経営者・社長・会社経営の名言格言一覧

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たとえ自分の会社が天災で全滅したとしても、周囲の人材さえ一緒に働いてくれれば、いままで以上に大きな会社を作ることができる。

松下電器は人を作る会社です。あわせて電気製品を作っています。【覚書き:松下電器創業直後に従業員から、この会社は何を作っているのかと問われた時の返答】

どんなに完備した組織を作り、新しい手法を導入しても、それを活かす人を得なければ成果も上がらず、企業の使命も果たせない。企業が社会に貢献しつつ、自らも隆々と発展していけるかどうかは、一にかかって人にある。

誰もやったことのない仕事にこそやりがいがある。世界の何人も成功しなかったような仕事をなし遂げるのが、日本の新事業家の栄えある使命じゃあるまいか。

先人の踏を求めず、求めしものを求む。
【覚書き|先人が踏みしめた道・方法・先例などに答えを求めず、自分の信念に解決策を求めろという趣旨の発言】

マジョリティ(多数派)が現在を作り、マイノリティ(少数派)が未来を創る。全員反対したものだけが一考に値する。経営者はこうしたマイノリティの理論を駆使しなければならない。

人間のやったことは、人間がやれることの100分の1にすぎない。

まずは視点を変え、挑戦する価値があるかどうかを考える。そして、自分の中で6から7割、実現できる可能性が出てきたら挑戦する。

ダメと決めつけるのはたやすい。しかし、改善の余地ありでなければ、創造の将来はない。「まずやってみる」が我々が築き上げてきた企業文化なのだ。

何でも時代のせいにしてれば、そりゃ楽だ。
【覚書き|ラジオのインタビューで「炭屋の片隅ではじめた本屋が日本一になるような時代はもう来ないでしょうね」と問われた時のコメント。経営者は経営不振を時代のせいにするなという趣旨の発言】

名を成すのは常に困窮のときであり、事の破るるの多くは得意のときである。
【覚書き:自分の名声が広まるのは困難を乗り越えた時であり、事業や自分のキャリアなどが破たんするのは絶好調で調子に乗りすぎて足元が見えなくなった時だという趣旨の発言】

なぜ、そういう考え方をするのか。そんな数年後ではない。1990年や、2000年でもなく、2010年、2020年にはどうなっている、どうなるべきだから、という考え方をしないといけない。

私はこれまでいろいろなモノをこしらえて商売にしてきたが、たいてい軍とか役所とか放送局のもので与えられた仕様書によってつくったモノばかりだった。それで何か大衆に直結した商品をかねがねやってみたいと思っていた。大衆は製品の厳しい審判官であり、正しい評価をするものだと信じていたので、大衆商品は一番やりがいがあるような気がしていた。
【覚書き|テープレコーダー開発に取り組んだ当時を振り返っての発言】

有望な仕事があるが資本がなくて困るという人がいる。だが、これは愚痴でしかない。その仕事が真に有望で、かつその人が真に信用ある人なら資金ができぬはずがない。【覚書き|渋沢氏は第一銀行頭取時代に借り手の人物を見て金を貸すという哲学を持っていた】

経営とは数字である。同じく、仕事も数字である。
【覚書き|鈴木氏は大学卒業後、中央相互銀行(現:愛知銀行)に5年間勤務している。金融界での実務経験が氏の経営観に大きな影響を与えたと言われている】

発展途上国への進出はメリットがなく、オールデメリット。アメリカのおかげで日本は戦後の焼け跡から立ち上がることができた。発展途上国へモノづくりを伝えるのは、その恩返しなんです。【覚書き|早くから発展途上国に工場を展開した理由を聞かれた時のコメント】

利益しか生まないビジネスは、むなしいビジネスである。

企業のあり方の中で、官僚主義ほど発展を毒するものはない。

「すること」を決めるのは簡単だ。難しいのは「しないこと」を決めることだ。

一生涯の目的を達成せんとする者は、いかなる固執も、障害も、目前の名利も介さず、忍ぶ、粘る、堅忍持久、終始一貫、最後の目的に突進することである。

同じ事業をやるなら、人間は自分が好きな事業に手を出すべきだ。

ビジネスの成功を明確に保証したり、手法を香水のように瓶詰にすることはできない。自分自身でやってみて、実践で身につけなければならない。

いまの日本のモノづくりを見ていると、大丈夫かなと思うところはたくさんあるけれど、トヨタは凄いと思う。あの会社はものの考え方が違うからね。うちには難しい仕事ばかり持ってくる。それで失敗してもいいからっていって、本当に失敗してもちゃんと対価を払ってくれる。ただし、失敗の過程を全部レポートにしてくれと言うんだ。

