人間関係・コミュニケーションの名言

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人間関係・コミュニケーションの名言 一覧

相手を泣かせようと思うときは、まず自分から泣いてかからなければならない。だが笑わせようとするときは、自分は真面目ぶって構えていなければならない。

女性が同じ顔、同じ性質、同じ性格をしていたのなら、男は決して不貞を働かぬだけでなく、恋をすることもないだろう。

恋愛は激しいほど休憩を欲している。恋愛にも日曜日がなければならない。それがかろうじて永続させる方法であり、つまり忘却の逆用である。

いくら丁寧な言葉を使っても、マニュアル通りの対応では慇懃無礼の印象を与えるだけだろう。お客様に不愉快な思いをさせれば、企業のイメージも傷つく。心のこもった温かみのある対応が不可欠である。

ざっくばらんに語りかけ、あえて隙を見せ、緊張感を与えない対話の方法は抵抗勢力相手にも有効だ。行動を起こせば抵抗にあう。これは組織では当たり前だが、そのような抵抗勢力も味方につけるためには、コミュニケーションをとる以外に方法はない。本音をぶつけ合う以外に方法はない。

人への親切、世話は、慰みとしてしたい。義務としては、したくない。
【覚書き|貧乏文士たちへの助力や金銭援助を行うことについて語った言葉。】

他人の考えを見抜きながら、自分の本心を人に知られずにいられることは、知性が優れている証拠です。

きちんと意見を相手に伝えるコミュニケーション能力というのは、企業でも個人でも非常に大事だと思います。社長になってから外国のお客さんに接することが多くなりました。私の英語は本当にひどいのですが、とにかくブロークンでもいいから自分で英語を話して一対一でコミュニケーションをとるように心がけています。

お前の本当の腹底から出たものでなければ、人を心から動かすことは断じてできない。

愛する人の欠点を美点と思わない人間は、その人を愛しているのではない。

これがよい、これが悪いと、だれが定めることができるだろう。お互いに誰も賢くもあり愚かでもある。それは耳輪には端がないようなものだ。こういうわけで、相手がいきどおっていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかと恐れなさい。自分ではこれだと思っても、みんなの意見に従って行動しなさい。

心の中の憤りをなくし、憤りを表情にださぬようにし、他の人が自分と異なったことをしても怒ってはならない。人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。相手がこれこそといっても自分はよくないと思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。自分はかならず聖人で、相手がかならず愚かだというわけではない。皆ともに凡人なのだ。

愛される最も簡単な方法は、自分から愛することだ。顧客、スタッフ、取引先と恋に落ち、彼らに対する仕事、理解、尊敬、感謝を通して彼らの生活をより良いものにしようと心から願うことが必要だ。

21世紀のビジネス環境における成功のカギは、人と創造的に協働する能力を持つことだとわかった。どんな個人も、すべてを知ることはできないし、パズルのすべてのピースを持ち合わせることもできない。

誰の言葉にも耳をかたむけろ。誰のためにも口を開くな。

間違って伝わった自分に対するイメージによって人々から愛されるよりも、自分の真実の姿によって憎悪された方が気持ちがいい。

人間が他人を理解する秘訣は一つしかない。彼らを判断する場合にせっかちにしないことだ。

楽しみにも喜びにも、隠しておかなければならないものがある。それらは程度を超すと、他人を怒らせ、醜い行いと呼ばれ、復讐を受けることになる。

沈黙は口論よりも雄弁である。

争いの場合、怒りを感ずるやいなや、我々は真理のためではなく怒りのために争う。

人は、人間を着ているものを通して洞察せねばならない。そして、その人が着ているものを無視することを学ばなければならない。

大いに賢き者は、他人に自らを大いに愚かだと見せる。

私は、自分を除くすべての人間の失敗を寛大に許すことができる。

人の礼法あるは水の堤防あるがごとし。水に堤防あれば氾濫の害なく、人に礼法あれば悪事生ぜず。

朋友の間、悪しきことならば面前に言うべし。陰にてそしるべからず。後ろめたく聞こゆ。前面にその過ちを責め、陰にてその善を褒むべし。

天下のあらゆる民は、我と同じく天地の子なれば、みな我が兄弟なれば、もっと愛すべきこと言うにおよばず。

互いに自由を妨げない範囲で、我が自由を拡張すること、これが自由の法則である。自由とは、すべての特権を有効に発揮させる特権である。

ある人間を判断するには、その人の言葉によるよりは、むしろ行動によって判断するようにしたほうがよい。なぜなら、行動はよくないのに言葉は素晴らしい人間が多くいるからだ。

