川村隆の名言|OBのことを考えていたら何もできない

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OBのことは考えませんでした。考えられない。そこまで考えていると何もできない。


川村隆 の経歴

川村隆、かわむら・たかし。日本の経営者。「日立製作所」社長・会長、「東京電力ホールディングス」会長。北海道出身。東京大学工学部電気工学科卒業後、日立製作所に入社。電力事業部火力技術本部長、日立工場長、取締役、常務、副社長、子会社の日立ソフトウェアエンジニアリング会長、同子会社日立マクセル会長などを歴任したのち、日立本社の会長兼社長に就任。世界金融危機によって7873億円という巨額な赤字を計上した同社を2年でV字回復させた。そのほか経団連副会長、東京電力ホールディングス会長を務めた。

経営・ビジネス・仕事・お金・経済的に成功した人たちの言葉

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作れば売れるというソニー時代のような大企業のままでいてもらっては困る。収益責任を持つ組織へと移行し、社員1人1人の意識改革にも取り組んでいく。

ビジネス上の成功と記憶の技術とは密接に関わっていますが、特に人の名前を覚える技術は重要でしょう。名前を含めたお客様のすべての情報を知っていたら、そのお客様はすごく喜ぶし、もう一度買おうかという気にもなります。お客様の顔と名前を覚えるのに有効なのは以下の5つのステップです。

  1. 覚えることを怖がらないことと、聞き役に回ること。人は長い自己アピールより、自分の話を聞いてもらった人に好感を抱くものです。
  2. 名前は繰り返し口に出して覚える。
  3. 会っている最中にその人の名前と何かを結び付けて覚える。
  4. 1カ月に1回は手元の20枚の名刺を見て、どんな人だったか、どんな顔立ちだったかを思い返す。
  5. しばらく会っていない人と会合で会う前は、出席者の名簿を見て準備しておく。相手は「会わなくてもずっと覚えていてくれた」と好感を持ちます。

この飢饉の最中に、この貧乏村が立ち直るには、世間並みのことをやっていたのでは駄目である。一段と働き一段と節約するのでなければ、浮かび上がることはできないと私は固く信じた。
【覚書き|明治初頭の飢饉のとき、学校をやめ郷里に戻り実家と村を救うため農夫として働き始めたときを振り返っての発言】

大学卒業後はコンピュータ周辺機器会社に就職しましたが、父の引退を機にモリダイラ楽器へ転職。親の七光と思われるのは嫌だったので、いままで会社が手がけてこなかった事業に積極的にチャレンジしました。

明るいところに人は集まります。だから、テレビでも楽しい番組作りを続けていきたい。

大切なのは、採用時から働き方や評価の仕組みを明確にすること。プロ意識が高くない社員が5割いる状況で、「今日からみんなプロです」と言っても社員は困ってしまう。我々は採用時からしつこく言っています。だから、うちに入ってくる人で、20代からのんびり働きたいという人は1人もいない。

80年あまりの人生をふり返ると、戦争を含め、天災、人災いろいろな災難に遭ってきました。でも一つ言えることは、私はそれらの災難をみんなバネにしてきたということです。

民進党には、09年に初めて民主党で当選した議員がとても多い。私たちの期で話をしていると、イデオロギーの左右と、一つひとつの問題の是非を結び付けるという感覚はないんです。これまでの感覚からの解放を進めていきたい。

現代人、とくに男性は「仕事での成功や収入で、自分の価値を測る」という面が強くなりすぎて、休めない、ということも考えられます。「自分の業績アップ」=「自己価値のアップ」というわけで、自分の価値を高めたいがために、ほかのことすべてを後回しにしてでも業績を上げたいという気持ちにとらわれるのです。業績を上げるのは、受験勉強の点致稼ぎと似通っており、最初はつらく感じたとしても、やがて自分の価値が数値によってダイレクトに表されることが快感になってきます。だから、とらわれやすい。しかしながら、受験勉強だけをあまりに必死でやっていると、性格が歪んだりすることがあるのは、ご存じの通り。業績アップにかまけるのも同様です。

佐川急便で働いていたときも辛かったよ。だけど体力だけが自慢の僕にとってはまだ楽だった。毎日毎日をサボらずにコツコツ働けば、残りの仕事は減っていく。それでも自分のテリトリーに荷物がドサッと来ると、今日こそは配達と集荷を全部終わらせられずに逃げ出すんじゃないかと思いながら、いつもよりガッツを入れてコツコツ働いているといつの間にか終わっていた。そんな毎日を過ごしながら一年も経つと、筋肉痛もなくなるし、3時間睡眠にも慣れてしまっていた。

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