友情の名言

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このページは「友情」に関する名言を集めたページです。仕事の能率、人生の質、資産状況を変えるアイデアのヒントが詰まっています。気に入った名言は、SNSにスクラップしたり、手帳などに書き写してみてはいかがでしょうか。

友情の名言 一覧

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友達の誘いだから断れないとか、おかしいでしょ。誘いを断れないような間柄を友達というのなら、僕は友達なんていりません。


対立はしない方がいいのでしょうが、時には対立しなければいけないことだってあります。競争や議論の中からも、いい友人関係が育まれていく。


友人でも第三者でも相談に乗ってくれる人がひとりいれば、落ち込み過ぎずに済む。ただし、そういう人は日頃から自分が心を開いてキズを見せないと、見つからない。


自分には見えなくても周りにいる人、友人たちはそこがよく見えるものだ。その得難い指摘をしてくれることが、良い友人の条件ではないか。


どんな難しい問題でも、友人同士の間では解決できると確信する。


友達をつくれ。世界が広がるから。最初から性悪説で入らずに、まず付き合ってみて、その上で判断すればいい。


よき先輩とよき友人のある限り、この人生に絶望することはない。



「ここぞ」という時に相談できる友人を1人でも多く持つことが、情緒の安定や豊かな人生につながる。


友達口調で話さないと、相手は本音を話してくれない。


日本人のみならず、外国人に親しい友達ができるということは、それだけ視野も広がるだろうし、いろいろな知識も入ってくる。


苦しみをともにするのではなく、喜びをともにすることが友人をつくる。


全生涯の最大の幸福を得るために知恵のみ獲得をするものにて、友情の所有こそ最大のものである。


みんな、嫌われるんじゃないかとか、友達だからとか、考えすぎです。他人にどう思われたっていいじゃないですか。


相談できる友達は必要っていうけれど、大事なことは黙って自分で決めるもの。相談されたほうだって絶対迷惑ですよ。


愛は敵を友人に変えることのできる唯一の力だ。


ワシントンで友人が欲しいなら、犬を飼うことだ。


売上や損得でなく、心から「やってあげたい」「喜んでもらいたい」と思って仕事をしていると、それがお客に伝わる。そして友人知人も紹介してもらえる。


古い友人を持っておる者ほど本物だが、たえず新しい友人を漁(あさ)って歩く者は、それが順境にある者ほど偽者だ。


我々の親にも子にも友人にも欠点があれば、我々の憎み嫌う人にも特長がある。


交わってためになる友を近づけ、損になる友を遠ざけ、かりそめにも己にへつらう者を友としてはならない。



僕は政治家とつるむ機会はほとんどない。反対に友人には自民党のことが大嫌いだろうな、という人も多い。内側に閉じこもりたくないんです。僕が一番よくないと思うのは、政治のことしか話せない政治家。それはつまらない。


個人間においても、国際間においても、本当の友情は腹を割り合った仲にのみ生れる。相手が好きそうなことばかり言って一時的に相手を喜ばして、してやったりと思っているなど浅はかな極みである。


自分の人的ネットワークが自分を規定する――。友人、仲間は選べ。


職場の同僚はしょせん赤の他人です。家族や友人などと違って関係は薄い。転職を繰り返した者の経験からいえば、いくら職場で親しくしていた人も退職すると音信不通になるもの。人間関係で必要以上に悩むことはないのです。


外国の要人や交渉相手と信頼関係を築こうという場合、結局1対1の関係が大事になります。パーティーなどで交際範囲を広めることは大事です。しかし、その中でこれはという相手とは、1対1ないし双方の奥さんも交えた会合を重ねていくことで友達になるのです。休日などによくお互いの家や町の喫茶店でビールを飲みながら話し込んだものです。


人脈は無形資産。生かさない手はない。両親を大事にすれば、不動産の購入費用を援助してくれることもある。友人の伝手で地元の大工に安く工事を頼める可能性もある。


何のビジネスをやったらいいかというよりは、本当の友達、老朋友(ラオポンユー)を、できれば2人作りなさい。
【覚え書き|「中国で事業を行いたいが、何をすればいいのか」と問われて】