友情において次の掟を守りなさい。厚顔無恥な事柄を要求せず、また要求された場合でも了承しないこと。

うそつきは、真実を語っても信じられることはない。

誰も信用しないものは、おのれ自身が信用されていないことを知っている。

人からものをもらったときは、倍返しするといい。たとえば、3000円の菓子折りをもらったら、6000円のものを返すんだよ。これには理屈がある。くれた人は、俺なり家族なりのことを考えて、品物を選んでくれてるわけだ。その気持ちへの感謝が3000円分。そして、当然、その品物に対しても同額のお返しをする。合わせて6000円ってことになるわけだ。お返し分の何百倍、何千倍ものいいことが起きる。ホントだから覚えておくといい。

俺はしっかり肝に銘じてる。ただ奢られたり、ただもらったりなんてことはしない。その場は得した気分になるかもしれないけど、それで一生頭が上がらなくなったんじゃ、えらく高くつくことになるんだ。恩を受けるってことは、ハンデを負うってことなんだ。よっぽどの覚悟がなくちゃ、一生もんのハンデなんか負えねえよ。俺はいつも現金決済、飲み食いも、遊びも自腹でやる。仕事をしてりゃ接待を受けることだってあると思うけど、されっぱなしはいけない。必ず借りは返しておくこと。借りを作ったままじゃ、対等な立場で商売ができねえ。

釣でいうコマセ(撒き餌)を、こんだけ撒いて鯛が3枚上がらなきゃ元は取れないななんて考えて撒くやつがいるかい?釣果は二の次、その場は損得抜きで、豪快にパッと撒いてこそのコマセだろ。俺はそんな付き合いこそが世渡り力だと思ってるんだ。一番価値があるのは、情報を持っている人間なんだよ。だったら、その人間にお金を注ぎ込むのは当然じゃねえか。人間を大切にする。大切にするためのお金は惜しまない。それが世渡り力の原点だ。

人と話すのは面倒くさい、人付き合いは煩わしいなんて言ってたら、いい情報は入ってこないし、成功なんてどっか行っちまうよ。成功するには、しゃべって、人と付き合って、先端情報を取りこぼさない世渡り力を鍛えるしかないんだよ。待ってたって情報なんか集まっちゃ来ない。常に大企業の人間と付き合ってないと駄目。大企業の第一線にいる人たちと話してると、技術がどんな方向に進んでるとか、最新の素材開発はどんな段階なのかとか、俺たちにとってお宝みたいな情報が入ってくるんだ。現場の切実な悩みなんかもわかるんだよ。

学校じゃ、簡潔に話せ、控えめに話せなんて教えるだろ。これがいけないよ。だから立派な大学を出た政治家にも、自分の言葉でまともに話せるのがいないっていうお寒いニッポンになっちゃうんだ。言葉は聞くそばから消えちゃうんだよ。10を額面通りに言ったんじゃ、1か2しか残っちゃいないよ。しゃべるときは、10のものを100にも1000にも膨らませられなきゃ駄目だ。

気は心、これも世渡りのキーワードだ。俺はどんな仕事相手にだって言いたいことは言うけど、そのへんの心遣いだけは欠かしたことがない。俺のことをおっかながっている人も、俺に怒鳴りつけられた人も、いっぱいいると思うけど、仕事が切れないで続いてるのはそこなんだよ。いくら表面上だけいい顔したって、腕だけが少々よくたって仕事なんか続きゃしない。心遣いができなきゃ、ホントの縁は生まれない。忘れるな。

