抜擢された時の言葉。当時ガダルカナルでの日本軍との戦闘は膠着していた。さらにアメリカ陸海軍の仲が悪く、失敗を擦り付け合うような状態になっていた。ハルゼーは陸軍海軍の責任者を呼び、上記の言葉を発した】

造らないかんものなら、仕方がなかでごわしょう。それ(文部省の予算流用)が知れて、許してもらえんのなら、山本さん、二人で二重橋(皇居)の前で腹ば切りもんそう。二人が死んで主力艦ができればそれで結構です。
【覚書き|海軍大臣山本権兵衛が内務大臣だった従道を訪れ、海軍の主力艦三笠の建造費用が確保できないことを相談した。従道は文部省の予算を流用するよう提言する。予算流用は大罪だが、当時の日本に必要な費用だと上記発言をして実行する。戦艦三笠はこのあと日露戦争日本海海戦で活躍する】

生命は人間の持つ最大の武器だが、捨てることを惜しんだら武器にはならん。

守兵が全滅を覚悟してかじりつかねば、どんな大城郭とて決して守り通せはしないのだ。

城をかように高く築いてあるものも、かほどに堀を広く設けてあるのも、みな戦争の備えなのだぞ。西国の敵がこの城を奪わんとしたときは、徳川の武人の屍が、この塁をもっと高め、戦士の血がこの池をなお深くするはずである。死を忌みごとと思う了見なら、最初から城など造らぬがよい。【覚書き|城代として勤めていた大坂城で病にかかったとき、息子の重次がやってきて正次を私宅に下がらせようとしたときの発言】

もし、私が意気消沈していれば、彼ら全員が臆病になる。もし、私が決然と敵に対して戦う準備を整え声をかければ、彼らは私を真似て行動し従う。

大軍を相手にするときは、敵軍を細かく分断して順次に撃破せよ。

軍規はマニュアル訓練には役立つ。しかし、危機に直面した時は役に立たない。だから諸君は、考えることを鍛えよ。

人の命わずかの間なれば、むさき心底(卑しい動機)、ゆめゆめ、あるべからず。

本来、弱い士卒という者はいない。もし弱い者がいれば、その人が悪いのではなく大将が励まさないことに罪がある。
【覚書き:鑑連は部下を育てるのが上手いと言われた武将。武功のない部下には期待し信頼していることを伝え、武功をあげた部下には小さいことでも大いに喜び褒めた】

家来が勇であるか怯(臆病)であるか、平時の目利きなどは二割は外れるものだ。体力も知力もあると見込んだ男十人のうち、一、二人は本番で大臆病であることが判明する。一方、体力も知力もないと見ていた男十人のうち、一、二人は実戦で比類なき働きをするものだ。

戦争ほど尊い人命を無駄にするものはない。たったこれだけの弾薬を使っただけで、一人の戦死者も出さずにすんだのだ。なんと安上がりなことか。
【覚書き:朝鮮戦争時に防衛のため大量の弾薬を使ったことについてアメリカ議会から使いすぎではないかと問われていった言葉。部下を死なせずに済むなら弾薬を大量に使っても安いものだという趣旨の発言】

大義と思うものは、たとえ首をはねらるる期までも命を大切にして、なにとぞ本意を達せんと思う。

我が身にのしかかる重大事は、精神をさかんにして腰をとらえ、無二無三に踏み破って突き通らねば埒があかぬものである。

楽しいときでも、悲しい時でも、無常の心持というものを忘れてはならない。それについて、いかにして楽しくなったか、何ゆえにわびしいかなどと、因果の道理を考えてみるがよい。生死の常ならざることを思い定めておくがよい。

思わぬ失敗をしたり、不慮の災難に遭ったりなどして嘆かわしいことが起こってきたとしても、むやみに嘆き悲しんではいけない。これも前世の報いだと思って、早く諦めるがよい。

合戦するとき、(兵力が)一万と三千は、その大将の考えで三千の方がたびたび勝つものである。そのわけは、小勢の方は(勝って生きるか、負けて死ぬか)二つに一つと兵士たちは覚悟しているからである。だから、大軍の大将は油断してはならない。

指揮官が勝利を目標にするのは当然である。また、強い意志で部下を指導するのも必要である。だが、ひたすら肉体を敵の銃弾の前に投げ出すことだけが勇気ではない。近代戦の指揮官にとって、まず心がけるべきは味方の損害の防止であり、個人的信条を部下に押し付けないことである。

戦場に出でては、我が思うようにして、人の言うことを聞き入れぬが良し。

諸君が指揮官になった時、部下に死を与えることを躊躇してはならない。死とは、ただ人間がこの世に入ってきたドアから、また出ていくだけだ。誰も、自分がどのドアから入ってきたかは知らず、それに文句をいう者もいない。

