人生・生き方の名言格言一覧

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何かのために死なない人間は、生きるにふさわしくない。

圧制者の方から自由を自発的に与えられることは決してない。しいたげられている人間の方から要求しなくてはらないのだ。

地獄の一番熱い場所は、重大な倫理上の争いの中にあって中立の立場をとり続ける人間のために用意されている。

どんな経験も次の経験のための準備に他ならない。次の経験がどのようなものか予測できないだけなのだ。

本当の人間の価値は、すべてが上手くいって満足している時ではなく、試練に立ち向かい、困難と戦っているときにわかる。

人間の自己実現には3つの「し」、すなわち「志」「師」「詩」が、人生のライフサイクルに共通してある。

人は誰でも負い目を持っている。それを克服しようとして進歩するものなのだ。

志を失うな。人間、逆境の中でこそ成長する。
【覚書き:松下電器副社長を退任後、有料衛星放送会社WOWOWの経営再建を任されたときの発言】

人生に代行などありはしない。生きるということは、一人のものでしかない。誰も君に代われぬし、君も誰のために代われるものではないのだ。

落伍者とは、戦う心を失った人を言う。生きていること自体、なんらかの意味で戦う場である。

恐れを抱いた心では小さなことしかできないでしょう。

歴史の中に未来の秘密がある。我々は、我々の歴史の中に、我々の未来の秘密が横たわっているということを本能的に知る。変化こそ唯一の永遠である。

巡り合わせを自分の人生にとってプラスになるように考えられるようになることができるか、できないかというのが、生きていく上での勝負になるのです。

自己嫌悪がないということは、その人が自己を熱愛することのない証拠である。自己に冷淡であるからだ。

意味のある日、無駄な日があるのではない。この一日、またこの一日、毎日毎日が高価なのである。

誰しも一度は死ぬ。一度死んだら二度死ぬことはない。それだったら、今のうちに死んでおこう。そうすれば、あとは気楽だ。死んでいる者に生死はない。こういうことは、一通り修業をした者なら、誰も体得することであるから不思議なものだ。

人生は一冊の本に似ている。馬鹿者たちはそれをペラペラとめくっていくが、賢い人間は念入りにそれを読む。なぜなら、彼はただ一度しかその本を読めないことを知っているからだ。

「あっちの水は甘いぞ、こっちの水は辛いぞ」なんて、お互いにその水につかってみない限り、わからないものなんですよ、人生というものは。

いいかい、人生というのは矛盾から成り立っているものなんだ。もし、矛盾の中心にちゃんととどまるものなら、人生の意味がわかるはずだ。

人生にはどうしても必要なことが3つある。それは夢と、ロマンと、反省だ。人間はこの3つを持っていないと上手くいかない。

人生の事というものは、座敷で道中双六をして、花の都に到達するごときものではない。

我々は、他人に幸福を分け与えることにより、それと正比例して、自分の幸福を増加させるのだ。

幸福を得る唯一の方法は、幸福を人生の目的とせず、幸福以外の何か目的物を人生の目的とすることである。

幸福は分かち合うようにつくられている。

人間が進歩するためには、まず第一歩を踏み出すことである。長い目で見れば人生にはムダがない。

チャンスは貯金できない。

あらゆる事象は心の反映である。したがって純粋な心でひたすら念じ続ければ、たいがいのことは成就する。

あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。ドグマ(教義、常識、既存の理論)にとらわれるな。それは他人の考えた結果で生きていることなのだから。他人の意見が雑音のようにあなたの内面の声をかき消したりすることのないようにしなさい。そして最も重要なのは、自分の心と直感を信じる勇気を持ちなさい。それはどういうわけかあなたが本当になりたいものをすでによく知っているのだから。それ以外のことは、全部二の次の意味しかない。

ともすると人間は評価が高まれば、驕りやすくなるものです。驕りを持って尊大になれば、どんな能力と実績があっても決して尊敬されることはありません。自信と誇りは持ち続けるべきですが、相手を尊敬する謙虚さを忘れないことが大切です。そしてそれが本当に高い評価と信頼を得ることにつながります。

人間にとって真の最大の敵は、自分の胸の中に居る。

多くの人が自分より先行しているのを見たなら、多くの人が自分より遅れているかを考えなさい。

私たちは自分のものを他と比べることなく楽しみたい。他人がより幸福であるということに苦しめられるならば、人は決して幸福ではありえない。

我々が第一に戦わねばならぬ厄介な敵は、我々の内部にある。流れに逆らおうとしたところで無駄なことだ。流れのままになっておれば、どんな弱い人でも港に流れ着くものだ。

自由のためなら、名誉のためと同じように、生命を賭けることもできるし、また賭けねばならない。

幸運はそれが失われるまで気付かれることはない。

人間は、ときに間違いを犯しながらも、足をのばし、つまずきながらも前進する。

喜びのない人生は、油のないランプである。

一滴の油、これを広き池水のうちに点ずれば、散じて満池に及ぶとや。

最も賢明なことは、自分を自分自身の打ち明け相手にすることだ。

感情のままに左右される人間は、自分自身の主人ではなく、偶然の力に支配される。

自分を卑下することは、自分を他人より劣ると信じる間違った考えから生まれる悲しみである。

希望は永遠の喜びである。人間の所有している土地のようなものである。年ごとに収益が上がって、決して使い尽くすことのできない確実な財産である。

最も尊重しなければいけないことは、生きることではない。善く生きることだ。

私は豚となって楽しむより、人となって悲しみたい。

安全とは思いこみにすぎない場合が多いのです。現実には安全というものは存在せず、子供たちも、誰一人として安全とは言えません。危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい危険なのです。人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外にはありません。

