川村隆の名言|なぜ日立は危機的状況で69歳を社長に選んだのか

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69歳で社長になったら、「何を血迷っているのか」とマスコミの皆さんにいっぱい書かれた。ソニーは外国人社長。若い人を社長にしている会社もある。年寄りの日本人男性を社長にするとはいったい何を考えているのか、と袋だたきです。でも、改革への抵抗を押し切るために年寄りを社長にしたわけ。グループ会社の社長で僕より年長の者はもう数人しかいなかった。


川村隆 の経歴

川村隆、かわむら・たかし。日本の経営者。「日立製作所」社長・会長、「東京電力ホールディングス」会長。北海道出身。東京大学工学部電気工学科卒業後、日立製作所に入社。電力事業部火力技術本部長、日立工場長、取締役、常務、副社長、子会社の日立ソフトウェアエンジニアリング会長、同子会社日立マクセル会長などを歴任したのち、日立本社の会長兼社長に就任。世界金融危機によって7873億円という巨額な赤字を計上した同社を2年でV字回復させた。そのほか経団連副会長、東京電力ホールディングス会長を務めた。

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