合戦談を聞く場合、たいていな者が大事なことは問わず、枝葉のことばかり聞きたがる。誰が手柄を立てたとか、誰を討ち取ったとか、そんなことばかりを聞きたがる。一人武者の手柄話を聞いたとて、何の役に立とう。部隊の駆け引き、戦の変化などを主眼にして聞いてこそ合戦談も役に立つのだ。

武士は分に過ぎた高価な馬を持ってはならない。戦場でよき敵を見かけて追い詰め飛び降りて組まんとするとき、あるいは槍を合わせんとて降り立たんとするとき、馬中間(馬を引く足軽、従卒)が遅れていると、人に馬を奪われはしないかなどと考えて、つい心がひるんで、よき期をはずしてしまうものである。

馬に限ったことではない。武士は名こそ惜しけれ、義のためには命も惜しむべきはない。財宝など塵あくたとも思わぬ覚悟が常にあるべきである。

いかに知音(ちいん。自分の心をよく知る友人知人)を持つとも、頼まずに、ただわが身ひとつと心得べし。

軍人にとって最も不安なのは、敗北の予感に見舞われる時だ。そして、その予感を最も強く察知するのは、指揮官が弱っているのを見る時だ。心理的にも、肉体的にも、指揮官は弱みを部下に見せてはならず、その印象を与えぬ努力を欠いてはならない。

君、死んじゃいけないよ。宇垣(纏)中将は沖縄に飛び込んだ。大西(瀧治郎)中将はハラを切った。みんな死んでいく。これでは誰が戦争の後始末をするんだ? 君、死んじゃいけないよ。
【覚書き|小沢治三郎中将は太平洋戦争終戦後、自害し無駄死にしないよう部下の将兵を諭して回った】

時節到来すれば家が崩るるものなり。その時崩すまじきとすれば、きたな崩しするなり。時節到来と思わば崩したるがごときなり。その時は抱きとどまることもあるものなり。【意訳:時が来れば家や組織は壊れるものだ。その時に往生際悪く壊さないようにすると、かえって見苦しく壊れる。それよりも、家や組織が壊れる時が来たと思ってさっさと壊してしまえば、かえって持ち直すこともある】

兵法に通じている者は兵の多少によらず、勢いに乗ずるものである。自分が歌を歌う声に和唱して進んで戦えば勝つ。

何ごとにつけても良いことがあれば次にまた悪いこともおこるもので、その点をよく考えて悪い事の起らぬ先に注意することが肝心である。また、悪いことがあれば次には良いこともあるはずだと思って、心を静めなさるがよい。生まれ出る喜びがあれば、必ず死する悲しみがあり、悲喜こもごも到来するのである。

深く考えるときは時間をかけろ。しかし、戦いが始まったら考えることをやめ、戦え。

俺もやっとのことで虎の口を逃れたが、岡田の早業には感心したよ。後日俺は岡田に向かって「君は人を殺すことをたしなんではいけない。先日のような挙動は改めたがよかろう」と忠告したら、「先生、それでもあのとき、私がいなかったら先生の首はすでに飛んでしまっていましょう」と言った。これには俺も一言もなかったよ。
【覚書き|岡田とは「人斬り以蔵」の異名をとった幕末の剣豪・岡田以蔵のこと。海舟が京都で刺客に襲われ、以蔵がとっさに刺客を斬り殺し海舟を救った時の話】

一時の感情に制せられず、冷ややかな頭をもって国家の利害を考え、群議を排して自分の信ずるところを行うというには、必ず胸中に余裕がなくてはできないものだ。【覚書き|彦根藩家老の岡本黄石への言葉。彦根藩は井伊直弼が藩主だった。井伊が暗殺された時、黄石は冷静かつ粛々と藩政を執った】

書生だの浪人だのという連中は、昔から絶えず俺のところへやってくるが、ときにはうるさいと思うこともあるけれど、しかし、よく考えてみると、彼らが無用意に話す言葉の内には、社会の景況や時勢の変遷が自然にわかって、なかなか味わうべきことがあるよ。匹夫匹婦の言も、虚心平気でこれを聞けば、みな天籟(てんらい=絶妙の詩文)だ。

士官である前に、まず紳士であれ。

身分が低くお金もあまりない武士が具足(甲冑一式)をあつらえるときは、胴や籠手のほかは粗末なものでいい。だが、兜には念を入れ、良い物を付ける心得が必要だ。なぜなら討死にを遂げたとき、兜は首と一緒に敵の手に渡るからだ。【覚書き|死してもなお誇りを失わないような心意気を持てという意味合いが含まれた言葉】

