高碕達之助の名言 一覧

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高碕達之助のプロフィール

高碕達之助、たかさき・たつのすけ。日本の経営者、官僚、政治家。農商務省直轄の水産講習所(現:東京海洋大学)卒業後、水産関連の会社を渡り歩き、海外での実務経験を積む。その後、製缶会社の東洋製缶を創業。日中戦争になり、製缶のための鉄が不足し満州重工業開発へ鉄を譲ってもらうため交渉に向かい、満州の状況を知りそのまま副総裁・総裁を務める。終戦後、吉田茂に請われ電源開発の初代総裁になり各地に発電ダムを建設。その後、政治の世界へと入る

競争者が多くいることはいいことだ。自分がどんなに勉強しているか本当に批評してくれるのは、競争者以外にはない。


缶を売ることを売買と考えてはいかぬ、自分の娘を嫁にやったという考え方でやれ。
【覚書き|東洋製缶社長時代の発言】


人口が増えて食料が足りないで困るというのは、神様が人間を良くするためにしていることだ。貧しきものは幸いなりというのはこのことで、人間の働くゆえんはここにある。人口が増えて食料が足りなくなるのに打ち勝って努力するのは、神様が我々に与えてくれたものだ。人口が少なくて安易な生活をしている人間はついに滅びてしまう。


フーヴァー氏から習ったものだが、事業の目的は第一に人類の将来を幸福ならしめるものでなければならぬ。第二に事業というものは営利を目的とすべきではない。第三に世の中は進歩しているから現状維持は退歩である。第四に事業の主体は従業員でなければならぬ。
【覚書き|フーヴァー氏とは第31代米国大統領ハーバート・クラーク・フーヴァーのこと。大統領になる前から面識があった】


私は日本が米国に負けたのは日本の土木技術が遅れていたからだと考えた。というのは米国の土木技術をもって羽田飛行場を整理しているのを見て驚いたからだ。また、山ひとつとってしまわなければ飛行機が飛べなかったトラック島を、彼らはわずか2週間か3週間で山を崩して爆撃機を飛ばせるようにした。


私は缶の単一化に乗り出した。調べてみると案の定1ポンド缶と称するものが270種類あった。ちょっと見たところ分からないが、ずるいやつはだんだん形を小さくしてしまい、同じものだと思って買ってみると中身が少なかったりする。そういうことではいけない、「規格を統一することは缶詰をよくするゆえんである」ということが東洋製缶の思想になり、やがて容器が決まって世界のどこへ出しても恥ずかしくないものができた。こうして日本の缶詰産業が発達したわけである。


利益があれば年々機械が新しくなってくるから、新しい機械を買うためにまず第一に償却をやり、残った金は一般の会社がやるだけの配当をしよう。また従業員にはできるだけの給料を払って最低生活を保障し、製品はできるだけ安く売るようにした。つまり、償却した残りの金を三等分し、三分の一は従業員へ、三分の一は株主へ、三分の一は消費者に返してやるという原則を決めて、経費はできるだけ少なくし、いいものを敏速かつ安く提供するようにした。
【覚書き|東洋製缶社長時代の発言】


事業の目的は第一に人類の将来を幸福ならしめるものでなければならぬ。第二に事業と言うものは営利を目的とすべきではない。自分が働いて奉仕の精神を発揮するということが、モダン・マーチャント・スピリット(近代商人魂)だ。


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