粟田貴也の名言|すぐれた知恵も経験もない人間が成功するには

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何か新しい挑戦をするときに、入念に調査や下調べをしなければ進めないという人もいると思いますが、私はそうではなくて、とにかくやり始めてしまい、何かあればそのときに考えればいい、というふうに進んできました。世の中にはさまざまな情報があり、否定的要素もたくさんあります。人に相談すればするほど、ネガティブな情報に触れて臆病になってしまう。「世の中そんなに甘くない」と、やってみもしないうちからいわれることもあります。しかし、優れた知恵も経験もない人間が成功したいと思ったら、大胆に行動してみて、トライ&エラーを繰り返すしかないんです。


粟田貴也 の経歴

粟田貴也、あわた・たかや。日本の経営者。うどんチェーン丸亀製麺などを展開するトリドールの創業者。神戸出身。起業をするために神戸市外国語大学第2部英米学科を中退。佐川急便にセールスドライバーとして勤務し開業資金を貯めたのち、焼き鳥の「トリドール3番館」を開業。鳥インフルエンザ発生を機にセルフ讃岐うどんチェーンの「丸亀製麺」を開業。同社を大きく成長させ東証1部に上場させた。

経営・ビジネス・仕事・お金・経済的に成功した人たちの言葉


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部下の提案のなかには、課長がダメだと思っても、やってみたらうまくいくものが多くあります。私自身のこれまでの経験でも、たとえば、複写機の技術的課題について、私が「ダメだろう」と思った部下のアイデアがうまくいって、キヤノンの複写機が市場に広まったということがありました。もちろん、やっぱりダメだった、というものもありますよ。しかし、まずはやらせてみる。そして、その結果をみて、自分の判断が正しかったか、間違っていたかを反省する。これを繰りとが重要です。

うちの会社は個性派の集団で、いわば動物園みたいなものです。そんな個性豊かな従業員がついてきてくれるのも、僕が想像を絶するくらい働いたからでしょう。僕は本部で夜中まで仕事をして、それから店に行って、朝まで掃除をしたことが数えきれないほどあります。朝になると、店の鍋で湯を沸かして体をふきました。血の汗、血のションベンを流しながら働きました。うちのみんなはそれを見ている。だから、会社はまとまりました。

経営者の仕事とは、同じ失敗を繰り返さないことです。失敗を体験した際には、それを経験に替え、さらに知見へと昇華させる。そのための視座を養うことです。ときに経営者は非常な決断を迫られます。そのとき歴史の学びは冷静な判断の助けとなります。

私は多くの年収1億円超の方々から、「この人と会ったなら」という「展開」を心に描いて人と会うことが肝要だと教わった。そうした展開を考えないと、プラスの結果をもたらすことにはならないというのである。展開まで考えるとはどのようなことなのか。私流に解釈すると、売り上げの方程式を頭に入れて行動することだ。売り上げの方程式とは、その人によって計上できる売上額が、自分の思い描く売上額と同等かそれ以上であるということだ。

ユニデンという会社で2年間働いたことがある。2年目、人事総務部の責任者として、外部から招かれた新社長の下で仕事をすることになった。彼は私と正反対のタイプだった。私は計画を立てるのが苦手で思いつきで動くのが好き、直感重視型であるのに対して、彼は計画ありきでデータ重視。地獄の日々が始まった。私が自分のやり方に固執すると叱責され、一日何度も電話で呼び出されては怒鳴られた。電話が鳴るたび恐怖感から毛穴が開くようになり、まずいと思うようになった。どうするか。これまでの自分を封印し、その社長のやり方に染まることにした。まず社長のことを客観的に見てみた。すると彼のやり方は、これはこれですばらしいと思えた。社長をよく知る部下や秘書にも教えを請うた。こういう場合は社長がどんな判断を下すか先回りして考え、手も打った。5カ月くらい経つと、症状も収まり怒られることもなくなった。

次第に店のお客さんがバイトになり、バイトが社員になり、そろそろ彼らのために新しい店でもを作るかなぁと。
【覚書き|ヴィレッジヴァンガードの店舗を増やしはじめた理由について語った言葉】

当時(三原脩監督時代)の西鉄はレギュラー陣が協力で、二軍の選手が入り込める余地はほとんどありませんでした。しかし、若い選手も腐ることなく練習していました。絶妙な人の使い方で、それほど組織を活性化させたことが三原さんの隠れた功績だったと思います。

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