経営者・社長・会社経営の名言格言一覧

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格好よく言えば、私は女性を美しくすることに生涯をささげてきた。まことに幸せな人生というべきだ。

大阪梅田を皮切りにステーションビルをあちこちに展開した。「民業圧迫だ」と批判を受けたこともあったが、「皆さんの方が官業圧迫だ」と突っぱねた。
【覚書き:総裁として国鉄の経営再建にあたった時を振り返っての発言。多角化して収益回復しなければいけない時期にあった】

命まで取られへん。駄目ならやり直せばいい。
【覚書き:陸軍の過酷な訓練を経験し、どんなつらい状況でも耐えられるようになったことについての発言】

得意先が現金を積み上げて店の前に行列を作った。しかし、父は昔からの取引先を最優先し、原価すれすれの値段で快く商品を渡していた。父は「戦後の混乱などアブクのようなものだ。そんなもんに目がくらんでは駄目だ」と周囲の声に耳を貸そうとしなかった。

長い人類の歴史の中で過去と未来のつなぎ目に自分が生きているという認識を持つことがまず大切だ。そのために、歴史を学び、それが自分を知り人間を知ることになる。

日本株の国際化に大きな役割を果たしたと思う。欧州市場にも上場して、ソニーを世界的基盤に立つ企業にしたい。
【覚書き:ソニーを日本企業で初めて、ニューヨーク証券取引所に上場させたときの言葉】

お客様の求めるままに学習し進化する。
【覚書き:小売店の販売網が邪魔をして改革が進んでいなかった文具流通を改革し、アスクルの立上げを行った。さらにオフィス用品の通販から、オフィス工事、医療通販など業務を広げたことについて語った言葉】

SPA(製造型小売業)は調整しやすい。全部のリスクをウチが負っているので、情報が正確かつ迅速に集まってくる。従って、生産・販売・調整ができる。

一度は死ぬのだから、とにかく前を向いて死ねばいい。後ろを振り返って心配する暇があったら、前に進む。それで死んだら仕方ない。
【覚書き:22歳で帰郷し、苦境に陥っていた林原の再建に取り組んだ時の言葉】

組織の上に立つ者が、まず頭を切り替えなければ、競争に勝てる戦略は生まれてこない。
【覚書き:オイルショック後、利益を維持するために商品の価格をあげたことが裏目に出て、他者にシェアを奪われたことに対しての反省の言葉】

どこよりも親切に。日本一気分よく買える店を目指す。最後は何と言っても人で決まる。

早く育てようと年中肥料をやれば、根は傷む。毎日一定の時間に水をやっても、過湿で根は腐ってしまう。丹念に面倒を見ればよく育つわけでもない。蘭には蘭の生活リズムがあり、それに人間の方が合わせなければ、最良の状態にはならないのである。【覚書き|部下の育成法を自身の趣味のラン栽培に例えて語った言葉】

私はよく社員に「魚屋のおやじになれ」と言う。いつも新鮮で旬の商品をタイミングよく並べていれば、お客様は喜んで買ってくれる。技術の世界も同じだ。「鮮度」と「旬」と「マーケティング」が基本だ。
【覚書き:2000年の日本の半導体産業不況で各社減益した中、唯一最高益を更新したことについて語った言葉】

経営には「果決」が必要。果物を間引いて一つだけ残す決断の難しさをいうのだが、多くの需要のなかから一つを育て上げる選択が難しい。
【覚書き:オイルショック後に商品の選択集中とリストラを行った時を振り返っての発言】

日本人は円とドルだけですべてを語ろうとするが、世界にはいくつもの通貨がある。輸出の基本は、安い通貨圏から高い通貨圏へ売ることだ。
【覚書き:円高が進んで日本の多くの経営者がひるんでいた時期の発言】

