原田泳幸の名言|私の持論は常に「現場主義」

私の持論は常に「現場主義」です。たとえばアップルコンピュータ時代に真っ先に行なったのは、現場を知ってもらうために多くの社員を現場に派遣しました。

原田泳幸 の経歴

原田泳幸、はらだ・えいこう。「日本マクドナルド」社長・会長、「ベネッセ」社長。東海大学工学部卒業後、日本NCR、日本ヒューレットパッカード、油田開発のシュルンベルジェ、アップルの日本法人社長、米国アップルの副社長を経て日本マクドナルドに社長としてヘッドハントされた。またベネッセの社長を務めた。

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以前はそれほど優秀な人材が集まらなかったので、倍働いて時間で勝負していました。しかし今は優秀な人材が入ってくるので、今度は生産性を上げていきます。残業ゼロばかりが注目されますが、残業ゼロは手段であって、あくまで目的は「生産性2倍」なのです。


朝の脳のウォーミングアップでとくにお勧めしたいのは、歩くことです。足を動かすための機能は、頭頂部に近いところにある脳領域が担っているため、歩くうちに血液が脳の高いところまで汲み上げられ、その結果、脳全体に血液がめぐりやすくなります。コースを変えると脳が変化に対応して、思考系も活発になります。


大手のシステムは、従来の電話配車が単にタブレット経由になっただけのもの。結局オペレーターが人力で空車のタクシーを探しています。我々のシステムではお客が配車を依頼した時点で、自動的にタクシー車内のタブレットが乗客位置までのカーナビの案内を始めるのです。さらには、世界に先駆けて収集してきた統計データがあります。「何時に、どこで」お客が乗ったかという過去データを積み重ねることで、営業の効率が日々高まっています。


よく心得ている事柄であっても、大切なことは然るべき人にたずねてからするようにしなさい。古い言葉にも、知っている事柄も工夫して行なうのを礼という、とある。


いまから考えると、この(会社を乗っ取られ追い出された)おかげで他の商売のことも勉強できたのである。あのまま「日本電話建物」に安住しておれば、おそらく片輪の経営者になってしまったであろう。
【覚書き|氏が設立した日本電話建物を雇った社長に乗っ取られた追い出された当時を振り返っての発言】


もはやリストラは定年と同じ会社員の宿命といえる時代に入っている。ただし、残りの年数がわかる定年と違い、リストラは突然やってくる。しかも会社側は、専門家の助けを借りるなど準備万端、総力戦で攻めてくるので、「何とかなるさ」「俺には関係ない」「嵐はそのうちやむよ」などと、のんきなことを言っていては太刀打ちできない。


お勧めしたいのは、自分の人脈やスキルといった「財産」を定期的に棚卸してみることです。たとえば人脈なら、「あの人の先にはどんな人がいるかな?」というところまで見直してみる。そうすると、意外と自分が多くの財産を持っていたり、それを十分に活用できていなかったり、といったことに気づくと思います。


私の母の怒り方には特徴がありました。私が何か悪さをしたとき、私自身がそのことを反省していれば、母は何も言わないのですが、私に悪さをしたという自覚がなく、何とも思っていなかったときは、こっぴどく怒られました。母に怒られた記憶は、そんな光景しかありません。


40歳で病に倒れました。退院後も、しばらくはまともに働ける状態ではありません。順調に出世していく同期を横目に、自分の仕事人生はもう終わったのだ、とひとり達観せざるを得ませんでした。けれど、逆に怖いものがなくなりました。どうせ一度死にかけたのだからと、人が変わったように上司に何でも提言するようになったのです。一度どん底に落ちたがゆえに、私の中の何かに後押しされ、道が開けたのです。


私は生きることは働くことだと思います。死ぬまで稼がなくてはいけないとか、重労働をすべきだとかいう意味ではなく、家事でも、向こう三軒両隣の前の道を掃くことでも何でもいいから、その時々、自分ができるだけのことをする。それは当たり前のことではないでしょうか。


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