町田勝彦の名言・格言|祖父から教わった商人の知恵

祖父からは商売について多くのことを教わった。いまにして思えば、それが帝王学だったのかもしれない。「商売は10年やったら3年は損する。5年はトントンで、儲かるのは2年。事業なんてそんなもんや」忘れられない祖父の口癖だ。経営者の心構えを説くいい言葉だ。その言葉はいつも私に、危機感と緊張感を与え続けてくれている。
【覚書き:町田氏の祖父は肥料の製造販売を行っていた商売人で、町田氏が小さいころから商売の現場を連れ歩いた】

町田勝彦 の経歴

町田勝彦、まちだ・かつひこ。電機メーカーのシャープの社長・会長。京都大学農学部卒業後、乳業会社を経てシャープの前身である早川電機工業に入社。一貫して営業畑を歩む。他社に先駆けて液晶テレビに集中し、世界シェア一位を獲得。AQUOSは液晶テレビのトップブランドになり同社に大きな利益をもたらした。太陽電池、世界初のカメラ付き携帯電話などで大きなシェアを獲得した。

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保険会社だと節税は保険商品で、証券会社だと株でという話になってしまう。もっと効率的に資産の運用・保全を図りたいというニーズが顕在化してきています。当社は一商材に偏らない、本来あるべきポートフォリオの実現が可能です。さらにそれらすべてが、ワンストップで対応可能な点が当社の最大の強み。

私の会社の場合、メルセデス・ベンツの販売台数では日本一になりました。しかしそれは、私の考える日本一ではない。「あのシュテルン中央という会社のお店でベンツを買いたい」とお客様に思っていただけるようになって初めて日本一だということです。

自信がない子供たちが6~7割もいるという意識調査もありますが、活動の根源にあるのは、そこを変えていきたいという想いです。たくさんの子供達に自分の可能性を信じて夢や目標をもち、失敗を恐れず様々なことに挑戦してもらいたい。更に言うと親子関係をもっともっと良くしたい。例えばポジティ語(ポジティブな言葉掛け)をきっかけに子供の可能性を信じなおしたり、親御さん自身が子育てに自信を持ったり等、親御さんにもご成長いただく。多くの時間を過ごす親子の関係が良くなれば自然と可能性に満ちた子供が増え、そういったご家庭がどんどん増えていけば、もっともっと日本の未来を明るくできるんじゃないかと考えています。

僕は毎朝、トライアスロンのトレーニングのために走っています。脳科学によると、ヒトの脳は走ることで活性化し、よいアイデアも生まれるそうですよ。

30分も早く出社すれば、ダラダラと残業する習慣を断ち切ることにもつながります。朝集中して働けば、その日のうちにやらなければならない仕事はほとんど残りません。それが、残業をしないための体質改善にもつながり、ムダに社内の人間とつるんで飲みに行ったりする習慣を断ち切ることにもつながります。

日本旅館そのものが現代の旅行者のニーズに合わせて進化しなければいけない。西洋のホテルも、日進月歩で進化し、今の形になっている。

人間力とは「信頼」「尊敬」「意欲」。信頼できる人は嘘をつかない。約束を守る。つまり言行一致。「信頼」が高まると、やがて「尊敬」の域に達する。そして「意欲」には、本人のやる気が高いという面と、人の意欲を高められるという面の二つの側面があります。どちらも高いのが望ましい。

人間は仕事をしているときに時間を忘れて熱中する状態になりやすく、余暇時間に空虚感を感じてしまう傾向があります。気分が乗らないから仕事にとりかかれないというのは、本人の錯覚以外の何ものでもありません。いったん仕事にとりかかれば、自然と楽しくなってくるのが人間なのです。

写真学校卒業間近、原宿の喫茶店でバイトしながら、「就職、どうしようかな……」と考えていました。そのころ、友達のバンドがヤマハからデビューしていたんです。それを見てたら僕のなかで、「小日向文世という人間がこの世に存在するということを、知ってもらいたい!」という思いがメキメキ強くなっていきました。高校時代から劣等生というか、スポーツも勉強もできず、「小日向」なのに「日陰」みたいな時代を送ってきたから、どっかにスポットライトを浴びてみたいという思いがあったんじゃないでしょうか。ただ、僕はギターができなかった。それで「じゃあ、俳優だ!」と思いつく(笑)。短絡的だけど、それが青春でしょ?(笑)まだまだ人生は長いと思っていたし、とにかくやりたいことをやってみようと。

今から25年前になりますか。1回だけ北朝鮮の素顔を見たいと、金日成の80歳の誕生日の祝賀会に行く国会議員のメンバーに混ぜてもらって行ったんです。祝賀する気持ちなんかまったくなかったけど、1回だけ見てみたかったから。見たら、徹底した反日、徹底した個人崇拝、徹底したマインドコントロール。これで「日本に対して何かやらないはずがない」と恐怖を感じ、そこから「防衛をやらなきゃいけない」と真剣に思いました。もし、あそこで北朝鮮を見ていなかったら、私は安全保障関係の仕事をしていなかったかもしれません。

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