工藤公康の名言|監督に就任して取り掛かったのは、とにかく選手を理解すること

一番やってはいけないのは、監督が連覇ばかり考えて、選手が見えなくなること。ですから監督に就任して取り掛かったのは、とにかく選手を理解することです。

工藤公康 の経歴

工藤公康、くどう・きみやす。日本のプロ野球選手、監督。愛知県出身。名古屋電気高等学校(のちの愛知工業大学名電高等学校)時代、甲子園で史上18人目のノーヒットノーランを達成。高校卒業後は西武ライオンズに入団しチームの要となった。その後、ダイエー、巨人、横浜と渡り歩き多くのタイトルを残した。通算29年間にもわたる長期間現役を続け、41歳で200勝を達成し、当時の史上最年長記録を更新した。引退後、福岡ソフトバンクホークスで監督を務めた。

経営・ビジネス・仕事・お金・経済的に成功した人たちの言葉

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たとえば、メールボックスを開いてみると英文のメールが届いていて「嫌だな」と感じる。そうしたら、後回しにするのではなく、真っ先に読んで返信するのです。そうすると、嫌な気分が少なくて済みます。

仲間がいて、良いサービスや商品があって、お金がある。この3つが揃っていれば、起業がうまくいく確率は高くなります。ただ、この3つを揃えるためには、入念な準備が必要です。

ビジネスでは結果を出さなければならない。企業で働いたら、事業目標の達成を目指すことが求められる。個人の野心よりそちらを優先しなければならない。たとえ自分の能力不足を認めることになっても、そうしなければならない。

資格は認知度よりも稼げるかどうかが重要。まったく聞いたことのない資格でも、じつは稼げるということは珍しくない。

そこで10年踊って、あとはスタッフになれば楽な人生が送れるなと、正直、考えないこともありませんでした。でも、そうはしませんでした。2年後に、当時憧れていたボブ・フォッシーが振付をするミュージカルがダンサーを募集すると知って、ディズニーランドを辞め、オーディションを受けるという賭けに出ました。

私の基準は、いま自分が楽しいかどうか、幸せかどうかです。常にその価値基準を物差しに働く場を選択してきました。ただし、その際に気にかけて実行していることは、そこに行ったとき、どうやって食べていくかをきちんと考えることです。たとえば、経験ゼロのIT業界に転職したかったときは、翻訳をマネージするポジションで入れてもらいました。それであれば、自分にもできると思ったからです。入社してから様々なことを吸収し、最終的にはマーケティングの副社長になりました。

仮説がいくら優れていても、正しいとは限りません。「ちょっと違うなぁ……」と感じたら、たとえ「朝令暮改」であっても、修正する勇気が必要。周りの人たちに影響を与えてしまうならば、修正する「目的」と「理由」を説明する。これを面倒くさがって強行突破しようとすると、仕事はだいたい失敗します(笑)。

働く社員にとって良い会社を目指し、会社が良くなると社員が良くなり、社員が良くなると社会が良くなる仕組みづくりを。

方向性、すなわち理念・目標・戦略が示されると、トンネルの先に光が見えてくる。何かやるときに、自分もその一員として関与でき、チャンスを十分に持てると、当事者意識が芽生える.そして、結果が出たらそれがどのように評価されたのか、公正なフィードバックがなされると、モチベーションが上がる。こういう状況をトップがつくり上げることができれば、そこに全員経営が生まれるだろう。

以前は「英語ができるとチャンスが広がる」と考えられていましたが、いまはむしろ「英語ができないことはリスク」の時代です。今後は発展の著しいアジア諸国から優秀な人材が日本にもどんどんやってくるでしょう。私は現在、中国に在住しているので、アジアの優秀なビジネスマンと話す機会も多いのですが、彼らは英語が達者で向上心が強いことに衝撃を受けます。これからの日本人はこんな人たちと競争していかなくてはならないと思うと、リアルな恐怖を感じます。こういった恐怖を肌身で感じることで、英語学習への力に変えていくというのも有効だと思います。

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