学問の深さで、よい製品作りができるわけではない。

私が社長らしくない社長になって、大切なことには積極的に首を突っ込み、現場主義で行こうと考えたのは、当時からキヤノンにも大企業病のきらいが少し表れていたからだ。

人減らしのなかでも、採用は続けるべきだった。
【覚書き:オイルショック後の不況で、ユニチカの経営再建で人員整理と新卒採用見送りを同時に行った。その時を振り返っての発言】

設備が同じでも、もっと効率的に作れないのか。それと、腕を磨くことには無限の可能性がある。
【覚書き:太平洋戦争終結10年後にドイツのフォルクスワーゲン社の工場を訪問した時、最新の設備に驚かされ、生産技術向上に力を入れることを決意したときの言葉】

お客様は来てくださらないもの。お取引先は売ってくださらないもの。銀行は貸してくださらないもの。というのが商売の基本である。だからこそ、一番大切なのは信用であり、信用の担保はお金や物ではなく人間としての誠実さ、真面目さ、そして何より真摯さである。

子供にあんな思いをさせている自分が経営者として情けない。
【覚書き:ホンダの社内運動会で、社員の子供たちがツギの当たったズボンをはいているのを見た時の言葉。会社の業績をもっと伸ばし、社員にもっと給料を払ってやれれば、社員の子供たちもツギの当たったズボンをはかなくてよくなると、社員の給料に対しても自分の問題としてとらえた言葉】

現場を知らない企画屋ほど、やっかいなものはない。
【覚書き:統計データだけを見るだけでは駄目で、現場を肌で感じ、なぜそんなデータになっているのか背景を見なければいけないという趣旨の発言】

学校では教えてくれない人生で役に立つ11のルール

  1. 人生は公平ではない。それに慣れよ。
  2. 世界は君の自尊心を気にかけてはくれない。君の気分に関係なく世界は君が仕事を終わらせることを期待している。
  3. 高校を出てすぐ6万ドルの年収を稼ぎはしない。携帯電話(当時は高かった)を持った副社長にもならない。自分で両方を稼ぎ出すまでは。
  4. 先生が厳しすぎると思うなら、上司を持ってみろ。
  5. ハンバーガーを引っくり返すということは沽券(こけん)にかかわることではない。君たちの祖父母はハンバーガーを引っくり返すことを別の表現を使った。それはチャンスと呼ばれた。
  6. 君が失敗したらそれは両親のせいではない。文句を言わずに学べ。
  7. 君らが生まれる前は、君らの両親は今のように退屈な人たちではなかった。そんな風になったのは、君らのために支払いをし、服を洗い、君らがどんなにいけてるか、という自慢を聞いているうちにそうなったのだ。親の時代から生存する寄生虫から森を守る前に、自分の洋服ダンスのダニ駆除から始めよう。
  8. 学校は勝者・敗者を決めなくなったかもしれないが、人生は違う。学校によっては君が落ちこぼれないようにしてくれたり、正しい答えが導き出せるまで、何度でも機会をくれる。実際の人生とは全く似ても似つかない。
  9. 人生は学期ごとに分けられていない。夏休みは無いし、ほとんどの雇用主は君が自分を見出すことに興味を持たない。それは自分の時間にやれ。
  10. テレビは本当の人生ではない。 現実では、人は喫茶店にいつまでもいられるわけはなく、仕事に行かなくてはいけないのだ。
  11. オタクには親切にしよう。彼らの下で働く可能性が高い。

【覚書き|上記はビル・ゲイツの創作ではなく、チャールズ・J・サイクスの著書「Dumbing Down Our Kids」から一部を引用したものと言われている。】

企業戦略は世の中を一歩先取りしないといけない。そして、経営者は学者では務まらない。会社の体力、自らのリーダーシップの限界を知ったうえで、世の中で「これは」というものを信じて追い求めればよい。あとは決断であり、大切なのは勘と度胸である。

滅私奉公を旨とする日本の「法人社会主義」が、頻発する企業不祥事の一因です。
【覚書き:会社のために法令違反をするビジネスマンたちに対する戒めの言葉。法令を順守し社会倫理をしっかりと持てという趣旨の発言】

