糸井重里の名言|「こうはならないようにしようね」ということを共有する

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心配性の僕は企画を成功させるに当たり、「こうはならないようにしようね」という考えをメンバーに伝えます。それは僕の経験則から出る言葉ですが、例えば、「うまけりゃうれるべ市。」では、「売ることが目的だけど、それを目的だと思いすぎてはいけない。おいしくなかったら売れないよということを、最初から分かっておかなければいけない」と乗組員に伝えました。


糸井重里 の経歴

糸井重里、いとい・しげさと。日本の経営者、コピーライター、エッセイスト、タレント。「ほぼ日」社長。群馬県出身。法政大学文学部日本文学科に入学。学生運動に参加するも、内部抗争が嫌になり大学を退学。その後、アルバイトをしながら宣伝会議のコピーライター養成講座に通ったのち、デザイン事務所サムシングに就職。同社在職中にTVCFアイディア賞で銀賞・金賞を受賞するも倒産したためフリーとなる。主な受賞に宣伝会議賞、東京コピーライターズクラブ新人賞・特別賞、東京アートディレクターズクラブ賞、谷川俊太郎賞、伊丹十三賞ほか。作詞家や声優、そのほか幅広い分野で活動した。

経営・ビジネス・仕事・お金・経済的に成功した人たちの言葉

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家業が廃業になった直後の1985年に、弟と一緒に高橋工業といういまの会社を設立しました。とは言え、造船所も事務所もない。あるのは、海と船についての知識だけ。それのみを携えて、どこにでも行って何の仕事でもやろうと思っていました。母校である長崎造船大学の先輩から設計の仕事をいただいては、仕事道具の鉛筆と三角定規だけを片手に全国のあちこちにある造船所に出稼ぎに行っていたんです。各地から実家に送金をするという生活をしていました。

会社では「夜間学校に通いながら仕事をしているなんて」と陰口を言われて、ほとんどお荷物のように思われていました。いじめというのか、器に絵を描くためのもとにする型版というものも、僕だけは貸してもらえなかった。教えてもらえる状況ではなく、古いですけど「仕事は見て盗むもの」で、要領も技術も、自分で工夫して何とか身につけていきました。

たしかにいまは、ものを考えない人が多いですね。でもそれはある意味、仕方がないんじゃないですか。だってこの社会は、下手に考えない方が楽に生きられるし、ご褒美だってたくさんもらえるようにできているんですから。いい例が受験勉強です。あれはとにかく何も考えず、答えをひたすら暗記したほうが、成績が良くなる仕組みになっているんです。数学だって、最初から解き方のパターンをたくさん覚えておけば、簡単に高得点がとれちゃう。考えるなんてことは必要ないんです。

うちでは原則、異動は自由です。本人と行きたい部署がOKなら、所属する部署にも上司にも止める権利はありません。公募制度もありますが、その部門が公募していなくても、「この人なら誰かを追い出しても欲しい」と考えれば、採れる制度です。

ときには自己投資として、接待向きの上等な店に足を運び、料理の盛り付けや食器のあしらい、お店の雰囲気、サービス、そして、周りのお客さんの様子や会話、服装などを意識して観察することが必要です。良いものを知ることで、正しい判断基準は養われていくのです。こうした場に慣れることで、テーブルマナーを守りながら、ゆったりと会話を楽しむ余裕も備わってきます。

儲けたら還元したほうが気持ちいい。世の中のために、それをやり続けることで価値が生まれてくる。

無駄な思い込みを手放すだけで、相当気分がラクになるはず。無駄な感情を動かさなくて済むでしょう。

人事の担当者は自分が採用した社員に対し、入社後5年間、責任を負う仕組みになっています。つまり、採用した人材に対する5年後の評価が、その人材を採用した人事担当者の評価になるのです。そうでもしなければ人事の仕事を評価するのは難しいし、こうした仕組みがあれば採用する側も強い緊張感を持つことになります。

ナカリングループの理念は、三者鼎立(ていりつ)の原則です。お客様と会社と社員が三者等しく共に、どこにもかたよらず、本当に喜び満足を感じるようにすることこそが商売なのです。

顕微鏡の開発にかける時間はだいたい一ヶ月間ぐらいですね。大手の会社に比べたらかなり短い。でも、まぁうちは40年間も天体望遠鏡を研究開発してきたんだから、観測技術についてはノウハウで他社の医療機器会社に負けるはずがないんだ。望遠鏡が売れなくなって、いま、売れている医療機器の世界に移動してきただけで、まあ、前は宇宙を、いまは人体の中を観測していると言うのかな。分野と販路を変えただけで、仕事の内容は変わっていないんです。

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