中村末広の名言・格言|発想の転換でアイデアを別の用途に使う

私自身、ソニーでワクワクするようなモノづくりの醍醐味を存分に堪能してきました。1990年代半ばにテレビの量産化を競う一種の技術コンテストを実施したときの話です。ある若手の技術者が、ガラスの内側と外側の冷やし方を変えることで、ブラウン管の厚みを薄くできるアイデアを挙げてきた。自動車のフロントガラスは衝突しても粉々になったりしないでしょう。あの製法を応用して、テレビを軽くしようと思いついたんです。ところが残念なことに、その年の軽量化プロジェクトには間に合わなかった。この技術者がユニークなのは、軽量化がダメなら他の使い道はないかとその後、頭を切り替えて、平面ブラウン管を思い浮かべた発想の転換だった。世界初の平面テレビ「ベガ」として大きな果実をもたらしてくれることとなった。

中村末広 の経歴

中村末広、なかむら・すえひろ。ソニー中村研究所社長、ソニー副社長。鹿児島県生まれ。ソニーのテレビ事業に尽力した人物。イギリスに赴任し、低迷していたテレビ販売事業を再生させた。平面ブラウン管ベガの開発とブランド確立を行ってソニーの国内テレビ事業も復活させた人物

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経営者のタイプというのは持って生まれた性格で決まる面もあると思っています。ただ、偉大な先人のスタイルをそのまま真似ることはできなくても、泰然自若と構えていらっしゃる方々の「心」には学ぶものが多くあるのです。

(ウェブ上で全社員の意見を募り、経営方針を決めているのは)会議のために集まる必要がなく、決定も早いのです。効率化を追求した結果です。

挑戦には何が必要か。安定した事業環境です。収益状態が悪くては、とても試行錯誤なんてできません。

後輩に抜かれたことに対してカリカリして仕事がうまくいかなかったら、もったいないじゃないですか。仕事があるうちは幸福なんだ、ぐらいの気持ちになって、出世して偉くなるのがカッコいいという考えは、この際、捨てる。実際、上にいった人は大変ですから。忙しくなるし、プレッシャーはあるし、悪い結果が出たら全部責任負わされるし。下にいるほうが気楽なんです。

車のセールスは、今日頑張って、今日実績が出るものではありません。一度営業所を出れば、監視の目もありません。私は、モチベーションを維持するために、日々小さな目標を決めて、それを達成できれば、自分を大袈裟に褒めていました。例えば、今日は500枚チラシを配ろうと決め、すべて配り終えたら、「ああ、1日よく頑張ったな」と。あるいは、今日はこのマンション1棟すべて飛び込みすると決め、最後まで訪問したら、「よくやったな」と自分を褒めてやっていました。実際車が売れるのは、500軒回って1軒あるかないかです。ですから売れる保証は何一つありません。あたかもマラソンランナーが、「次の電柱まで」「あの角まで」と目標にして走るように、小さな目標達成をしては、大袈裟に喜んで、モチベーションを維持していました。結果、1年半で前任者の9倍の台数を売り、歴代出向者の新記録を樹立。日産サニー大阪生え抜きのセールスマンの中でも、粗利益が2位という成績を残しました。粗利益が2位というのは、つまり値引きをしないで売ったということです。念願のサニー大阪の社長賞と日産自動車の社長賞をいただくことができました。

私は関東大震災で妻と三女を失った。両人は湯河原の天野屋に保養に行く途中、根府川で地震にあい、列車もろとも海中に沈んだのである。この不幸を聞き、一瞬意気消沈した。しかし、数秒後には猛然と責任感が湧きあがった。私は駿河銀行の頭取だ。銀行家としての使命を果たさなければならぬ。家の不幸はそれに比すれば、些細な私事である。私は全力が奮い立った。そしてただちに健脚の若い行員を集めて、支店出張所の被害状況を調べ、その所要資金の見込み額を至急本店に報告することを命じた。

若いビジネスパーソンのお金の使い道で最も重要なポイントは、自己投資とその効率です。「これで本当に生きた使い方になっているか」「将来につながる投資か」と考える癖をつけるようにしましょう。そうすれば、お金を「人生を充実させる道具」に変えることがきっとできるはずです。

人はよく絶望するという。絶望とは何であるのか、それは彼の身辺にあまりすることが多すぎて、どれから手を付けてよいやらわからなくて、義務に責められることである。これを脱するには、まず手近のひとつから果たしていくがよい。

1999年、米たばこ大手RJRナビスコの海外たばこ部門を9400億円で買収する大型案件を決断した。その際も1から2か月ほどテンションが高い状態が続いた。2006年は英国のたばこ大手ガラハーの買収を決めた。総額は2兆2500億円以上と、RJR買収を上回る国内最大級の買収案件である。この案件では、最終交渉を始めるころから2・3か月にわたり、フル回転の状態だった。こうした長丁場の緊張状態に耐えられるのは、20代後半から30代初めにかけて火事場を経験させてもらったのが大きい。

人間が人間たる意義を求めるならば、まず敬するという心を持つことである。人間が現実にとどまらないで、限りなく高いもの、尊いもの、偉大なるものを求めてゆく、そこに生ずるのが敬という心である。この敬の心が発達してくると、必ず相対的に自分の低い現実を顧みてそれを恥ずる心が起こる。人間が進歩向上する一番大切なことは敬する心を発達させることであり、それによってはじめて恥を知ることができる。

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