高須武男の名言 一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加

高須武男のプロフィール

高須武男、たかす・たけお。日本の経営者。バンダイナムコホールディングス会長。神奈川県出身。早稲田大学政治経済学部卒業後、三和銀行(のちの三菱東京UFJ銀行)に入行。麻布支店長、第二電電(のちのKDDI)営業本部長、三和銀行国際業務部アジア室長、ロサンゼルス支店長などを務めたのち、バンダイに移り、アメリカ持ち株会社バンダイ・ホールディング・コープ社長に就任。バンダイ本社常務、管理本部長などを経て社長に就任。そのほか日本玩具協会会長、経済同友会幹事なども務めた。ベストファーザー・イエローリボン賞経済部門を受賞。

経営には、論理的な思考はもちろんですが、動物的な直感が欠かせません。そこから確信が生まれます。


人は基本的に誰もが保守的です。特に、現場に近いほど、新しい仕事が増えるので消極的になります。そんな時、トップの考えがブレたら部下は付いてきません。


情熱と粘り強さを社員から引き出すには、顔を突き合わせて自分の思いを相手の腹に落とすことが大切です。


もう一度、得意分野で挑戦してみろ。
【覚書き|家庭用ゲーム機「ピピンアットマーク」が大赤字を出したとき、担当者が辞表を出してきたのを突き返して言った言葉】


社員の失敗は、それを了承した経営判断のミスでもあります。お互い様です。本人が一生懸命やっての失敗なら、次は周りがサポートして失敗させないようにします。サラリーマンは挑戦し続け、失敗を重ねながらも、最後に切り札を会社に提案できることが大事です。


7・8年前の失敗をしっかり原因分析し、十分に下準備をしてからやってくれ。もう一度失敗したらそれこそ笑いものになるぞ。
【覚書き|「たまごっち」を再びやりたいという社員の提案にOKを出した後に言った言葉。たまごっち発売当初の熱狂的なブームは結局息が短く、結果的に60億円の赤字に終わった。この発言後に出した「たまごっちプラス」は長期間売れ、最終的にブーム時よりも売れて大きな利益をもたらした】


ここで辞表を受け取ったら、いくらトップが「挑戦しろ」と言っても、「なんだ失敗したら2度目なんて、やっぱりないんじゃないか」と社員は思ってしまいます。
【覚書き|家庭用ゲーム機「ピピンアットマーク」が大赤字を出したとき、担当者が辞表を出してきたのを突き返した理由について語った言葉】


うちは世の中にエンターテインメントをお届けする会社です。社員が無難に過ごすようになったら、面白味なんかちっとも生まれてきませんよ。


退職後の第2の人生を有意義に生きるには、会社ではない、新たなコミュニティーに参加することが不可欠です。そしてその準備は、会社に席があるうちから始めたほうがうまくいきます。もっとも、私にとっては第2の人生はバンダイでしたから、第3の人生になるわけですが。


バンダイの社長になったとき、周囲を巻き込むことを第一に考えました。私は銀行から落下傘で降りてきたわけですから、社員には不安があったはずです。そこで、私の方から現場に出向いて、社員と対話することに力を入れました。


振り返れば、銀行時代から周囲を巻き込み、新しいことに挑戦するのが好きでした。銀行員としては異端児ですね(笑)。


バンダイとナムコの経営統合のときに中村(雅哉)さんには、持ち株会社で代表権を持つのは1人だけにすべきだと提案しました。ツートップでは社員はまとまりません。中村さんは当初はノーコメントでしたが、最終的には私をトップにしてくれました。その決断には、本当に感謝しています。


バンダイとナムコの経営統合に際しては、対等合併と持ち株会社を作ることにこだわりました。私がバンダイの社長になる前、バンダイはセガとの合併を試みたことがあります。バンダイの社員はセガに吸収されることを恐れ、結局は破談となりました。同じ失敗を繰り返したくなかった。


私が三和銀行(のちの三菱東京UFJ銀行)からバンダイに転職したのは、50歳の時です。既に国内外で支店長を経験し、仕事ではある程度の達成感がありました。バンダイから声が掛かったのはロサンゼルス支店長の時。この年での転身にはリスクもありましたが、「命を取られるわけではない」と、1泊3日の強行軍で帰国して山科誠社長に会いました。「良いおもちゃで遊ぶと、良い大人に育つ」というのが殺し文句でした。結局、帰りのフライトでは既に心を決めていました。


人名ランダムピックアップ


経営・ビジネス・投資・仕事・お金・経済的な分野で成功を収めた人たちの名言を収録しています。

ページの先頭へ