明確な目標を定めた後は、執念だ。ひらめきも執念から生まれる。

わが社が100億円の損失を被ります。だから、皆さんは出し惜しみや値上げをしないでください。【覚書き|オイルショックの影響を消費者に負わせないため取引先を集め宣言した言葉。結果、40億円の損失を被ったが、取引先から大きな信頼を得ることになる】

驕るな。企業は社会に存在させていただいているものだ。

あなたの顧客の中で、一番不満を持っている客こそ、あなたにとって一番の学習源なのだ。

マイクロソフトにはたくさんの素晴らしいアイデアがあるが、それらは皆、トップの人間から来たものである印象がある。残念ながらそれは間違った印象だ。

場当たり的な詰め込み主義で作業することの愚かさを考えたことがあるだろうか。春に種まきをせず、夏は遊びほうけて、秋になってから収穫を得ようと必死になって頑張る。そのようなことは到底不可能なことなのだ。蒔いたものしか刈り取ることはできない。そこに近道はないのである。

企業においても、しかるべきプロセスを踏むことを嫌い、近道しようとして迎えた結末は悲惨である。経営者は檄をとばすような演説や、従業員の態度を改めさせるための研修、外部のコンサルタントによる改善計画や買収合併などによって、高い生産性や品質、あるいは顧客満足を確保できる新しい企業文化を購入しようとする。しかし、そうした行動が職場の信頼を低下させてしまっていることに気づこうともしない。

1年で500万ドル稼ぐ人は、アメリカ一億世帯に5000人いるかどうかだ。すなわち二万世帯に一世帯の確率だ。大半の億万長者の年収は、その一割の50万ドルにも達しない。また、50歳前に億万長者になることも少ない。そしてみんな倹約家だ。湯水のようにお金を使いながら億万長者になることは、ほとんどない。

資産のある人は、次の三つの質問にイエスと答える率が高い。(1)あなたの両親は倹約家でしたか?(2)あなた自身は倹約家ですか?(3)あなたの妻はあなたより倹約家ですか? この最後の質問は重要だ。蓄財優等生の家庭では、妻が輪をかけた倹約家であることが多い。

炭鉱業者の中には、少数とはいえ、業界の趨勢に左右されず、辛抱強く努力を重ねてきたおかげで報われた人がいる。「短期間、業界が苦しい時期に入ってくれたからこそ成功できた」というセリフを、成功成功した人からよく聞かされる。厳しい時期には、競争相手が自発的に戦線離脱していってくれる。

自営業者は、いいときがいつも続くとは考えない。ある程度の年齢の自営業者なら、景気の良い時も悪い時も経験してきているはずだ。だから収入が減るときに備えて、貯蓄投資の計画を立てる。年金計画も自分で立てる。彼らにとって頼る相手は自分しかいないのだ。考えてみれば、自制心が強く、自己管理の上手な自営業者が、経済的な成功を手にするのは当然と言えよう。

私にとって「年寄り」というものは、常に自分よりも15歳年上の人を意味する。

ニーズがはっきりとわからない時代には、あれこれ議論するより、経験則からニーズのありそうなあたりに(商品・サービスを)撃ち込んでみろ。反応がなければやめ、反応があれば正式にプロジェクトを進めていけばいい。

常識的な考えに染まらない。社員が働いているときには遊ばない。いつも社員と一緒に仕事をする。それが私の信条だ。

古来、事業をなすには天のとき、地の利、人の和と言い伝えられているがこれを貫くに至誠をもってしなくては事業の成功を期することはできない。

世の中に必要なものなら、きっと世の中が拾い上げてくれるであろう。だから私どもは自分のしていることが、世の中に必要なことかどうか、私自身がその組織の中で必要な人間かどうかを、常に厳しく反省してみなければならない。もし必要でないなら、自ら進んで身を引くべきである。もし必要なら、世の中が大事にしてくれるはずである。

志あるところに道は開かれ、求めるところに師は現れる。

人間、欲のない人間になったらおしまいです。欲の出しすぎはよろしくないが、欲のなさすぎも困りものです。「欲がない」とは大変キレイに聞こえますが、その実、骨を折ることを嫌い、精を出すのが嫌いで、つまり、人間がナマケモノの証拠です。