私は毎日、何百回となく自分の精神と肉体がすでに亡くなった人々や、生きている人々の労働によって支えられていることを思い返している。だから、私も同じように人々のために献身しなければならないのだ。

残念ながら人は誰も、生まれてくる時代と場所を選べない。僕らはどんなに苦しくても、この時代を生きていかなければならない。

現実を見据え、極端に走ることなく、中庸を進むことが人間社会を生きる知恵だと僕は思う。理想主義に陥ると大変に危険だ。民主主義でさえ現実と切り離された理念で突き詰めていくと危険であるのと同じだ。

同じ教育を施しても、伸びるやつとそうでないやつがいるように、本来、人間は個体による能力差が大きい動物だ。だから、あまりに人間の平等性を確保しようとすると、結局は人間の能力差やいい加減な部分まで否定せざるを得なくなる。人間社会を住みにくいものに変質させてしまう可能性がある。そういうところに、人間の怖さが隠れているように思う。煉獄への道は善意で舗装されているというが、まさにその通りだ。

世間をなめてかかってはいけない。僕は世の中を甘く見ていた。世間というものは怖いもので、なめてかかると必ず痛い目に遭う。当時の僕が、まさにそれだった。
【覚書き:自分が作りたいようように作った作品がヒットし、他人に評価されなくても自分の好き勝手に映画を作ればいいんだと錯覚し、その次の作品で大失敗した時のことを振り返っての発言】

人生とは常に何かを選択し続けることであり、そうすることで初めて豊かさを増していくものであって、選択から逃げているうちは、何も始まらないのだ。選択する、つまり外部のモノを自分の内部に取り込むことを拒絶しては駄目だということだ。自分の殻の中だけに閉じこもっていては、本当の自由を得られない。

僕が若者に言えるのは「いまの自分は何者でもないし、平凡な人間なのだ」とまずは気がつくことが重要だということだ。本来の意味での可能性はむしろ、そう気づいたところからはじまる。漠然とした幻想ではなく、本当に自分がやりたいことを見据え、そのためにいま自分がやるべきことは何かを見定めることから、やり直すべきだ。

才能という言葉を人はよく口にする。才能だけでやっていける天才という人も、何億人かにひとりくらいはいるかもしれない。レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロはそうだったのだろう。しかし、やはりそれは極めて稀にしか現れない特異な現象であって、僕もあなたも、少なくともそんな天才ではなさそうだ。

自由とは「生き方の幅」と、とらえ直してもいいかもしれない。人間、幅がある方が自由に決まっている。本質的な意味での自由とは、自由に見える状態のことではなく、自由に何ができるか、という行為のことをさすのだ。ある人間が何かをしたいと望む、それがどのくらい自在にできるかどうかが、自由と不自由の分かれ目なのである。

この世界には、いつの間にか僕らがすっかり信じ込まされたデマゴギー(デマ。意図的に流される虚偽情報)が飛び交っている。たとえば「若さにはかけがえのない価値がある」という言説だ。だが、若さに価値があるなどという言説は、実は巧妙に作られたウソである。もしも本当に若さそのものに価値を見出している者がいるとしたら、それは戦争を遂行中の国家ぐらいのものだろう。若さに値打ちなどないからこそ、人生は生きるに値するものなのだ。

不平は天から授けられた最大の贈り物である。

賢者は内面は賢いが、外見は愚かに見える。愚者は内面は愚かだが、外見は賢く見える。

最良の処世術は、自分に妥協することなく、他人に適応することだ。

自分は幸福だと考えない人間は、幸福ではない。

苦労を忘れ去ることが、苦労をなくす方法である。

他人の境遇は良いもののように見える。一方、我々の境遇は、他人から良いもののように思われている。

勇敢なる男は、自分自身のことは最後に考えるものである。

どんなふうに死ぬかではなく、どんなふうに生きるかが問題なのだ。

人々を奴隷化するものは王侯貴族ではなく、地主や資本家でもない。人々を奴隷化するものは、人々自身の無知である。

我々の視野、活動範囲、交際範囲が狭いほど、我々の幸福は大きくなる。それらが広いほど、我々は煩わしく、また不安に感じる度合いが大きくなる。なぜなら、それらは心配、願望、恐怖が増大し広がるからである。

