松下幸之助の名言・格言|寿命が来るまで全精力を打ち込め

一切のものには寿命があると知ったうえで、寿命に達するその瞬間までは、お互いがそこに全精神を打ち込んでゆく。そういう姿から、大きな安心感というか、おおらかな人生が開けるのではないかと思う。

松下幸之助 の経歴

松下幸之助、まつした・こうのすけ。日本の経営者。「松下電器産業(のちのパナソニック)」創業者。9歳の時に父が米相場で破産したため尋常小学校を4年で中退し丁稚奉公に出る。16歳で大阪電燈(現:関西電力)に入社し7年間勤務。在職中に電球ソケットを考案した。その後同社を退社し独立。水道哲学、ダム式経営など独特な経営哲学で同社を日本屈指のグループ企業へと育て上げた。松下政経塾、PHP研究所の設立者でもある。

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忙しそうにハンコを押したりするようなことは、誰にだってできる。重役とは一体なんだろうかといえば、未知への探究をする役です。重役が未知への探究をしないで、後始末ばかりしている掃除屋であってはならない、というのが私の考えです。

技術でもサービスでも、他の追随を許さない独創性を出せるかどうかが重要です。他社と同じことをやっても、結局は価格競争に陥ってしまい、利益を出せなくなるからです。

一番大事なのは最終的に観てもらう観客で、その反応に対して悔しいとかよかったと思うことが一番大事。

学生をビジネスの現場に送り込むこともしています。企業から学ぶ、学問から学ぶ、プロジェクトから学ぶということができる。まさにアクティブラーニングと言えます。この学部の卒業生の就職率は99.3%と全国の大学の中でトップの数字です。

課題は刻々と変わっていきます。でも、課題をつねに頭に入れていることで、情報感度が高くなり、良い情報、必要な情報がどんどん見えるようになります。

2006年、出光は上場を果たしました。メディアはオーナーに上場を承諾させた立役者として、私を「大胆だ」「度胸がある」と形容しました。しかし、私は決して度胸があったわけではないし、上場は私一人の力で実現したわけではありません。立場上、オーナーと一対一で話をする場面もありましたが、私は極力会議の場で上場の必要性を説くようにしました。こういう場合は、陰でこそこそ動くのが一番危険だからです。そのうち土地の値段が下がり始め、内部統制の強化が叫ばれるなど、私が予見していた問題が次々と現実のものになっていきました。私はこうした機会をとらえては上場の必要性を力説し、徐々に周囲を巻き込んでいきました。

ユーザーの困りごと、ニーズにはずっと応え続け、主体であり続けないといけない。

その提案を自分でやる気があるのかどうかが重要です。大事なのは提案じゃなくて実行です。そのための会議じゃないですか。だから、明日から私がやりますって言えれば、それが一番説得力があるわけです。実際に当社では、提案の前に「これは私が責任を持って1か月間トライアルするということが前提です」というフレーズを言わなければいけないというルールになっています。

ありがたいことに、ジャパンエキスポは立ち上げから15年で約25万人の方にお越しいただけるイベントとなりました。正直に言って、ここまでのイベントに成長するとは最初は考えていませんでしたが、要因はニーズにお応えしてきたからではないかと考えています。最初はインターネット上だけの交流だったものが、ファン同士がリアルな場所で会えるようになったことに加え、日本からの企業やアーティストが欧州で自らの存在をアピールするために製品や作品を持ち寄る場ともなりました。日本の商品を扱うフランス企業の参加もあります。一つのマーケットになったとも言えるかもしれません。

「自社の解決しようとしている社会的課題は何なのか」という視点は、当社の磨くべき強みを明確にしてくれる。

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