ビジネスで成功するかどうかのカギは、結局のところ、仕事を人生最大の遊びにできるかどうかだ。

人の助けも借りなければならないが、自分がしっかりしていてこそ、他人の力も借りられるというものだ。

ときには踏みならされた道を離れ、森の中へ入ってみなさい。そこではきっと、あなたがこれまでに見たことがない、何か新しいものを見出すに違いありません。

他人が賢明だと思う以上に、注意しろ。 他人が安全だと思う以上に。リスクを冒せ。 他人が現実的だと思う以上に、夢を見ろ。 他人が可能だと思う以上に、期待しろ。

私に取り柄があるとすれば、ただエンジンが好きで好きでたまらず、それに没頭できたことだ。

堅固な戦略を背景に、計画をきちんと立てて経営する時代は終わったようだ。いまや出たとこ勝負で、積極的に試行錯誤をやる方がいいのではなかろうか。

社長のあいさつというものはあまり流暢にやっては駄目だよ。もうすこし、訥々(とつとつ)とやれ。君のように棒暗記では軽くていけない。

電卓競争で得た最大の教訓は、「メーカーは業界トップになること」であった。そうしないと、技術競争をリードできる立場になれないのである。

危機を乗り切れるかどうかは、優れた人材がどれだけいるかによって決まる。経営のポイントは人材の教育にある。私は社内教育を優先した。毎年1、2名を留学させている。エリート人材が活躍するには、学閥は大変に障害となるので、大学の指定はしていない。今でも社員の出身校はバラバラである。

生命保険と言うのは、他の商品と違って効用を直接訴えにくい目に見えない商品なので、これをセールスする苦労は大変なものである。表彰に値する優績セールスマンと言うのは、単に契約高という量的な面ばかりでなく、日常の地道な活動の実態などを加味したものである。

日本は官僚主導の統制・規制が好きな社会で、自由競争社会でも市場経済でもない。

国際収支は本質的にゼロサムゲームであり、一人勝ちする者があれば大負けする者も出てくる。ところが日本は黒字国になった後も真剣に黒字減らしを考えずに大勝を続け、その結果、あちこちで経済摩擦を引き起こしてしまったのである。

嘘をついた管理職には降格などの罰を与えた。このころ、管理職の人事評価は人格を基準にすべきだと思うようになる。成果主義は考え方としては正しいが、測定が難しい。ある時期に上がった成果が、現任者の功績か、前任者の種まきによるものか、はっきり分けられないからだ。それなら誠実、部下の面倒見がいいといった人間性を重視した方がいい。

日本にはなかなか資本主義が根付かない。金儲けを罪悪視する風潮が今も残っている。誤解を恐れずに言えば、悪しき平等主義がはびこったために、日本社会がしなったものも大きいように感じる。

人は誰でも種々様々な能力を持っているものなのに、自分がどんなに優れた能力があるかを知らずにいる場合が多いと思う。どの世界でも、偉人というものはたいて、自分で自分の能力を発見し、育てていった人であろう。

しみじみと思うことは、いかなる名案であっても時期が到来しなければ現実は困難であり、タイミングさえよければ非常に困難に見える仕事も案外スムーズに運ぶということである。古人はこれを天の時と言った。

復旧が一段落してのち、被災中、鉄道の全線が寸断され通信もまったく不通の中で、緊急の措置によって、旅客の安全をはかった従業員を表彰することになり、労務部で調査したところ、表彰を受けるものの多くが日ごろ上司の付けている人事考課が良くないのに気が付いた。

スウェーデンは高度の福祉国家である。しかし老人たち、とくに夫婦のうちいずれか一つが欠けた場合、彼らは孤影悄然としており、また、いわゆる「かぎっ子」が多く、両親の子供教育が行き届かないために不良化することが多いそうで、青少年の非行問題がこの国の悩みのひとつだという。【覚書き:孤影悄然=こえいしょうぜん。ひとりぼっちで寂しそうなさま】

かつて生涯を昭和電工で仕事一筋に働いた方々を配慮する気持ちがなければ、結局、会社は衰退するだろう。会社は過去から現在、将来にわたって人間関係の中にあるわけだし、広い世間の一角を占めており、孤立しては存在できない。このことを忘れて独善に陥り、自己に誇ることは許されない。

