吉田松陰の名言|賢母あらば賢子あり。

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賢母あらば賢子あり。


吉田松陰 の経歴

吉田松陰、よしだ・しょういん。幕末の武士、思想家、兵学者、教育者。長州藩士。6歳のときに叔父で山鹿流兵学師範の吉田大助の養子となる。叔父の玉木文之進の開いた松下村塾で学ぶ。アヘン戦争をきっかけに西洋兵学に興味を持ち、九州に遊学。遊学後は江戸に移り、佐久間象山に師事する。黒船に密航した罪で幽閉の身となったのち、松下村塾を引き継ぎ、伊藤博文、高杉晋作、山形有朋など次世代を担った人物たちを教育した。

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俺もこの男の知遇にはほとほと感激して、いつかはそれに報いるだけのことはしようと思っていたのに、惜しいことに俺が長崎にいる間に死んでしまった。こんな残念なことは生まれてからまだなかったよ。【覚書き|貧乏時代、本屋で本を買わずに立ち読みしていた海舟に本代を寄付してくれた渋田利右衛門についての発言】

絵が上手いとか、駆けっこが速いとか、泳ぎが上手いとか、勉強が駄目でもいいところを見つけて褒めてくれたり、伸ばそうとして励ましてくれたり、思えば優れた教師たちがいました。
【覚書き|小学校時代を振り返っての発言】

日本企業は海外とも戦いをしていますが、勝つためにはアントレプレナーシップ(企業家精神)が必要です。ですから私は、自分の子どもに対しても学費を出さず、「自分の力で大学に行け」と言いました。でも父親が金持ちだと、日本では奨学金をもらえないのだそうです。そこで娘はファミリーレストランでアルバイトをし、結局、奨学金制度が整っているアメリカの大学に進学しました。アメリカではロックフェラーのような大富豪でも子どもの入学金など出しません。

私は惣菜・仕出し店を営む母に女手ひとつで育ててもらいました。私は子どものためになりふりかまわず働く母の本気の姿を見て育ちました。今でも深く感謝しています。私たち子どもは幼い頃から母の仕事を手伝いました。納豆の配達もしましたし、近くの海で魚を釣ってさばいて店に納めました。おかげで「食」という縦糸ができて、商社時代から現在に至るまで食に携わり続けています。学習塾などには通いませんでしたが、母に最高のキャリア教育をしてもらったと思います。

人間はあくまでも自然の恵みの中で生きている。自然の恵みを利用させてもらっているといった、基本的な考え方をもっときちんと持つべきです。そして、自然を保護し、子孫に伝えていかなければいけない。そうでなければ、21世紀、日本あるいは日本人の心に豊かさは存在しないと思います。

子供たちの「いいとこ探し」をして、褒めて伸ばしていけば必ず真っすぐに育つ。

自分が悪かったときは子供たちの前で、「ここはママが悪かったから謝る、ごめんなさい」といいます。たまに「それは間違っている」と子供から指摘されることもあるけど、でもそれで家族みんなの気持ちが整理され、安心するんです。

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