ここはいま、日本で最低の撮影所だ。しかし、私が来たからには大改革をして日本一の撮影所にしたい。みなが賛成してくれるなら、日本一に必ずできる。同じ夢を見ようじゃないか。
【覚書き:赤字の東京撮影所の経営再建にあたった当時の言葉】

毅然として歩むには、誇りを持たなければならない。誇りを持つことは、相手を見下すことではない。常に礼儀を忘れてはならない。礼儀正しくということは、卑屈になることではない。その意味で、日本は誇りを失いかけてはいないか。

TQC(総合的品質管理)はバタ臭くてとっつきにくいというのなら、やらなくて結構。ただし、若い人の取り組みを妨げないでください。
【覚書き:鹿島建設でTQCを導入しようとしたとき、あまり乗り気でない他の重役たちに対しての発言】

プラザ合意後の円高時代にも内外価格差はあった。あの時期にやろうと思えばやれたことを我々はやらなかった。まず怠惰でしたと消費者に謝るべきで、今年になって半分にできましたというのはおかしい。
【覚書き:ライバル会社の価格破壊宣言に対しての発言】

人生がやりたいことと違う方向に向くことはよくある。私はビジネスマンになるつもりはなかったが、井深さんと盛田さんの大きな力で誘導されてしまった。しかし、興味がなければ長続きはしない。また、そこに成功がなければ成り立たない。その意味で、私に後悔はない。
【覚書き:バリトン歌手として活動する選択肢を捨て、ビジネスの世界に入ったことを振り返っての発言】

百貨店の価値は何かと問われたら、ライフスタイルのコーディネイト能力だと答えます。
【覚書き:伊勢丹新宿本館一階に新進気鋭の無名デザイナーの商品を取り扱う解放区を設けたことについて語った言葉】

売れているからといって、いつまでも喜んでいると、持っていることがかえってマイナスになります。
【覚書き:大ヒット商品も頻繁に大きな改良を行った】

加点主義をモットーに、前向きの失敗であれば一切処罰しないし、降格もしない。

経営トップは何よりも、新事業の育成にリーダーシップを発揮すべきだ。
【覚書き:デジタルカメラ事業の成功後、未知のデジタルカメラ分野に挑んだことについて語った言葉】

どんなに強いブランド力を誇っていても、それが永遠に続くことなどありえません。
【覚書き:発泡酒への参入を決意した時の言葉。当時、「ラガービール」は長期的に不振が続き、「一番搾り」もなかなか売り上げが伸びない状況で新たな道に進むことを決断した言葉】

大企業病は生活習慣病。健康体に戻るには、組織や事業の構造改革も必要だが、まずは社員の意識改革が欠かせない。

従来は商品を集めてくる問屋と付き合えばよかった。しかし、いまは自身でリスクをはってつくるデザイン力のある問屋、デザインメーカーでなければ取引する意味がない。

サービスとは「無事故、安全運転」以外の何ものでもない。サービスとは決して奇をてらった車両をつくることではない。
【覚書き:国鉄の総裁として国鉄改革を行ったことを振り返っての発言】

あんな覚書は、飛行機に乗る前に破り捨てちゃいますよ。
【覚書き:東京ディズニーランド建設の任に当たった時、米国ディズニーとの契約締結直前に、親会社三井不動産から厳しい制約条件の覚書きを渡されたことに対しての発言】

自動車は一度損をし始めたら、たちどころに泥沼に入り込んでしまう。逆に今がピークだと思ったら終わりだ。企業が発展し続けるには、少なくとも自己増殖できるだけの利益は、絶対に確保しなければならない。

売り手も買い手も対等であり、お互いにフェアに付き合うべきだ。
【覚書き:ゼネコンや政治家の圧力で不利な立場に立たされていたセメント業界を引っ張ってきた経験を語った時の言葉】

