伊藤保次郎の名言|経営改革は従業員への率直な語りかけから

戦後しばらく三菱鉱業から離れていたので、その後の石炭事情にも、社内事情にも通じていなかったから、まずできるだけ従業員諸君に接して、不況対策についての心境を率直にぶちまけることにした。
【覚書き|戦後、朝鮮動乱後の不況のときに古巣の三菱鉱業に戻り社長に就任したときを振り返っての発言】

伊藤保次郎 の経歴

伊藤保次郎、いとう・やすじろう。日本の経営者。三菱鉱業(のちの三菱マテリアル)社長。山形県出身。東京帝国大学法学部経済学科卒業後、三菱合資に入社。その後、三菱鉱業に移り、労務部副部長、調査海外部長を務めたのち、日本アルミニウム専務・社長。第二次世界大戦後は日本精鉱社長を経て、三菱鉱業に戻り社長を務める。そのほか東北開発総裁、鉱山経営者連盟専務理事なども務めた経営者。

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上手くいっているのにどうして解散にこだわるのかというと、新しくする必要があるからです。時間がたつと楽員たちも、指揮者の僕もマンネリになっているかもしれないからです。
【覚書き|オーケストラ・アンサンブル金沢の設立10年記念パーティで解散と再結成を宣言した理由について語った言葉】

所属の感覚を持てるようになると、仕事上のほとんどの困難を乗り越えていくことができる。いかに早く新人に所属の感覚を持ってもらうかということが分かれ目となる。そのためには、新人の周りの人たちが「あなたはこの職場にとってなくてはならない存在」であると感じることである。

人間は、「知(情報)→情(心)→意(行動)」の順番で動きます。だから、まずは広報。「羽咋(はくい)はUFOで町おこし」をネタに、世界の著名人に手紙を送り、同時にマスコミにも情報を配信しました。人は家の中で起こっていることを、他人に指摘されると気になるもの。「外堀作戦」と名付けましたが、羽咋から離れた、北海道、九州、さらには海外を中心にアプローチ。この作戦が予想以上の効果で、多くのメディアが取り上げてくれました。町おこしは、「マスコミおこし」が大事なのです。

平日1時間、休日2時間歩いています。身体の健康のために歩こうと考えるのではなく、ビジネスのアイデアを探りながら歩くことを心掛けています。歩くことで血行の巡りが良くなり、頭もクリアになるため、机に座って考えるよりも、はるかに新規事業のアイデアが浮かんだりします。

2人の娘たちに「勉強しろ」って言ったことはありませんね。勉強をするしないは、その子の選択肢の問題。ただ長女か高校に行きたいというから、中学の成績を見て「これで行けると思うか。馬鹿に出すカネはねえ」とは言った。人間は「やるな」と言われると、プライドを刺激される。まして娘にも子供同士の見栄があるわけよ。友達は進学するのに、自分は行けない喪失感、あえてそこをつつきました。「学校を出てなきゃいけないってのは、オマエ自身の問題だよ」と。そしたらガンガンやりだしたわけ。自分は馬鹿じゃないというプライドもあれば、友達にもカッコ悪い。結局、高校進学できてシメシメよ(笑)。こっちは「勉強しろ」とは、逆のことを言ったわけだから。

大企業病はいつでも表れますから、組織として常に警戒する必要があります。顧客の話が本社に上がってこない、顧客の要求が研究開発部門に上がってこない、意思決定が本社でなされる。こうした兆候が出始めたら危険です。

私はよく、会議の冒頭で「パソコンを閉じて、用意した資料も伏せて考えよう」と話します。議論の内容を重要な案件だけに集中させ、全員で知恵を絞り尽くそうという意図によるものです。苦労して分厚い資料を作ってくる参加者もいますが、あえて伏せてもらいます。その方が根本的な問題をシンプルに捉え、頭をフル回転させることができます。同時に、自分の言葉でしっかり意見を言うことも可能になります。

結局、自分なりの働き方改革をしなきゃいけない。会社やまして政府に言われてやるようなものじゃない。自分自身が何をやりたいか。どう生きたいか。そのためにはどう働くべきか。自分なりのストーリーを描くことだと思います。

私の人生は順風満帆だったわけではありません。数々のビジネスに挑戦し、失敗を経験してきました。私のキャリアはせいぜい「2勝10敗」だと思っています。今は13戦目を戦っている途中です。

戦略は現場に宿る。いくら戦略が優れていても、現場に即していない机上の空論では勝てない。

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