いろいろな企業と付き合いのある仲間からの情報は貴重だ。なかには運命を決めるような情報だってある。人付き合いをやめたばっかりに、そんな情報が入ってこなかったら、それこそ運命にかかわるんだ。いま仕事が大量に入ってきているからといって、それだけに目を向けていたら、値引きが必至な三年先のダメージは計り知れないってことになる。実際、そんなことで潰れていった会社を、俺はたくさん見ている。

いまは間に人を入れるようにしている。企業と直接、取引ができないってことじゃないんだ。できるけど、わざと口銭を払ってワンクッション置いてるんだ。企業と岡野工業の間に名の通った商社が入ったら、企業側は一目置くじゃないか。たった6人の町工場なんて見方はしない。あの規模で一流商社を使うんだから、よっぽどすごいところなんだと思うだろ。黙ってたってナメたマネをしてこなくなるんだよ。

私が彼と会ってお喋りができたなら、彼の中に興味有るところと人間のいたわり合う気持ちを見出すことだろうと請け合う。というのも私は嫌いな人とまだ会ったことがないからだ。あなた方が人と会うとき、どんなに先入観を持っていたとしても、彼等に会ってその観点や人間性を見た後では、彼等全ての中に多くの良いことを見出すことができる。
【覚書き:上記はソ連の政治家トロツキーについて語った言葉】

どんな場合にも、私は私でいようと思っていました。そのうえで、ごく自然な形で日本の社会に溶け込めれば、同化できればと思ったのです。もちろん妥協はしません。そのかわり、無理に違いを強調するようなこともしません。そうやって、ともかく自分は異なった人間だとわかったうえで、相手に手を差し出したのです。その姿勢のおかげで日本の人たちは心を開いてくれました。

私には溶け込もうという強い意志がありました。それまで、さまざまな国で生活し、まったく異なる文化を経験していましたが、どこにいた時にも、常にその国に同化したいと思っていました。どこに行っても、私は単なる旅行者でいようとは思いませんでした。入植者でもなければ、移民でもない。その国の人になろうとしたのです。

互いの相違点を認識して、その価値を認め合うこと。相手を尊重したうえで率直に語り、また相手の言うことに真摯に耳を傾けること。こうした方針はあまりにも単純で当たり前だと思われるかもしれませんが、従来の経営マニュアルに書いてあるかというと、必ずしもそうではありません。大切なのは自社の文化を維持しながら、同時に相手の文化を理解し、それに適応していくということです。

あなたに危機が訪れたときにあなたを見捨てる友人を、信頼してはいけない。

我々は心に気を配るべきで、外見に気を配るべきではない。人の心を見ることが重要で、その人の外見を見る必要はない。

動物は快い友達だ。彼らは、質問もしなければ、批判もしないのだから。

すべての人間は、他人のために自分を犠牲にする覚悟のある者に対して尊敬と畏敬を覚える。これこそ宗派や教条の問題ではない。

人々に精神的援助を与える人間こそ、人類最大の恩人なり。

我々がおべっかを信用しなくとも、おべっか使いは我々の心をつかむ。

下手なお世辞は、根拠のない叱責よりも我々に屈辱を与える。

なぜこのように悪口が絶えないのか。人々は他人のちょっとした功績でも認めると、自分の品位が下がるように思っているからだ。

多数の友を持つ者は、ひとりの友も持たない。野獣は野獣を知る。同じ羽毛の鳥はおのずから一緒に集まる。

高潔なる人物は恩恵を施すことを好むが、恩恵を施されることを恥じる。人々に恩恵を施す者は、他人より愛されるよりも多く、自分を愛する。孤独を愛する者は野獣、もしくは神である。

信頼は鏡のガラスのようなものである。ヒビが入ったら元通りにはならない。

他者を幸福にすることは、一番確実な幸福である。

正直にしよう。正直であることは雄弁と徳業との秘訣であり、正直であることには道徳的な影響力がある。真実は雄弁と美徳の秘訣であり、倫理的根拠の基礎であり、美術と人生の極致である。