経営者は自らがトップの座にすわったとき、得手不得手を離れて、いかに会社の状況を客観的に把握できるかだ。
【覚書き:富士銀行頭取時代の発言。経営トップは自分の専門分野・得意分野から離れて会社全体の状況をしっかりと見極めろという趣旨の発言】

小売業の鉄則は「商い」と「始末」の区別をはっきりさせ、それを守ること。
【覚書き:始末とは経理、商品管理、労務管理などのこと。売上を伸ばすと同時にそういったこともきちんとこなさないという趣旨の発言】

これからは建設業もソフトで勝負の時代だ。
【覚書き:建物を建てるハード面だけでなく、お客さんのニーズを聞いたり、それに対して技術・資金計画も含めて提案するようなソフト面が今後重要になってくるという趣旨の発言】

本心から部下を信頼して仕事を任せてきた。
【覚書き:銀座本社ビルの売却、生産品目削減など厳しい事業合理化を実施し、合理化をなし遂げた時を振り返っての発言】

会社再建も難病の治療のようなもので、どんな薬を与えても効かなかったのが、峠を越すと、めきめき解放に向かう。
【覚書き:石川県の大手タクシー会社石川交通再建時を振り返っての発言】

ルールは基本的に法規によるべきで、企業が自分たちの立場で話し合って作るのでは世間に通用しない。
【覚書き:公正取引委員会委員長として企業の談合カルテル体質を批判しての発言】

人生は「節」があるからいい。悩む中から何かを勉強してつかみとって行く。そこに人間的な成長もある。
【覚書き:人生の「節」を自覚せよという人生哲学について語った言葉】

社風というのは平穏なときにはわからない。緊急、異常時に出てくるものだ。
【覚書き:伊勢湾台風直後の社葬の時を振り返っての言葉。準備期間が取れなかったのにもかかわらず社員が力を合わせ社葬を執り行った】

社長業は全力投球すれば体力、気力から6年くらいがちょうど良いところではなかろうか。自分の方針を社内に徹底して実現することも、6年あれば十分であろう。

商品とだけ付き合わず、会社と付き合え。
【覚書き:ビジネスマンは自社製品の知識だけでなく、会社全体の方向性も考えたうえで開発や営業をしなければならないという趣旨の発言。社員に口酸っぱく伝えた】

朝、会社の玄関に入るときに、下腹にエイッと力を入れて、ここからが修羅場だぞと自分に言い聞かせた。
【覚書き:オイルショック後の海運造船不況の中に船舶部長を務めたころを振り返った時の発言】

現状で満足しているわけではないが、電気事業に限っていっても、私が長い間考えていたことは、戦後になってだいたい実現した。敗戦という大きな動機があったとしても、世の中の動きというものである。
【覚書き:戦前に全国の中小電気会社を合併させ業界再編しようとするも受け入れられず、第二次世界大戦後に実現したことについて語った言葉】

舞台は真剣で値段は安い。そしておもしろい。幕間は短い。
【覚書き:舞台・演劇の興業はこうあるべきだという大谷氏の哲学を的確に表現した言葉。以降、この哲学によって松竹は大きく成長した】

我が国で成功している企業は、一から十まで西欧の模倣によるもので、日本独特のものはなんら進歩のあとが認められない。高等教育を受けた者はみなバタ臭い方向に行って、味噌、醤油をつくる仕事はいやしい仕事として敬遠されている。私はその不合理と不思議を心もとなく思った。

「寝れば一畳、起きれば半畳、五合とっても三合飯」の明るさと、「今にえろ(偉く)なったるぞ」の意欲が私の力だ。

たった今から収入の一割の貯金をしたまえ。自分で苦労したタネ銭がなくては、芽も出てくるまい。

世の中は刻々と変化し、個人の力でどうすることもできない場合もある。だが、どんなに変化する世の中でも、自分から落伍してはだめだ。

「謙虚に」。思い上がったり、でしゃばったりしないこと、そして人の立場を尊重すること。お互いに他人の立場を認め合って物事に処したなら、たいがい事はうまく運ぶ。
【覚書き:日本商工会議所会頭時代に処世訓を尋ねられた時の答え】