はじめから主君に楯突こうと思っている者はいない。思い上がりと、恨みと、それから生じる欲心が謀反を起こさせるのだ。恨みのある心には悪事が寄り集まり、やがて主君の恩に背き不義を働き、父祖が積み上げた業績も棒に振って領地まで失ってしまう。これは足利将軍家の人々にもよくあったことだ。覚えておけ。

人質は長くとっておくと、親子であっても親しみが薄れて効果がなくなる。恩愛に溺れて人質を捨てかねるものである。【覚書き|自分の幼少時代の人質体験から出た言葉。この教訓にしたがって、大名を従えるのに人質を取っただけでなく、家族愛が薄れないように参勤交代で数年に一度一緒に暮らさせるという仕組みを作った。】

放っておけ。それより書いてある内容が見たい。予のためになるものもあるだろう。【覚書き|天下統一をなし遂げた後、街中に体制批判をするビラがまかれたときの発言。他人の意見をよく聞いて自分の弱点を補った家康の人となりをよくあらわすエピソード】

真面目で、主君思いで、協調性もあり、勤勉な上に仕事もできる。そんな心と能力を持った人間はトップクラスの良臣だ。しかし、心ばえはそこまで良くなくても、何か優れた能力を持った者ならば採用すべきだ。

明日はきっと一戦あるなというようなときは、首をよく洗っておけ。武士たるもの、生きているときは鬼神のように戦い、死しては誉を永遠に残せるよう心掛けよ。

人は心と気を働かすことをもって良しとするものだ。用を言いつけられなかったからといって、そのまま退出するようでは役に立たない。その点、お前は塵に気付いて拾った。なかなか感心である。【覚書き|あるとき信長が、近習たちを呼びつけたのに用事を言わずに退席させた。その中の一人が塵が落ちているのを見つけ、退席するついでに拾った時の発言。言われたことをやるだけでは不十分で、それ以上のことに気を使えという教訓】

人はただ、さし出づるこそ、よかりけれ。戦のときも先駆けをして。【覚書き|信長の配下になり知恵と行動で出世する秀吉を周囲の者が妬んだ。嫉妬した者の一人が「人は皆、さし出でぬこそ、よかりけれ。戦のときは先駆けをして」という皮肉を歌にした。上記はその歌への返歌】

俺が見事な弓矢をとることができたのは、皆、平出政秀が諌死(かんし)したからだ。【覚書き|平出政秀は信長の教育係だった人物。奇妙な格好と行動で大うつけと呼ばれていた信長を諌めるため自ら切腹した。以後信長は家の再興と天下統一に邁進する。「見事な弓矢をとる」とは、「武士として成長できたということ」を意味している】

露と落ち、露と消えにし、わが身かな。難波のことも、夢のまた夢。【覚書き|秀吉の辞世の句。絢爛豪華な大阪城を築き天下を統一した自分も、朝露のように生まれ、そして朝露のように儚く死んでいくという無常を詠んだ一句】

私はケチだから麦飯を食べているわけではない。いま天下は乱れに乱れ、領民も安らかな日は一日もない。そんななか私一人が暖衣飽食などできるものか。私が麦飯を食っているのも、少しでも節約して軍資金に回すためなのだ。

茶の湯・鷹狩り・女狂いなどは秀吉の真似など決してしてはならぬ。ただし、茶の湯というものは上品な慰み事であるから、しばしば茶会を開き、人を招待したりすることは、一向かまわない。また鷹狩りは、鳶鷹・鶉鷹など、男児の慰みとして盛んにやってよい。女中は屋敷の中に5人なり10人なり置いても差し支えない。ただ、屋敷の外で見苦しく女狂いをしたり、鷹野や茶の湯なども、秀吉のようにむやみやたらにやって、下賤の輩や人目のはばかる所へやたらに出入りすることのなきように、十分に慎むこと。
【覚書き|甥の秀次への訓戒】

後世、日本海海戦が神秘的な力で勝ったように思われては、日本の運命が危ぶまれる。【覚書き|山本氏は8年間海軍のトップとしてロシア海軍打倒を目標に様々な活動を行った。天運のみでは勝てなかったことを十分知っており、後世の軍人たちが思考停止になることを危惧しての発言。残念ながらこの後、日本海海戦は神格化されてしまう】

私は自分でやってみなければ良くできたと信じない性格だ。何ごとも自分の目で確かめなくてはすまない。

すべてが上手くいっているかどうか知りたければ、自分でやれ。【覚書き|司令官になったら部下に仕事を一任するのではなく、自分でやったり、現場を直接見て自分の目で確かめろという言葉。】

人の後について鬱屈した気持ちで過ごすより、武功を立てて大国を賜るか、目を驚かすような戦死を遂げたい。どちらかは天運に任せている。【覚書き|大凶の日に出陣しようとしたとき、家臣に縁起が悪いので中止しませんかと進言されての返答。】