嫉妬心を少しも持たず、友人の成功を喜ぶ強き性格の持ち主は皆無なり。

あらゆる社交はおのずから虚偽を必要とするものである。最も賢い処世術は、社会的因習を軽蔑しながら、しかも社会的因習と矛盾せぬ生活をすることである。最も賢い生活は、一時代の習慣を軽蔑しながら、しかもそのまた習慣を少しも破らないように暮らすことである。

阿呆はいつも、彼以外の者を阿呆であると信じている。

信頼は強制によって作られるものではない。人間に信頼を強いることはできない。

虚言は真実でないばかりか、常にその内に争いをはらんでいる。

他人に求められる前に、忠告をするな。

戦争は戦争を生み、復讐は復讐を招く。これに反し、好意は好意を生み、善行は善行を招く。

順境に友人を見つけることは簡単だが、逆境に友人を見つけることは極めて難しい。

あなたの敵にどうやって復讐すべきだろうか?できる限り多くの善行を行うよう努力しなさい。

神は人間にひとつの舌と、ふたつの耳を与えた。しゃべることの2倍多く聞けということだ。

雄弁とは、君が話す相手に真実を完全に、わかりやすい言語に翻訳する能力である。

お互いに許すことができない唯一の罪は、意見の相違である。

優しいのは性格が弱いからだ。私はそれに打ち勝たなければならない。酷いことにも耐える強い心にならねばならない。

あえて馬鹿に見せるということは大きな知恵である。だが、そのためには私にいつも欠けていたある種の勇気を必要とする。

上着の綻びは直ぐ繕える。しかし、きつい言葉は子供の心を傷つける。

その人になりきってしまって、その人が怒るときには私も怒り、その人が泣くときは私もまた泣いて、ものを考えているのである。

己の分を知っている人は、人の信頼も得られ、社会の中で重くなっていく。不満な人は会社で絶対に伸びない。
【覚書き:経団連会長時に出世する人はどんな人かと問われての発言】

相手が信頼するに足れば、自らも信頼に値するものにならねばならぬとする努力。これが相互信頼の真髄である。
【覚書き:日産自動車社長時の発言。労組との交渉について語った時の言葉】

私は朝早くから工場に行き、職長たちと親しみ、晩は職長たちを呼んで茶菓をだして話を聞いた。経営の核心を知るために、原価を的確に知りたく、原価計算も研究した。私のこうした仕事ぶりは、周囲に好感をもって迎えられた。職長たちも、今度の人は前の人たちとは違う、よく話の分かる人だと褒めてくれた。
【覚書き|日本陶管で高浜工場長に就任したときを振り返っての発言】

人間と人間のつながりは、程度の差はあっても、誤解の上に成立しているものです。お互いに自分でもわからぬ謎をもって生きている以上、当然のことだと言っていいでしょう。善意の誤解の上に、恋愛や友情は成立すると言っていいと思います。

男と女が一緒に暮らしてゆくために必要なものは、情熱でもなく、肉でもなく、それは忍耐に違いない。相手の現在をきらめく光が取り囲んでいたとしても、それはやがては消え去って、地肌の醜い部分が露出してくる。それにたじろがずに見つめ、自分の中に消化しようとする。しかし、消化しきれない部分が常に残り、絶え間ない違和感と生ぬるい苦痛とを与えてくる。それを忍耐することが、男と女が暮らしてゆくために最も大切なことだ。

たとえ自ら意識しないにしても、他人を傷つけるばかりであって、自らは何の犠牲も払わないとしたら、その記憶は終生彼らを苦しめ、それを思い出すたびに穴があれば入りたい悔恨を起こさしめるに違いない。

成功に秘訣というものがあれば、それは他人の立場を理解し、自分の立場からも物事を見られる能力である。

人を待たすときには、NOと言わなければならない人から会ってやれ。YESと言える相手はいくら待たしてもいいが、待たされた挙句NOと言われると、人間誰しも気分を害するからね。