『論語』には孔子の弟子である子游の言葉として「君に事(つかえて)えて数(しばしば)すれば、ここに辱めらる。朋友に数すれば、ここに疏(うと)んぜらる」とあります。主君や友人に諫言や忠告ばかりしていると嫌われてしまうから、ほどほどにしたほうがいい、という教えです。


留学中、多くの人に助けられました。大学院に進学し、いい成績で卒業しなければと勉強しすぎて、ある日、下宿で血を吐いて倒れた。私を車で運んでくれた友人、カネのない私を1年の月賦で医療費を払えばいいと診てくれた医師。「20分遅ければ死んでいた」と言われ、人は独りでは生きていけないと身をもって学びました。


海外の選手は、試合中や練習中は激しく言い合ったとしても、ピッチを離れれば、すぐに仲の良い友達になるんです。仕事とプライベートをはっきり分けているんです。仕事で意見が対立するのは、相手のことが嫌いだからではありません。お互いに「試合に勝つ」とか「チームを強くする」といった目標を共有していて、その目標を実現するために必要だから言い合うんです。そして、仕事上での意見は違っていても、人間的には良いヤツであることがわかっているから、仕事が終われば仲良くつき合うことができる。そういう「怒り合える」人間関係が理想だと思っています。


私には、いい友人がいた。時代の流れや、そのほか自分だけではわからないことを教えてくれた。そのお陰でなんとかここまで来ることができた。


戦争で多くの友人を亡くしたし、自分自身も死ぬ運命を何度も助かっています。85歳を過ぎて、目の前に冥途が見えてくるのに、自分の都合だけで行動することはありません。


真の友をもてないのはまったく惨めな孤独である。友人が無ければ世界は荒野に過ぎない。


人脈作りの異業種交流会では知り合いはできるが、友人はできない。下心で知り合った知り合いは使えるネットワークではない。


たとえば、ビジネス上のトラブルで相手が来社するといった場合、最初の挨拶からケンカ腰では、解決するものも解決しません。本題に入る前に、「寒いなか、ご足労いただきありがとうございます」という感謝の言葉から始まらなければおかしいでしょう。相手と心を通い合わせて、友情や信頼関係のもとに問題を解決しようとする姿勢こそが、大切なのではないでしょうか。


コミュニケーションでは場の共有、情報の共有のふたつが共に大切です。どちらかだけでは間違ってしまいます。情報の共有の場合はとかく「情報習慣病」に陥りがちです。メールやネットでつながっていると思い込む「情報習慣病」は、実際には何の情報も行き来していないのに、それだけ仕事をしたつもり、友情を育んだつもりになってしまいます。場の共有では、たとえば相手を殴ったり、抱き締めたりできる。そんな究極的な感情表現もありうるのです。


長期的関係が大切なのは、結婚に限ったことではない。友情も同じである。重要な関係をいくつかに絞って、十分な注意を注ぎ、関係をはぐくむ必要がある。


いまの日本では、子どものときから友達は多いほうがいいと学校で教える風潮がありますが、本当にそれでいいのですかね。友達が多い=人間の魅力があるみたいに評価されているじゃないですか。だから仲間はずれにされることを極端に怖がり、仲間はずれが有効ないじめとして成立してしまう。私は友達が大勢いることがいいとは思いません。


なにか頼まれても気軽に断ることができ、相手も仕方ないとあきらめてくれる、さらりとした関係がいいのではないでしょうか。うまくいっているときはいいけれど、ひとつ間違えれば、相手を憎んだり恨んだりすることになる。友達っていうと、どうしても相手に過剰な期待をしてしまう。


40歳過ぎて、新しい友達って本当に必要なのでしょうか。友達はつくろうとして「つくる」ものではなくて、自然に「なる」ものではないでしょうか?だいたい、友達が多ければ、結婚したら結婚祝い、子どもが生まれたら出生祝い、家を建てたら新居祝い。飲み会、遊びの誘い……、金が出ていくばかりです。


大事なことは、100人の知り合いを持つより、1人の友達を持つほうが、長い人生では遥かに価値があるということだ。もし君の周囲が敵だらけであっても、心強い賛同者が1人いればいい。恐れることなんかまったくないと思うべきだ。


