鬼塚喜八郎の名言 一覧

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鬼塚喜八郎のプロフィール

鬼塚喜八郎、おにづか・きはちろう、アシックスの創業者。軍隊、商社の仕事を経て運動靴問屋鬼塚商会を創業。その後、スポーツシューズメーカーとなりバスケットシューズを開発。東京オリンピックで鬼塚製のシューズをはいた選手が軒並み金メダルを取り、スポーツシューズのトップメーカーとしての礎を築く

志を持った人は、土壇場に強い。困難にぶち当たっても倒れない。


弱肉強食の時代に生き残ろうと思うのなら、自己の特色を出して強者に対抗していくほかない。


創業10周年式典で、会社は公器であり、従業員や会社とともに発展させると宣言した。これに合わせて、私が100%持っていた株式の70%を従業員に分配し、上場を目指した。取引先にも株を持ってもらいました。


中小企業は資本・人材・経営者の力量などが限られている。だから大企業の隙間を探し、その小さい力を一点に集中投下し、錐(きり)でもむように市場に食い込まなければならない。


私がスポーツシューズのメーカーを起こしたのは、青少年の育成に役立つ仕事がしたいと思ったからです。
終戦後、戦友との約束で面倒を見ることになった老夫婦の養子になり、神戸でサラリーマン生活に入ったものの、私利私欲に走る社長に我慢ならず、辞表を叩きつけてしまった。この先どうするか。教育委員会で働く知人に相談すると「それなら運動靴を作れ」とアドバイスしてくれた。スポーツマンはルールを守り、礼を重んじ、ベストを尽くして戦い、チームワークに徹し、目標達成に向けて自己啓発に努める。スポーツマンシップとは何かという彼の説明に感動した私は、残りの人生を懸けて、青少年のためにいいシューズを作ろうと決意したのです。


31歳で創業して55年。転んでは起き上がる苦闘の繰り返しでした。倒産寸前の危機に直面したことも何度かあります。


青少年のためにいいシューズを作る。この創業の志を貫き、ただ自分が儲かればいいという考えに傾かなかったから、取引先や従業員が助けてくれたのでしょう。仕入れ先に初めてナイトクラブに連れて行かれ、自分も少しは楽しみたいと思ってしまったこともあります。でも、夜遅く会社に戻ると、従業員が一生懸命働いている。振り返れば、私が結核を患ったときには、彼らが会社を支えてくれた。自分だけが楽しむわけにはいかないと肝に命じました。


「創業は易く、守成は難し」ということわざがありますが、困難に見舞われたときこそ志が問われるのです。
【覚書き|守成(しゅせい)=事業を引き継いで守ること】


命まで取られへん。駄目ならやり直せばいい。
【覚書き:陸軍の過酷な訓練を経験し、どんなつらい状況でも耐えられるようになったことについての発言】


志あるところに道は開かれ、求めるところに師は現れる。


ヒントは釈迦の教えから得た。インドには三億人の民がいる。うち一億が私の教えに共鳴してくれたら立派な国になると説いたという。なるほど三分の一か。三割がしっかりしていれば、どんなに悪い者がいても残りの三、四割はついてくる。この考えを実践しよう。私は全株式の三割を持つだけにし、残りはすべて社員に分けよう。


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