我々はあまりにも多くの壁を造るが、架け橋の数は十分ではない。

誰にでも怒ることはできる。それは簡単なことだ。しかし、正しい相手に、正しい程度で、正しい時に、正しい目的のために、正しい方法で怒ること、これはすべての人に備わった能力ではなく、簡単なことではない。

この世の中は、他の人間の自由を保護することによってのみ自分の自由を守ることができる。

人に幸せになってもらいたいと思うなら、思いやりを学びなさい。自分が幸せになりたいと思うなら、思いやりを学びなさい。

友情。それは学校で学ぶものではない。しかし、もし友情の意味をまだ君が学んでいないとしたら、君は本当に何も学んでいないということだ。

多くの言葉で少しを語らず、少しの言葉で多くを語れ。

誰も説得によって人を変えることはできない。すべての人は堅くガードされた心の変化の扉を持っており、その扉は自分で中からしか開けられない。説得や感情に訴えることによっても、その扉を他人が外から開くことはできない。

人間関係について私がいままで学んだ最も大切な教訓を要約すれば、「まず相手を理解するように努め、その後で自分を理解してもらうようにしなさい」ということである。この原則が、人間関係における効果的なコミュニケーションの鍵なのである。

あなたが誠意を示し、自分の本当の姿、とくに自分の個人的な経験や自身のなさを表面に出せば出すほど、それを聞いている相手はあなたの話を自分の経験に重ね合わせ、そこから自分自身を表現できる安心感が生まれるのである。

信頼されることは人間にとって究極の動機づけである。それは人の最善の姿を引き出してくれるものである。しかし、それは時間と忍耐が必要だ。そして、その信頼に応えられるレベルまで能力を引き上げるための訓練が必要になることもある。

相手との相違点を尊ぶことだ。誰かがあなたの意見を否定したとしても、次のように言ってみたらどうだろう。「よかった。あなたは私と違う意見を持っている」異なる意見に対して賛成する必要はないが、彼らを肯定することはできる。そして、理解するよう努めることができるのだ。

人間関係を作る過程において、いかなる交渉術、いかなる管理テクニック、大衆のために貢献するいかなる努力によっても、人格の欠如を補うことはできない。人格とはそれほど大切なものであり、会社においても家庭においても、一人一人に対して愛と人生の根本的な法則を守ることこそが人間関係にとって必要不可欠なことなのである。

99人の心をつかむ鍵となるのは、一人一人に対する接し方だということである。一人の生徒、一人の子供に対する愛情と躾が正しければ、ほかの99人に対してもその愛情は伝わるのだ。その一人の人に対してどう接するかによって、ほかの99人にもあなたの思いやりのあり方が伝わる。それは、すべての人は結局のところ個人だからであり、他の個人に対する接し方を見ているからである。

人間関係における問題のほとんどは、曖昧な期待、あるいはお互いの期待像の相違に端を発している。仕事で誰が何をするかという問題にせよ、誰が部屋を掃除し、誰が魚にえさを与え、誰がゴミを出すかという問題にせよ、不明瞭な期待像が誤解、失望、積み重ねた信頼の減少に結び付いていることは間違いない。

はじめから主君に楯突こうと思っている者はいない。思い上がりと、恨みと、それから生じる欲心が謀反を起こさせるのだ。恨みのある心には悪事が寄り集まり、やがて主君の恩に背き不義を働き、父祖が積み上げた業績も棒に振って領地まで失ってしまう。これは足利将軍家の人々にもよくあったことだ。覚えておけ。

訪問は短く、冬の日のごとく。追い返される面倒が起きないように。

女優の方が嫌われることを恐れる。一方私は、それを大いに楽しんでいる。

暴力と武器が人間の問題を解決することは決してない。

弱い人間は決して許すことができない。許すということは、強い人間であることの象徴なのです。

人間のもとに誠実や正直が存在した限りでは、顔による言葉もまた存続した。しかし人間が自分自身を愛して隣人を愛さなくなって、人間の心が、語ることと別なことを考え始めるや、口による言葉が発達して顔は沈黙し偽るようになってしまった。

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