勝つべき合戦、取るべき城、攻めの時を選び、方角を考え、時日を移すことはなはだ口惜しく候。いかに良き日なるとて、大風に船をだし、大勢に一人向かわばその甲斐なかるべく候。【覚書き|当時、戦前に占いや風水で日時や攻め込む方角を決めていた。その風潮に異を唱えた言葉。どんな吉日でも、状況が悪化しているのであれば意味がなく、タイミングを計って攻め込んだ方が勝つ確率がずっと高くなるという意味】

怪しいところには、弾丸をぶち込め。【覚書き|アルデンヌの森を突破し、フランスに攻め込む際に発した言葉。視界が狭い森の中で敵軍に襲われないように、敵が潜んでいそうな怪しいところにはとにかく弾を撃ち込み、反応がなければ進み、撃ち返して来たら殲滅するという戦術をとった】

おのおのの申すことはもっともだが、延引することも時と場合による。今は火急の時だ。わからぬ将来のことを心配しているより、まず目前のことをする。【覚書き|伊達家家臣である鮎貝家の中に内通者がおり、敵の最上義光と組んで謀反を起こしたときの発言。正宗はすぐに反逆者を討とうとしたが、老臣たちが慎重な行動を求めた。正宗は上記の発言をした後、反逆者を即座に討ち取った】

今後、命令は議論の根拠と考えてはならず、行動の根拠とする。【覚書き|第二次大戦北アフリカ戦線で砂漠の狐ことロンメル元帥率いるドイツ軍と戦った時に発した言葉。圧倒的に不利な状況で司令官に任命され、兵士たちを奮い立たせるための発言。できない理由を議論するより、目標達成に向けて行動せよという意味が込められている。このあとモンゴメリー指揮のもと、イギリス軍はロンメルを撃破しノルマンディ上陸作戦へと突き進む】

精神力を強調するあまり、火力を無視するという傾向は、どうも解せない。

いにしえの道を聞きても唱えても、我が行いにせずば甲斐なし。【意訳|昔のありがたい哲学や学問を学んだり唱えたりしても、実行に移さなければ意味がない】

これよりふたたび、わしに曹操への降伏を勧める者があるなら、この机と同じ運命になると思え。
【覚書き|曹操率いる魏軍との赤壁の戦い直前の発言。魏軍20万人、呉軍3万人の状況で「今回は降伏し、次の機会を探ってはどうか」と進言された孫権が目の前の机を剣で叩き割り、言い放った言葉。この決断を見て士気が高まり、呉が勝利した】

世の中で主のために追腹を切る(後を追って切腹すること)ぐらいつまらぬことはない。腹を切って死んだとしても、わしに従って地獄・極楽を駆け巡るわけではあるまい。わしはただ立派な士を一人でも多く、大切に思う子に譲りたいのだ。必ず殉死を禁ぜよ。

これはそちのためにしているのだ。乱心ではない。わしが諸臣に嫌がられて、一日も早く長政の代になるとよいと思わせるためだ。
【覚書き|家臣に名君と慕われていた如水が病気で死ぬ直前に豹変し、部下をののしり始めた。上記は息子の黒田長政が如水に理由を聞いたときの返答】

われ人に勝つ道は知らず、われに勝つ道を知りたり。

刀剣短くば一歩を進めて長くすべし。

人を殺す刀、かえってすなわち人を活かす剣なりとは、それ乱れたる世には、ゆえなき者多く死するなり。乱れたる世を治める為に、殺人刀を用いて、己に治まる時は、殺人刀すなわち活人剣ならずや。

無刀とて、必ずしも人の刀をとらずして敵わぬという儀にあらず。また刀を取りて見せて、これを名誉にせんにてもなし。わが刀なき時、人に斬られじとの無刀なり。

兵法は人を斬るとばかり思うは、僻事(ひがごと)なり。人を斬るにはあらず、悪を殺すなり。【僻事=間違い】

治まれる時乱を忘れざる、これ兵法なり。

刀二つにて使う兵法は、負くるも一人、勝つも一人のみなり。これはいと小さき兵法なり。勝負ともに、その得失わずかなり。一人勝ちて天下かち、一人負けて天下まく、これ大なる兵法なり。

容赦なく、逃れる術もなく、緊張が指揮官の判断力、自信を消耗させる。参謀たちが次々と、予期しない良くない戦況の報告を持ってくるので、その重圧は指揮官の胸にますます激しく突き刺さる。このような状況において指揮官はまず楽観的であることが重要である。

指揮官はまず楽観的であることが重要である。指揮に自信と情熱と楽観の匂いがなければ、勝利はおぼつかない。

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