ははあ、女というものはトイレなんかで秘密のことでもなんでも話すんだなと私は感じた。銀行会社のトイレは無数にある。ここから戦後の若い働き方を探れば何か出てくるなと私は思った。

事業は三代かかって完成すると思っている。一代で何でもやろうとしてはいけない。会社を早く大きくしようとして、無理をすれば初代でつぶれる。仮に続いたとしても、子や孫の代に滅びる企業は実に多い。

企業の盛衰は商品の持つライフサイクルに影響を受けるものであって、いかに優秀な経営者でも、商品のライフサイクルが悪い状態のときにはいかんともしがたい。

わが社の製品はこのように優れているのだから、これを使用するのは当たり前である。売れないのは、非はむしろ需要者の側にあるといった思い上がった態度も、技術屋の側になくはなかった。これではいかに口先で経営を論じてもしょせんは机上の空論であり、企業を伸ばしていくことは不可能である。

私は軽い経営が理想だと思っている。軽い経営とは従業員全員の肩に水圧を感じさせない会社のことだ。職制とか人事権とか命令系統とか、何か一つの権力構造を頼りにして、権力をチラチラさせながら下を押しまくっていくような経営は重い経営だ。

もしその事業が本当に日本の為になるもので、しかも住友のみの資本では到底成し遂げられない大事業であれば、住友はちっぽけな自尊心に囚われないで何時でも進んで住友自体を放下し、日本中の大資本家と合同し、敢然之を造上げようという雄渾なる大気魄を絶えず確りと蓄えて居ねばならない。

事業の進歩発達に最も害をするものは、青年の過失ではなく、老人の跋扈(ばっこ)である。

会社経営の要諦は社長個人としての能力がいかに優れていても限界があり、多数の部下にその力を十分に発揮させ、その総合力をいかに結集し、活用するかが大切なのである。最終の責任を負う覚悟を堅持すればいいのだ。

近年、戦後の荒廃から日本が立ちなおり、日本経済の順調な成長に沿ってトップ層も交代し、若返りをはかる時期が来たわけだが、社長が代わっても本当の意味での若返りと言えるかどうか疑問に思っていた。日本独特のいわゆる実力会長制がはびこり、せっかく後進に道を譲ると称して交代しても、代表権のある会長に収まってしまって、いわば奥の院的な法王的存在になって二頭政治の機運を醸成しかねない。

どんな商売でも、創業者は人並み外れた才覚と努力で成功を勝ち取った人であり、その子供が二代続けて創業者と同等かそれ以上の資質を持っている確率は皆無に等しい。

宮崎に帰って地方のために働いてみよう。中央に向かう人はたくさんあるから、私一人くらいは地方に埋もれた方が意義があるのではないかと思うようになっていた。

ヒントは釈迦の教えから得た。インドには三億人の民がいる。うち一億が私の教えに共鳴してくれたら立派な国になると説いたという。なるほど三分の一か。三割がしっかりしていれば、どんなに悪い者がいても残りの三、四割はついてくる。この考えを実践しよう。私は全株式の三割を持つだけにし、残りはすべて社員に分けよう。

無駄をなくすということは、口に出して言うのは簡単でも、実行するのは難しい。これは昔も今も、人々のひとしく悩みとするところである。余分な人員を整理し、無駄な費用を省き、精魂を尽くして本社の基礎を固め、相手に負けないだけの体制を築いてこそ、はじめてこちらの勝利が期待できる。

私は常々こう言ってきた。「企業経営は雪だるまを押していくようなものだ」と。雪だるまは最初に芯を作るときは骨が折れるが、あとは転がしておれば、だるま自身がふくらむ。押す時よりも、芯を作るときの方が力はいる。

経営者には六段階の時期がある。

  1. 社長個人でお金を儲けようとする時期。
  2. 会社として利益を生み、蓄積を考える時期。
  3. 売上高や社員を含めて、会社全体を大きくしたいと願う時期。
  4. 人や組織作りに一生懸命になる時期。
  5. 業界や、世の為、人の為に尽くす時期。
  6. 死んだとき悪口をいわれないように努める時期

私は決して経営の多角化を目指していたわけではない。モータリゼーションが進展しやすい環境を作ろうとしただけである。需要の拡大は潜在需要の開拓にあるが、その潜在需要層が存在しなければいかんともしがたい。つまり、需要開発の出発点は潜在需要層の育成にあるのだ。