多く笑う者は、幸福である。多く泣く者は、不幸である。

我々の人類に対する最大の罪は、彼らを憎むことではなく、無関心であることだ。それは非人間性の真髄だ。

真の余暇とは、我々の好きなことをする自由であって、何もしないことではない。

うそつきの受ける罰は、人が信じてくれないというだけのことではなく、他の誰も信じられなくなるということにある。

自分と同年齢の人に一番言いたいんです。僕と同年齢の人たちに、気持ちいいよという経験をたくさん持つ人がいっぱい出てきてくれれば、若い人たちもそういう年寄りの人を見て、あ、そうか、と思ってくれるかもしれないから。いま、若い人がどうのこうのって言われている意見で一番危険なのは、それを言っているお前が大人としてちゃんとやっているのか、ってことなんです。そこがすごく気になる。

僕だってフリーランスの身ですから、いまの仕事がなくなったときには、たとえば明日からでもアニメとは関係のない他の仕事ができるように心しています。常に職業には貴賤がないということを理解している自分でありたいと思っているのです。

すべての庭師は美しい場所に生きている。なぜなら、彼らは庭をそのような美しい場所にするために活動しているのだから。

肉体は、我々の存在が野営している仮の小屋である。できればにこにこ笑いながら死ななければならない。

才能ある者は、称賛の声のある方へと赴く。称賛の声は才能ある者を惑わす人魚である。

人の不幸の大半は、過去を顧みることで発生する。

快楽は、肉体のある一点の幸福にすぎない。真の幸福、唯一の幸福、完全な幸福は、魂全体の平穏な状態に存在する。

もし自分が一日でも妥協していいと思ってしまったら、それは自分を見に来ている人に対して失礼だし、そういう姿を見せることで、自分を否定することになってしまう。僕は変なところに美学を持って生きてるから、そういう部分で妥協はできない。僕のこのスタイルは決して楽しくはないかもしれない。でも僕は、誰よりも自分がそれが面白いと思って生きているし、それを自分できっちり感じられることが、僕にとってはすごく大切なことだと思ってる。

人は運命の矢から逃れることはできない。だから起こった出来事をあるがまま甘受することが唯一の盾になる。

親族であっても正直でなく潔白でない人とは、愛するよりも絆を断つべきだ。

本気で自分の人生を走れば、きっと何か見えるよ。みんな全然動きが取れないまま、いろんなこと言ってるんだけど、なんというか……言葉が痛くないんだよね。そんなことより、動けよ!

自分は誰のために生きるの?逆に聞きたいよね。まず自分でしょ?自分のためでしょ?自分が幸せになれないのに他人を幸せにするのは無理だよ。自分が笑えないのに、他人は笑わせられない。自分が幸せになりたいのなら、幸せになることをしようよ。楽しくなることを本気でやろうよ。

才能とは、自分自身を、自分の力を信じることだ。天才というのは自分を信じることだ。

他人をあてにしてはならない。我々はみんな取るために生きているので、与えるために生きているのではない。

勇気を失わず勇敢な人間であれ、慰めは適切なときに汝を訪れるであろう。

毎年一つの悪習慣を直したら、我々はやがて完全な人間になることができるだろう。

休息と幸福は、誰しも渇望するものであるが、これらは勤勉によってのみ得られる。

自己の望みを人間や物に置くのは愚かなことである。より多く持つことより、より少なく望むことを常に選べ。

世界のあらゆることを信頼しないならば、人は決して欺かれることはない。

私にとって年齢は関係ありません。それが16歳であろうと、460歳であろうと関係ないことなのです。
【覚書き|齢をとっても小さな航空会社経営者として、飛行機乗りとして各地で活発に活動しているリチャード・バックに、ある人が「いつまでもお若いですね」と言った時の返答】

ホームとは、人間にとって一番心の束縛を感じないですむ場所をいいます。だから、私にとってホームとは、雲の上です。
【覚書き:活動的でいつも様々なところを飛び回っているリチャード・バックに日本人作家、城山三郎が「あなたのホームはどこですか?」と尋ねた時の返答】

愛すべき尊敬する人を見つけて、その人のために自分の人生を送ったら、僕たちは最も暖かいベッドを手に入れられるのです。

自らを向上しようと試みることが必要なのです。この意識は生きている限り持続すべきです。

生きていると言えるのは、お前の今日が明日を持っている時だけだ。

死そのものよりも、死についての想像の方が、遥かに我々を恐怖させる。

学者ぶった先生は、ヘリクツ屋の有力な仲間に分類したい。ヘリクツ屋の狩りは概念を追いかけまわすことである。

人は過去の中に現在を眺める。私の現在が変わるとき、私の過去がまた変わらないとは、誰が保証し得るだろうか。

サラリーマンには移動や転勤がつきものだ。働きなれた職場を変わることに、心理的抵抗は必ずあるだろう。しかし、そこに好奇心があれば、進んで新しい環境で挑戦してゆくことができる。なんでも楽しんでチャレンジする。それは人間の幅を広げてくれる。

我はローマ人の間にて第二位になるより、ここの人々の間にて第一位になることを欲する。
【覚書き|法務官時代、ヒスパニア・ウルステリオル属州に総督としてローマから赴任した際の言葉。この赴任がカエサルの人生を変え、のちにローマのトップになる礎となった】

高慢は、衣食住に必要なものよりもずっと高くつく。

昨日行ったことを明日になって後悔しないように、神は今日、良い忠告を人々に与えてくれる。

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