行儀作法をわきまえぬ者と懇意にしてはならない。『史記』にも、「その人の性行の善悪を知るにはその友人を見ればわかる」といっており、また、「賢者と馴れ親しむのは、梅の木に鶯(うぐいす)がとまるようにいよいよその美を添えるが、卑賤の者とは接触をさけるのがよい」という意味の言葉もあるのである。


友から見放されるようなことがあってはならない。常に仁道を守って、誠心誠意の交際をしなくてはならぬ。


一番大事なのは、何かに依存して生きるのをやめることです。会社や上司に依存するから、身動きがとれなくなる。「上司に恩があるから、あと3年はこの会社で頑張る」といった考え方もしなくていいと思います。僕は、会社はもちろん、友人や仕事相手との人間関係にも依存したくないし、もっと大きなことをいえば、国や社会にも依存したくないと考えている。だから自由に生きられるのです。


知らない人と友達になる効用は、意図せざる情報をインプツトできることだ。とかく役に立ったという目分のフレームの変化には気づかない。そうでなくても、情報はあふれている。だが、自分自身の必要、不必要の情報判定はあいまいであやふやな中で行われる。いま感じている必要性は知り合いの中での入手では高がしれている。組織にいると、結局ある人の手のひらの上で動いていることにどうしてもなりがちだ。とかくアクシデントやハプニングが起きなくなっている環境にいるのに、そうなっていることに気づかない。この意図せざる友人によって生き方が変わる。


私はなるべく周囲を巻き込んでいます。資料集めや、ニュースの捉え方、とっさの判断など、自分の能力を過信しないで、頼れるところは周りに頼りまくっています。うちのスタッフは優秀なので、番組のもう一人のキャスターの近野(宏明)やデスクには終始相談していますし、社外の識者、それこそ友人や肉親に聞くこともあります。自分一人で悩んでいるより、素早く答えにたどり着けますし、人を巻き込むことで、思考の偏りも防げますから。


関口(和之)さんが復帰されるまでの3年間、サザンのベースをやらせてもらいました。サザンのベースとしての役割を終えたあとには奥田民生さんのバックバンドに参加することになるんですけど、そのころに友達から「お前、最近天狗になってないか」と事実を指摘されてしまいました。あ、その通りだ、真剣に自分の仕事を立てなおさなければと思ったんです。引退を覚悟しながら自分のやりたい音楽に飢えていたという感覚を忘れてしまっていたな、と。


母の言葉を借りると、結局、客人というものはケーキと同じで、滞在期間が長くなると味は落ちるというのである。
【覚書き|貧しい時代に母の金持の友人の屋敷で客人として長期滞在したときを振り返っての発言】


SNSを人脈づくりに活かしたいなら、まず楽しもうとすることが大切です。自分が楽しめなければ、他のメンバーとのやり取りも弾みません。それでは友達ができにくいことは、説明するまでもないでしょう。たとえ仕事の人脈がつくりたいという場合でも、まずは趣味の分野などで自分が楽しむことから始めた方がいいでしょう。趣味を同じくする人たちのコミュニティに参加すれば、友人を一気に増やせる可能性もあります。


どんなときでも理解し合える関係を求めることは友情とは言えない。本当の友情とはお互いがどんなに違っていても、そのあるがままの違いをしっかりと受け止めることなのだ。


暇人を友とするのは危険である。彼はすることがあまりないので、友人たちについてあることないことをしゃべり、余計な口出しをする厄介者となる。だから、勤勉な者だけを友とするのが賢明である。


最も後悔されることは何か?遠慮ばかりしていたこと、己の本当の欲求に耳を貸さなかったこと、己を取り違えること、己を卑しめること、己の本能を聞きわける繊細な耳を失うことである。こうした自己に対する敬意の欠如は、あらゆる種類の損失によって報復を受け、健康、快感、誇り、快活さ、自由、不動心、勇気、友情が損なわれる。


すべてのものを裸にして見ないこと、すべてのものに近づきすぎないこと、すべてのものを理解し知ろうとしないこと、これは今日の我々には嗜みの問題である。我々は羞恥心をもっと尊重しなければならない。