業界のムードとしてはまだ雲助根性をだして、荷主の顔色をうかがいながら、どんぶり勘定で運賃を適当にふっかける風潮がなくはなかった。その中で、適正な運賃、早い運送、客の親切を守るだけで評判は上がったのである。とくに大垣は城下町として堅実、保守的な土地柄だったから、なかなか入り込めないかわり、一度信頼を得ると絶対の強みになった。

天に向かって誠実ならば、人がどう思おうと自分の信念に従えばよいと佐藤一斎は言う。しかし、他人や組織に受け入れてもらえなければ、実業の世界では理想も信念も実現できない。天に向けた理想、信念、誠実を裏付けにしながらサラリーマンは大いに自分を人に示す必要がある。

若き日の山地土佐太郎(極洋捕鯨初代社長)はブラジルから帰りの船賃が足りない。彼は子豚10頭ばかりを移民船に積み込んだ。豚は戦中の移民の食料として買い取ってもらうように三井物産と契約しておいた。2・300人の移民のなかには船に弱くて少し揺れると食欲をなくす人が多かった。思惑通り、豚はその残飯を食べて丸々太っていった。彼が豚のえさを積み込んでなかったことは断るまでもあるまい。

だいたい、担保を取って金を貸すのとそうでないのとでは、受け取る側のありがたみに雲泥の差がある。「そこまで、この私を買ってくれるのか」この気持ちが事業に大きな作用をもたらすのである。

研究資料が乏しいので、必要な文献や論文を回し読みする「輪講」はかなり続いた。大学時代からそうだったが、先端の技術研究書は欧米のものばかりだった。日本の学者のものは、理論的なものばかりで、やはり経験の多い欧米のものが実際的であった。

私は、知的能力であれ、行動的能力であれ、さらに人間的能力について、限界を人様より敏感に意識するという性格が強いのである。私は過ぎ去った日々の中で、しばしばそういう孤独感にさいなまれながら歩いてきた。それだけに、私はものごとに当面して、私の出る幕であるかどうかを考え、その渦中から去っていったものである。

資材について馬鹿げた話がある。資材の獲得には誰も苦心したが、軍関係の倉庫に電線が保管されてあると聞いて、もらいに行った。応召の若い将校がいて、あるにはあるが保管に不便だから50メートルずつ切って保管してあるという。

企業というものは社長一人が優れていても、たいしたことではないんです。全社員がそれぞれの能力を十分に発揮できるような、一人一人が気持ちよく働けるような職場づくりをしなければ業績は上がりません。

小さな規模で大工場を向こうに回して、何でも来いと言ったところで、大工場には勝てるものではない。この工場として何を作るのが一番適しているのか、またそれが将来性があるかと品目を定め、その方に一路力を注ぎ、他の雑多な方面はいっぺんに整理すべきだと考えたのである。

最近はROE(株主資本利益率)重視に走る企業が多いと感じています。ROEでしばられて、ROEが悪くなるから投資はやめようという考えではなく、成長とバランスを考えることが必要だと思う。うちのやり方は、先に網を張っておいて、よしんば下がっても、網を張った会社が元気に成長してくれて、結果的にROEが上がってくれればいい。ROEにあまり拘泥すると矛盾が生まれます。

トヨタの連結ROE(株主資本利益率)は7%で、ビッグ3と比較すると低いと言われますが、そんなに高く持つ必要はないのではないかと考えています。もちろん、高く持つに越したことはないのですが、会社の発展の度合いによって数字は違ってくるものではないかと思います。

ソニーでも足し算の文化のごとく、オーディオ・ビジュアル・ビジネスの上にITビジネスを乗せてしまおうというわけです。この両業種を合わせて、いままさにはじまったデジタルの爆発的な成長に貢献していけるようなモノづくりをしていこうということです。

日本という国は足し算の文化だと思うのです。アメリカの文化は、Aがあって次にBに変わったら、Aはなくなってしまう。でも、日本の文化は違います。AプラスBという形で変わっていくことができるのです。AからBになっても、Aはなくならない。それが足し算の文化なんです。

規模が大きければ画一的になってしまいますが、小さければ相手の立場を理解したり、どう創造性を高めていくかなどを考えることができます。買う人の満足が得られるようなモノづくりをしていかなければいけない。

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