渋沢栄一の名言・格言|能力がないときは進むべきではない

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大なる欲望をもって利殖を図ることに充分でないものは決して進むべきではない。空論に走り、うわべだけを飾る国民は決して真理の発達をなすものではない。


渋沢栄一 の経歴

渋沢栄一、しぶさわ・えいいち。日本資本主義の父と称えられている幕末から昭和の実業家、武士。武蔵国(現:埼玉県)出身。藍玉と養蚕を家業とする半農半商の家庭に生まれ、幼少より商売と論語をはじめとする中国古典を学ぶ。横浜の外国人居住地焼き討ちなどを計画するも実行直前で説得され取りやめる。幕府に目を付けられ故郷を離れ京都に向かう。平岡円四郎の推挙により徳川慶喜の家臣となり、慶喜の弟昭武の付き人としてヨーロッパに留学。帰国後は、大蔵省に入省。度量衡、国立銀行条例などの制定に尽力。退官し、サッポロビール、王子製紙、日本郵船など数多くの企業設立に携わる。日本の株式制度設立に尽力。初の民間銀行第一銀行創設者。渋沢財閥設立者。

経営・ビジネス・仕事・お金・経済的に成功した人たちの言葉

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トヨタの給料は、GM時代の半分だった。朝は7時に出社して、夜は星を抱くまで働く。しかも休みは月に二日だけである。それでも酷使されているとは思わなかった。

値決めは経営である。経営者が積極的であれば、積極的な価格になるし、慎重であれば、保守的な価格になる。値決めの目標は、お客様が喜んで買って下さる最高の価格を見出すことだ。値決め、それは経営者の能力と、経営哲学の反映だ。

長い人生の旅路では、失望や、困難、試練の時がなんどもある。しかし、それは、自分の夢の実現をめざし、すべての力を奮い起こして誠実に努力をする、またとない機会でもある。天は誠実な努力とひたむきな決意を、決して無視はしない。

第二次大戦直後の物さえあれば売れるという滅茶苦茶な商売の時代で、巷には闇成金と呼ばれる人たちが大勢いた。彼らは儲けた金を湯水のように使っていたが、私は利益を資金としてせっせとプールしておきました。商売をはじめたとき、資金も設備も持たない私が、日本一になるためには自分の努力と運と才覚に頼るしかありませんでした。

戦後日本の社会システムのもとで、サラリーマンは会社の成長とともに自分も大きくなったような幻想を抱きました。しかし実態はというと、成長がストップしたとたん会社は個人を切り捨てはじめた。組織が主で、個人が従という会社全体のシステムのもと、組織に裏切られ、個人が責任を取らされるケースまで生じています。組織に従属した個人というのがいかにないがしろされているか。彼らの気持ち、彼らの家族の気持ちを考えると、正直言ってたまらない気持になる。

我々はメッキの液の開発から前工程、後工程の必要なプロセスの開発を全部やります。それらをやらないとモノにならないですから。それから、メッキで構造体をつくり上げる技術も持っていますから、立体構造も作れるんです。加えて、常温で接合する技術を使って非常に強固な結合を可能にしていて、用途に向けた開発の可能性が広がっています。

新規分野に参入するのは誰でもできる。しかし、我に利あらずと見たらただちに退く決断こそトップに求められる最高の経営判断だ。

前に進むべきか退くべきか迷った時は簡単な原則に戻る。すなわち、5年後、10年後に採算がとれるか、会社の発展につながるか、これをチェックすればおのずと結論が出る。

どの業界でも、国内ナンバーワン企業は上がありませんから世界を見るしかないんです。そのため、意外にもナンバーワンの企業こそ危機感がありますし、社員もそれを感じて勤勉に働くわけです。

少しくらいのお金で満足している暇はありません。経営者は大きなビジョンを持ってどんどんお金を集めて、会社を大きくしていかなければならないのです。ある程度の儲けで満足してしまい、そこで小さくまとまってしまうと、いざチャンスが回ってきたときに身動きが取れなくなってしまうのです。結果的にそこまでの会社で終わってしまうわけです

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