君は奴隷か?それなら君は友とはなれない。
君は暴君か?それなら君は、友を持てない。


もし悩む友人がいたら、彼らの悩みを休ませる憩いの場となってやるがいい。それも、堅い寝床、いうなれば野戦用のベッドになってやるがいい。


一般的にいって、本当の友情は喜びと悲しみを共にすることによってのみ結ばれるものです。自分の生活上のいろいろな出来事が他の人のそれと接触すると、魂もまた互いに結ばれ、外的な結合が緊密になればなるほど、内的結合もますます堅くなっていくからです。


気の置けない友人にこちらから真摯にお願いすれば、言葉を選びながらも率直な意見を言ってくれるはずです。すべて納得のいく意見とは限らないでしょうが、どんな意見に対しても、絶対に立腹してはいけません。あえて言ってくれたことに感謝し、一カ所でも変えられる点が見つかったら幸運だと思うべきだ。


人間関係で一番大事なのは、腹八分ではなくて腹六分。腹八分だと多すぎるのです。夫婦、恋人、親子、兄弟、友達、仕事関係、すべて腹六分でお付き合いしなさい。「親しき中にも礼儀あり」これが鉄則です。


友達がいない、できないと嘆く人がいますが、本当の友人というものは、一生のうちに一人か二人できるかできないかのものなのです。厳密に言えば一生涯出会わない人の方がほとんどです。


IT企業のカギは優秀なエンジニアがいるかどうかだと思い、クラスメイトや他校の友人に声をかけ紹介してもらいました。実際、創業メンバーの半分はそうして出会ったエンジニアです。


『キン肉マン』の連載が終わって、新しい友人たちと出会えたことも大きかった。自分と同じくらいの年齢で、これから売れようと努力している役者さんや芸人さん。みんな大変ではあっても、それはそれで楽しくやっている。彼ら・彼女らと話していると、「もう30代」ではなくて、「まだまだ30代」と思うことができたんです。


お勧めしたいのは、自分よりもレベルの高い人と積極的に付き合うことです。付き合いやすい人ばかりと付き合っていると、楽だけれど進歩も何もしません。自分より頭がいい、能力が高いと感じる人と付き合っていくと、たくさんのいい刺激を受けることができます。その人の友人とも知り合えば、そこからまたいい刺激を受けることができます。


英語の勉強を続けられた一番の理由は、学習仲間をつくったことだと思います。勉強を始めて1年ほどは、NHKのラジオ講座を勧めてくれた友人を相手に、週に1度、ダイアローグ(対話)のロールプレイングをしていました。ディクテーション(聴こえてきた英語を書き取る訓練)を始めてからは、「やさしいビジネス英会話」を聴いている人が集まるメーリングリストを見つけて、そこに自分が書き起こした英文を毎日投稿することにしました。すると、添削してくれる人が何人も現れました。そうなると、勝手にやめるわけにはいきません。「よく聴き取れたね!」といった励ましの言葉も支えになりました。


これまでZOZOTOWNを好きと言ってくれる人を大切にしてきました。僕にとってお客さんはあくまで、同じ感覚を持った友達です。その友達に「僕はこれが好きだから、君も好きじゃないかな」と自然に勧めるのが、当社のサイトだと思っています。


欠点のない人間はないだろう。友人の欠点をとがめたてていたら、この世に友人というものはないだろう。


友人の多い人はいい。人生を豊かにし、生命を温めてくれる。それには、いつどこで会っても、「よお、どうした」という気軽さ、胆の太さが必要だ。


誰と付き合うかを意識することも重要です。学生のころ、CNNの番組で「Look at your closest 8 friends, they are who you are.(あなたの一番身近な友人を8人思い浮かべてください。実は彼らがあなたなのです)」という言葉が流れてきて、衝撃を受けたことがあります。人は友人の存在で大きく左右されます。しかし当時、私は身近に偶然いた友人となんとなく楽しんでいただけで、意識して友人を選ぶということをしていませんでした。


友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹を決めて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる。


なぜ、友達に愉快な奴だと思われる必要があるんだろう。こういうタチの人は自動的にみんなに気を使って、サービスしてしまうんだろうけれど。それは他人のためというより、つまりは自分の立場を良くしたい、自分を楽なポジションにおいておきたいからだということをもっと突き詰めて考えてみた方がいい。もっと厳しく自分を突き放してみてはどうだろう。


