鳥越淳司の名言 一覧

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鳥越淳司のプロフィール

鳥越淳司、とりごえ・じゅんじ。日本の経営者。とうふメーカー「相模屋食料」社長。京都出身。早稲田大学商学部卒業後、雪印乳業(のちの雪印メグミルク)に入社。その後、妻の実家である相模屋食料に入社し社長を務めた。同社を大きく成長させ、木綿豆腐、絹ごし豆腐で生産量日本一を達成。そのほか『ザクとうふ』などのヒット商品を手がけた。

通常の商品は売れていても、発売から4年も経つと売り上げが落ちる。


売れるかどうかは気にしませんでした。ただ、自分が欲しいものを作っただけ。数字を全く考えずに作ったから、自分の理想を追えた。


好きなものを徹底してこだわって作れば、お客様はそこに共感してくれる。


「やる」と決めたら、ゴールまでたどり着く道筋を模索し、走り抜けるだけです。


今は、何もしないでも商品が売れる時代ではありません。時には、常識を打ち破り、新たなニーズに応えなければなりません。


私はまずはゴールを定めてから、アプローチを考えます。「今、これができる」だから、「あれを実行しよう」。そんな階段を積み上げるような動きでは、スピードが出ません。


伝統的業界で大胆な挑戦ができたのは、私が強力に社員を引っ張るタイプだからだと思っています。


差異化とは、説明せずとも「見て分かる」こと。だから圧倒的な違いを。


「ボリュームゾーンの木綿(とうふ)と絹でトップに立てたらいいな」ということ自体は、誰でも思いつくはずだ。それは目標と言うより、夢、妄想と言う方が正しいかもしれない。しかし、実際に妄想を形にしようと動く人間はごくごく限られる。


「どうせやるのだったら、周りが驚くくらいのことを」と、天を突くくらいの目標を立てて死に物狂いでやれば、妄想が実体に変わる。そして、死に物狂いの姿勢が周囲の目を集め、支援してくれる人が現れる。


「大企業出身者が地道な仕事をどこまでやれるか」という疑いを解くため、まず自分で豆腐を作れるように、深夜まで職人さんと修業した。
【覚書き|雪印を辞め、妻の実家の相模屋に入社した当時を振り返っての発言】


豆腐市場はまだまだ拡大できる。まず売り場にお客様を呼び込む商品を作り、活性化させたい。そのためには、一目でお客様が飛びついてくれる商品が必要。売る商品が木綿と絹とすれば、ザクとうふのシリーズは「見せる商品」であり、スーパーの豆腐売り場に男性客を呼び込むネオンサインだ。


トップに立つには味で、生産力で、納期で圧倒したい、と考えたから、製造方法も投資額も業界の常識外れになったが、段階的にやっていたらどうだろうか。例えばかつては1ラインで豆腐を1時間2000丁作っていた。これを50割増やしても、たかだか3000丁だ。我々は「目標1万丁」を打ち出し、それでようやく8000丁を達成できた。


ホットパックの採用で、同価格帯での食べ比べでは負け知らずでした。しかし残念ながら味だけでは、スーパーのバイヤーさんの最終的な決め手にはならない。だから第3工場を「見せる工場」にしようと考えました。
【覚書き|ロボットによってオートメーション化された巨大な豆腐工場の建設をしたときを振り返っての発言】


実は「渚のハイカラ豆腐」という商品を出し、そこそこ売れたこともある。しかし、「しょせんは人まね。ナンバーワンを取れるわけがない」と早々に打ち切って、ボリュームゾーンの価格帯の木綿と絹に全力投球してきた。
【覚書き|男前豆腐店のヒット豆腐「豆腐屋ジョニー」に触発されてつくった商品を早々に打ち切った理由について語った言葉】


工場完成から稼働までの間に改善した項目は、並べれば1000以上あったと思う。食品メーカーにとっての事故の恐ろしさは、前職で痛いほど思い知らされた。あの事故以来、仕事のうえで面倒だとは、一度も考えたことがない。
【覚書き|2000年の雪印食中毒事件を振り返っての発言】


切り札となる第3工場の建設を決めたときは、大変お世話になっている取引先から「建てるのはいいが、どこで売るのか」と呆れられた。豆腐に上からパックを被せようと提案したら、製造装置のメーカーさんから「崩れる、むちゃだ」の大合唱。やっと工場が完成し、稼働前に日本生活協同組合連合会(日生協)さんにお披露目したら「あなたたちがこの規模の工場を運営するのは無理です。これではお任せできません」と、全社員の前で叱られた。「ならば、できるまで指導をお願いします」と食い下がって、稼働までの3ヶ月間は日生協の方に泊まり込んでいただくなどして、必死でレベルアップに励んで量産にこぎ着けた。


雪印乳業(のちの雪印メグミルク)の営業時代から、乳製品以外のスーパーの店頭もなめるように見てきた。豆腐売り場に来るたび「この業界の人は、あまり自分の商品が好きじゃないのかな」と思っていた。誰が考えても、売り場の主役は白くて四角い木綿と絹。にもかかわらず、「これで市場を取る」という勢いを感じる商品が見当たらなかった。パックのフィルムを見ればそれが分かる。外装を変えたからどうした、という話ではあるが、デザインを変えるという一番簡単なこともせず、十年一日のままだった。その割に、形や材料を変えてニッチ市場を狙った商品は次々と出てくる。「だったら、ベーシックな木綿と絹で勝てたらすごいぞ」と考えた。ある意味、分野調整法に守られて、30年以上放置されてきたブルーオーシャンだ、と。


全体の売上構成比を考えれば、数%しかないG(ガンダム)とうふシリーズで失敗してもたかが知れています。実際、様々なコストを考えると、同シリーズのみでは赤字だったりします。けれども、世の中で話題になったことで、相模屋の認知度は一気に高まりました。これにより、他の商品の売り上げが引き上げられています。期待は全くしていませんでしたが、結果として、全体の売り上げアップにも貢献しています。


「焼いておいしい絹厚揚げ」には、絹の舌触りやジューシーさを出すために、原料にデンプンを使用しています。これを知った業界人からは、豆腐屋が「大豆・水・にがり」以外の原料を使うのは「邪道」との声もありました。しかし、販売を開始すると大ヒット。お客様にとって、美味しければ製法は大した問題ではなかったのです。


私の胸にあったのは、ただ「やるぞ」という決意。年々売上げが少しずつ減っていく豆腐業界を、明るくしたい。その覚悟を決めただけです。
【覚え書き|売上高30億円程度のときに40億円を投じて新工場を設立した当時を振り返っての発言】


おとうふの味が目減りする原因の一つは、パッケージ詰めの工程にあります。温かいおとうふを一度冷却し、手作業でパック詰めしていたからです。おとうふは柔らかいため、長らくこの作業を機械化できませんでした。そこで、今までになかったおとうふのパッケージマシンを開発することにしました。試行錯誤の末に誕生したのは、おとうふにパッケージを被せる方式の機械です。パッケージにおとうふを入れるのではなく、流れてくるおとうふの上からパッケージを乗せれば、おとうふが崩れることはありません。パッケージ詰めの工程を自動化したことで鮮度が高く、また人を介さないために衛生環境も向上し、賞味期限が伸びました。それに加え、一定の品質の商品を安定供給できること。この3つが評価され、取引先が広がっていきました。


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