商売気を離れて油の用意をした。私のお客だけは油不足で仕事を休むようなことはなかった。他の事業会社では油が切れて事業を休んだところがたくさん出た。私はただお客のために油を用意しただけだ。しかし戦争が済んだら、油は出光に任せておけということになった。金は儲けなかったが、得意先を儲けたのだ。

イギリスからもらった名目だけのタイトルなんか返上したらどうか。日本にも明治33年までは居留地があって外人から見下されていたが、日本人自身の自覚と努力によって、ついにその壁を打ち破った。
【覚書き:英国領インドで綿花取引を行っていた際、現地のインド人ブローカーに言った言葉。このブローカーはのちにインド独立運動に身を投じ、ガンジー派の幹部として活躍した】

勉学が目的だが、実家の織物の仕事もあるから、有名大学をさけて最初ロンドン大学へ行った。経済学部で講義を受けたがさっぱりわからぬ。ところが下宿屋へ帰って教科書を読むと大半理解できる。これで私は通学しなくとも勉強できると考え、本ばかり買い入れて商売の方に精を出した。
【覚書き:留学しながら実家の丸紅伊藤本店(伊藤忠商事と丸紅の前身)の仕事を両立していたころを振り返っての発言】

西田(幾多郎)先生からはいろいろ教えを受けた。一番切実に教わったのは自覚ということだった。また、プラトンの意志の力、つまり吹雪の中を突っ込んでいくという発想、意志の弱さは罪悪だという思想を植え付けられた。

自分はこれまでただ自分のためにのみ働いてきた。そのためにロンドンに一人知己もなく、わびしいクリスマスを味わねばならなかったのだ。今後は可能な範囲で人のためにも働こう。
【覚書き:ロンドンでのホテルマン修業時、クリスマスで寂しい思いをしその後の人生哲学を確立したことを振り返っての発言。】

映画といえども企業は企業である。企業の要となる経理を自分でしっかり押さえてかかるならば、映画企業も立ち直りの例外となるまい。
【覚書き:東映の新社長に就任した時を振り返っての発言。東映は東横映画、大泉映画、東京映画配給の赤字3社が合併して発足した。】

商売は戦いなり。勝つことのみが善である。これが65年間、激動の時代を乗り越えた私の経営哲学である。

私は平社員の時も、社長、会長時代も常に「16番目の選手たれ」の気持ちを忘れずに過ごしてきたつもりだ。

先見性や発想力があっても、努力の裏付けがなければ経営者にはなれない。

日本人はぜいたくになり、何もかもが派手になりすぎている。物心ともにハンブル・ライフ(つつましい生活)に徹すべきである。
【覚書き:大槻氏は三菱鉱業の炭鉱の労務係から職歴をスタートさせたため、会長になっても質素な生活を徹底していた】

物産では駆け出しの若僧にも結構一切任せて大きな商売をやらせていく。ところがサラリーマンにすぎぬ。このままでは自分も知れたものだ。トコトン自分を追いつめて自分の運命を試してみたい。
【覚書き:三井物産を飛び出してインキ製造開発の道に進んだ時を振り返っての言葉】

ブローカー商売はもう御免だ。自分は汗を流さないでおいて、口先だけで中間利潤をむさぼる商売は、いわば詐欺と同類である。

普通の足袋にゴムを縫い付けた地下足袋はあった。しかし、地べたにはくのですぐに糸が擦り切れ、終始修繕しなくてはならない。自動車のタイヤは二枚の布を貼り合わせ、その上にゴムを張っている。そのゴムのりで張り付けるのが一番いいだろうと思った。
【覚書き:ゴム底地下足袋の開発時の発言】

人の一生は短いものであるが、事業は尽きることない永遠のものであると思っている。しかし、事業を永遠のものにするためには、日に新たに、絶えず己を更新してゆかねばならぬ。もしそうでなかったら事業は人の一生よりもっと早く老衰し、短命であるに違いない。