自分は内向的な性格で、上手く話しもできない。友人でもできないと悩んでいる人が多い。だが、内面的であることは決して悪いことではない。そう思い込んでいるから暗くなり、余計、内向的にしているんじゃないだろうか。内面的ということを、マイナスと考えたり、恥じちゃいけない。


どんな形でもいいので、外国人の友人を持つことを強くお勧めします。インターネットがあるいまなら、共通の趣味を持つ外国人を見つけることも不可能ではないはずです。たとえネイティブでなくても、お互いの共通語が英語なら、十分、英語の勉強になります。それに、未知の文化や価値観を知ることもできる。そうやって英語で自分の世界が広がる喜びを味わうと、英語を勉強するモチベーションも一気に高まるはずです。


戦の最前線で槍を持って突進した。隣にいた20年来の幼なじみに流れ矢が刺さって血だらけになって倒れた。彼は泣き叫んで苦しんでいる。君は親友を見捨てて突進していけるか。もちろん、見捨てないで友を肩にかけて戦列を離れるだろう。君は心のやさしい人間だ。それで良い。だが、大将は次の戦さには君を連れてはいかない。君は戦士ではない。戦いは非情だ。友情を取れば戦士ではなくなる。だが俺は戦士ではない君とは人間として一生お付き合いさせてもらうよ。


人脈づくりといっても、大げさに考えず、身近な人に友達を紹介してもらうことから、始めてみるといいのではないでしょうか。人と会うのが苦手なら、ブログなどで自分の得意分野の情報を発信するのが、まずはいいと思います。


顧みれば、私の人生行路にともしびとなって指導していただいた先輩、老若の友人多数に恵まれたことは、本当に幸運だったと思う。


家内があれを売ったり、これを売ったりでどうやら入院費をまかなった。まさに不幸のどん底といってよかったが、そのどん底にあって、私は人の心の美しさと温かさを知った。全国の友人知己が、和田をもういっぺん働ける体にしたいと各地の神仏に祈願し、そのお札を送ってくれた。病室を埋めるほど贈られたお札を見ながら、私は友情のあつきに泣いた。
【覚書き|昭和27年、戦後動乱期の専務時代。働きすぎで入院し半身不随になった当時を振り返っての発言】


私にとっては、すべての先輩、友人が大恩人であったと言える。そこに善悪の別、成功と失敗の差はあっても、それぞれになにものかを教えてくれた。私がどうやらここまでやってこられたのは、まったく先輩の導きと同僚と後輩の友情のたまものであるということがしみじみと痛感される。


私の性格として、自分ながらあまりに潔白であることを自覚している。「水清くして魚住まず」というように、友人は多くできるたちではない。しかし、一度深く相知れば、長く、ある場合は永久にお付き合いを続けるのが私の交友の特徴である。


変な言い方だけど、自分のために死んでくれる人間が何人いるよりも、そいつのためなら命をかけられるって友達が1人でもいる方が、人間としては幸せだと思う。


友を選ぶ場合、良友として求むべきは、手習いや学問の友である。悪友として除くべきは、碁・将棋・笛・尺八などの遊び友だちである。これらの遊びは、知らぬといって決して恥にはならぬものであり、また、たとえ習ったからといっても悪事とまでは呼はれぬものである。これは、他になす事のない連中が、空しい時間をいかにしてすごそうかと考えて行なうものといえよう。


成功した要素がもうひとつあるとしたら、イタリアでのビジネススタイルが自分の性に合っていたからかもしれません。イタリアでは、友達になって、本当に仲良くならないと一緒に仕事をやっていけませんから。


思うに、日本人の悪い点は、年をとるにつれて先輩と後輩、上司と部下、師匠と弟子みたいな関係しかなくなっていくこと。友達がいない。タテの関係だけだったら、世の中面白くならない。僕も自分のプラスマイナス10歳の人は友達、と考えることにしています。


部下とは仕事に関して同じ価値を共有していればいいのであって、友人になる必要はありません。しかし、あなたが部下と友達であるなら、それは幸せなことです。心底いいやつだと思っている人たちと1日8時間から10時間一緒に働くわけですから、あらゆることがより楽しくなります。


