榊原定征の名言|その分野を好きな先生に学ぶ

このエントリーをはてなブックマークに追加

文部科学省の調査で「理科の授業が苦手」としている先生が小中学校で6割以上もいます。理科が苦手な先生から教えてもらったのでは、絶対に面白くならないし、興味もわかなくなります。私が理科や数学を好きになったのは、中学のときに素晴らしい理科の先生がいたからです。教え方の上手な数学の先生もいました。先生の影響というのは、すごく大きなものです。


榊原定征 の経歴

榊原定征、さかきばら・さだゆき。日本の経営者。東レ会長。愛知出身。名古屋大学大学院工学研究科応用化学専攻修士課程修了後、東洋レーヨン(のちの東レ)に入社。経営企画室長、取締役、技術センター所長、専務、副社長などを経て社長に就任。日本経団連会長、日本化学繊維協会会長、内閣府総合科学技術会議議員、商船三井社外取締役なども務めた経営者。

経営・ビジネス・仕事・お金・経済的に成功した人たちの言葉

このエントリーをはてなブックマークに追加

こんな名言はいかがですか? 新着 名言

子供に「好きなことをやれ」というのは野放図すぎる。一番よくないのは、子供にああしろ、こうしろと指図し、親がかなえられなかった夢を押し付けることである。我慢したり努力したりするプロセスが不可欠なのだということをきちんと教え、ゴールを一緒に考えてやることだ。

親は学校の教師ではありませんから、必ずしも先生のようにふるまう必要もないのだと思います。親自身の行動を、子供は見て育っていく。ただ、やっていいことと悪いことの区別などは、どんなに子供が嫌がっても親が厳しく言うことが大事で、その意味で家庭教育は大切なのだと思います。

親が本を読んで笑ったり、親同士が本について語って、「こんな面白い本を子どもになんか読ませられない」という態度で、書棚にしまったりしておきなさい、と。そうすると、子どもはこっそり読んだりするんです。

小学校の教員時代、問題は子どもにあるのではなくて、教える側にもあるのではないかと考えました。理解力のある子の教育はだれでもできる。しかし、飲み込みの遅い子どもを育ててこそ教育ではないか……。このことに気づいてから、私は「絶対に落ちこぼれをつくらない」と決めました。要は、分かるまで教えればいいのです。子どもがどこでつまずいているかを知り、そこを丁寧に教えることで、全員が理解できる。そして、テストでは百点満点を取るまで何度でもくり返すと決めたのです。そうすると、やっぱり子どもたちは、飲み込みの時間の違いはあれど全員が百点を取れるようになりました。

母は私に舞台に対する興味を植えつけだした。自分には才能があると、私が思い込むように仕向けるのである。

当時の私たちのようなどん底暮らしをしていると、つい言葉づかいなど構わないようになりがちだった。しかし母は、いつも周囲の風に馴染まぬように心がけ、家族の言葉づかいにも注意深く心を配り、文法上の誤りなどは訂正し、私たちが周り(の貧しい人々)とは違った人間なのだという自覚を植え付けようとした。
【覚書き|幼少期の極貧時代を振り返っての発言】

幼児はハシカよりもっと恐れや怒り、憎しみや冷淡に感染しやすい。自分が好かれているか、嫌われているかということに、子供は食物と同様に反応する。一家の感情の中で自分の締めている立場をよく覚(さと)る。親の精神状態は直に子供に反応する。とくに親の怒りは子供に大きな衝撃を与えます。

やりたいことが見つからない子供に、私は必ず「いま、君にできることは何?」と聞くことにしています。するとほとんどの子が、「何もできない」と答えます。私はそれに「それはそうだよ。だから学んでるんだろ」と語りかけます。できないで終わるのではなく、できることをどう増やしていくのかが重要です。その先に見えてくるのが職業で、その原点にあるのがどう生きていきたいかという夢なんだと思います。

俺が見事な弓矢をとることができたのは、皆、平出政秀が諌死(かんし)したからだ。【覚書き|平出政秀は信長の教育係だった人物。奇妙な格好と行動で大うつけと呼ばれていた信長を諌めるため自ら切腹した。以後信長は家の再興と天下統一に邁進する。「見事な弓矢をとる」とは、「武士として成長できたということ」を意味している】

親が子供の心に情熱を残してあげることができたら、それは最高の形見になるだろう。子供は素晴らしいエネルギーをもって人生に取り組むことができるからだ。

ページの先頭へ