人は天下一品の使命といって、その人でなければ持ち合わせてない特性、あるいは才能がある。これを自由に発揮させる場をつくることが、経営者にとって最も必要なことだと思う。

運転する工場の中で一番大切なのは、人心の安定、すなわち和、敬の精神と、場内の清潔整頓である。

細かいことで私欲を出したり、無理に人を押しのけたりすることは感心できません。たまに赤字覚悟、損得勘定抜きの場合があってもいい。その方が相手側の信頼を得て、結局はプラスになって返ってきます。

現代の企業経営者は、社会全体に対して奉仕することを義務付けられている。
【覚書き:上記は東レ名誉会長時の発言】

経営は雪だるまを押していくようなものだ。すなわち、太く固い芯をフロンティア精神をもって作り上げていくことだ。

その人になりきってしまって、その人が怒るときには私も怒り、その人が泣くときは私もまた泣いて、ものを考えているのである。

私の仕事は一口で言えば、国防の基盤になる鉄や石炭、その他重要資源を調査し、これを整理編成することである。私は調査課長を十年近く勤め、その間、資源調査法を立案、同胞は公布された。業務が広範なので仕事は無限にある。だが在勤十年ともなると統計の数字などちょっと見ただけで勘が働き、誤りが発見できる。

「IBMを使おう」と言っても、社内ではまだ誰も知らなかった。いろいろ検討した結果の採決でも、賛成3に反対7の実情だったが、私はこればかりは譲れないと、強引にワンマンぶりを発揮して導入した。研究のための施設には惜しみなく資金をかける。いわゆる無駄を省いてこそできる贅沢なのである。

神谷商事の設立とその失敗を通じて、ひとつの人生観を体得した。それは、過去のことにくよくよせず、大勢を見通したうえで、その流れに逆らわず、新しい人生を求めよという考え方である。
【覚書き:三井物産退社後、鉄鋼問屋神谷商事で起業するも、金融恐慌の経済混迷で廃業に追い込まれた時を振り返っての発言】

26歳で200人あまりの所員を指揮した体験は貴重だった。ふだん要領がよく所長に取り入っていた人たちは、顔を見せるものが少なかった。反対に、毎日二時間も三時間も歩いてきて「今日は何をしますか」と真剣に聞いてくるのは、日頃ぶっきらぼうで要領の悪い人たちに多かった。
【覚書き:関東大震災直後に東京ガスの芝営業所長代理として陣頭指揮にあたった時を振り返っての発言】

処遇の厚薄は担当する楽器操作の巧拙と難易によって上下する。理想は楽団的事業経営体である。
【覚書き:神戸商工会議所会頭・日本商工会議所会頭などの経験を踏まえ理想的な労使関係を語った言葉】

本業がおろそかになる。やはり本業が大事だ。苦労しても品質をよくすることが必要だ。
【覚書き:映画会社にフィルムが売れず、富士フィルム自ら映画製作に乗り出すべしという意見にたった一人反対した時の言葉。】

事業部制は組織を垂直方向でなく、水平方向に発展させようという試みである。

カニは己の甲羅に似せて穴を掘る。要するに、分相応を守ってきたんだよ。
【覚書き:オカモトの50周年に語った言葉】

己の分を知っている人は、人の信頼も得られ、社会の中で重くなっていく。不満な人は会社で絶対に伸びない。
【覚書き:経団連会長時に出世する人はどんな人かと問われての発言】

粘って粘り抜く。そうすればいつかは曙光が見えてくるものと私は確信しています。

いくら訪問しても、先方が留守で会えぬことがある。私は留守なほどよいと思う。四度も五度も留守で、やっと6・7度目に会えたというようなときは、たいがいの頼みごとは、先方がこころよく承知してくれる。こちらの誠意が会わぬ先から先方に届いているからだ。

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