上司と部下の友情が続くかどうかを決定づける要因。それは100%の率直さです。率直な話し合いには、公私を分ける能力が必要です。


金持ちは友情というものをまったく知りません。とくに生まれたときからの金持ちは。


老年は男女間の友情には最も適した時代である。


「挨拶」は、すべての人間関係における基本。親しい人ほど「なくてもいい」と思われる風潮があるけど、それは違う。どんなに仲がいい友達だって、挨拶を交わさなくなったら、関係は崩れていきます。コミュニケーション下手ならなおさら、自分から積極的に「挨拶」する。これだけでも周りが変わってきます。


はじめは清濁併せ呑む気持ちで誰とでも付き合い、癖のある人でも懐を広く受け入れなければ、いい友達は残りません。


どんな人を友人とすることは大事。人との交わり、交友関係によって社長の器は大きくなると思います。悪い人間が徒党を組むのは私の最も好まないことです。ですが、ごく普通の良き人とは友達になりたいと考えています。


独立したときも、友人たちに支えてもらいました。実は、私は「金がからむと、友情が壊れるのではないか」と心配していたんですが、最後に頼れるのは友人だと痛感しました。会社の看板といった社会的信用がなくなっても、友人は私のことを理解し、協力してくれたのです。個人的な信頼関係があれば、仕事と友情を両立させることができると思います。


個人関係においても、国際関係においても永続きする友情は、双方が腹を打ち開けて話すことである。そこに何等の遠慮もあってはならないと私は信じる。


昔からの友情が何十年も続くケースは2つしかない。ひとつは自分と一緒に友人の信頼レベルも上がっていく場合。もうひとつは共通の趣味があって、社会的成功とは無縁のところでつながっている場合。そうでなければ、つきあい続けるのは難しい。


遠方に離れている友人が1年も2年も音信不通であったのが、何か心に感ずることがあったのか、あるいは大切な用事ができたのか、突然手紙を寄せて、こまごまと言葉を書き連ねたとて、それによって友情がにわかに発生するものではない。それよりも、普段に格別用事がなくても、時々簡単な短文でお互いに音信を交わす習慣を続けていれば、何かの時の大事に臨んで、ちょっとした一言で用が足りるという便利さがある。


普段の友達づきあいは一人くらいにしておくといいだろう。ただし、武芸を催す場合には、多人数集まってやるがよい。


若い人は若い人どうし、同世代の友達と本気でぶつからなきゃね。私自身、自分の技術が飛躍的に向上したのは、やっぱり同世代の友達と、日曜にラーメンを賭けて技術の競争をした時期だと実感しているんだ。当時の社長も「そういうことならどんどんやれ」と休みの日でも工場を開けて、機械を使わせてくれた。


定年退職しても過去の栄光など早々に忘れてしまい、趣味に没頭したり、新しく何かを始めている人は、さわやかで全然イライラしていません。共通の趣味や話題を持った、上下関係のない新しい友達をつくることができます。あまり家にいないので、夫婦も円満。平穏になれるのです。


上司としてメンバーに相談したり、サポート関係を築くことは大切ですが、お友達感覚にならないように距離感は必要。仲良くなることと、慣れ合うことは違います。相手に合わせて「ほめる」と「叱る」の両方をバランスよく取り入れ、どちらか一方に偏りすぎないようにしましょう。


友情は晴れた日にふさわしく、美しい贈り物としてふさわしく、田舎のそぞろ歩きにふさわしい。一方、友情は険しい山道を越える時、不運に見舞われた時、船が難破した時、貧窮や迫害にあえぐ時にもふさわしい。


人が友情を望むは、自己と無力と貧しさのためではなきか。すなわち、お互いに尽くし合い、自己のみでできかねることを、他人から受け、あるいは当方からも仕返しする、ということではなきか。


ゴルフというのは非常に面白いスポーツで、同じ人と何回かプレーをするうちに、その人の一番良いところや、時には一番悪いところも見えてきます。それによって、信頼関係や友情関係を築くことができるのです。


外国の人たちとのコミュニケーションは、とても難しく、相手によっても対応の仕方は異なります。「こうすればうまくいく」という方程式などありません。しかし、経験則から言って、まず相手の考えや価値観を受け入れれば、友達になれる。友達になれれば分かり合える道はあります。


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