高橋和志(造船技師)の名言 一覧

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高橋和志(造船技師)のプロフィール

高橋和志、たかはし・かずし。日本の造船技師。宮城県出身。長崎造船大学船舶工学科卒業、同大学大学院修士課程修了後、家業の高橋造船鉄工所に入社。家業が倒産したのを機に弟とともに高橋工業を設立。造船で培った金属加工技術を建築に応用し、高い評価を得た。

造船の世界というのは理論だけのものではありません。高波の恐怖とか、船の上ではたとえば20度の傾斜も想像以上に傾いて思えるだとかいった実感を知っているほうが、いい船を造れるんですね。だからこそ、小さい頃に祖父や父や海から学んだことは大きかった。


夜になっても、トンネルは明かりが点いていて明るいじゃない?だから出稼ぎ先では、夜はトンネルの近くで本を読んで過ごしていました。
【覚書き|会社を設立して厳しい状況のなか、全国をまわっていた当時を振り返っての発言】


私が悩んでいたら妻が「それはこっちでしよ」とあっさり言うの。「おい、俺、それが決断できねぇから苦しんでいるのに……その根拠は何だ?」と聞くと、「だって、こっちがやりたいことなんでしょ」と。その通りなんです。そういうことは本人よりも側にいる人のほうがよく見えているということがあるんだ。単純に考えなければ、いろいろな要素が絡み合い過ぎて、結局何に悩んでいるのかもわからなくなる。これは妻から学びました。


よく、不況で支払いの滞納があると、みんな、「金に裏切られた」なんて言うんだ。でも、倒産の頃からいろいろ見て来て思うのは、裏切るのは金じゃない、人なんだ。


値引きには基本的には応じません。どうしても予算の都合でと言われたら、素材を変えたり値引きの根拠を示す。同じ素材、同じ工程で値引きと言うんじゃ、何をされているのかと言うと「買い叩かれている」ってだけなんだ。


いい仕事は呼吸の合う人としかできない。うちは従業員20人とその家族が食えればいいので、年商で言ったら数億円、年に5件や6件の仕事で充分なの。だから何千人もいる建築家たちとは、毎年、好きな5人くらいとつきあっていればいい。「安く請けなければ次の仕事はないぞ」と脅して来るゼネコンに従って、価格競争でポロポロになる必要はないんです。


正直、なかなかむずかしいこともたくさんありますよ。震災後って、時間の過ぎるのが早いんです。すぐに、あ、今日も一日が終わったぞ、となってしまう。何をやるにしても、平常時の10分の1ほどしかできないという感覚だから、それは忸怩たるものはある。でも、一日にひとつは何かをやろうってことで、やれる仕事を前に進めることにはしていて。そうでも考えなければ、いつも下を見て歩くようになってしまうのでね。だから、自分を見失わず、毎日きちんと生活をしようとしています。


我々は何代も船大工として生きてきたから、そもそも、我々の海から逃げるつもりもないんだ。ここから見える海をはじまりにしなければ。家業がただ続けばいいってのではなく、ここで続けるから意味があるってことです。そんなことも、息子たちには伝えたくてね。親父はあの時はこうしたんだよな、みたいな話ですけど。私自身、祖父や親父の、言わず語らずという姿勢から、生き方みたいなものを教わったような気がしているのでね。


私はこの地で踏ん張るつもりです。鍋や釜のようなものからでも製品に仕上げて、気仙沼で作ったものを全国に発信する。そうでなければ復興の意味がないですから。いろんな意見があるだろうけど、私は、復興ってその地域が自立してやらなきゃ意味がないと考えています。
【覚書き|東日本大震災で大きな被害を受けた地元気仙沼の復興活動について語った言葉】


自分がやれるのは、次の世代に造船技術を伝えることです。財産は残せなかったけど、考え方なら息子をはじめ生き残った気仙沼の人に伝えられる。それも仕事と思っています。


私は、目の前の人を好きか嫌いかで仕事を受けるかどうかを決めているよ。合理的じゃないように見えるだろうけど、世の中は野生の王国みたいなものなんだからそれでいいと思うんだ。野生の動物も、毒は食わない。本能的に「嫌だな」と思う人と仕事をしても、意思疎通に時間がかかるしヘンなところに連れていかれるだけなんです。そのことはよくわかった。はじめはどんな人の仕事もうまくやろうとしていたけど、気が合わないやつには、こちらのしたいことは伝わらないし、結果的にいつもダメな仕事になってしまうと気づいたんだ。


私は、部品と数量を羅列した見積書は出しません。建築家の先生が欲しいのは「自分の頭の中のイメージは本当に形になるのか」に対する答えだけですから。どうすれば依頼を実現できるのか。その技術的な方法を1ページか2ページの図で見せ、後は末尾にだいたいの値段を添えるだけ。必要な工程を充分に理解した上で提案するから、概算の予算もほとんど間違わない。そこで間違うっていうのは工程を分かっていないってことだから。


もう、船だけを造っているのではダメだとはわかっていた。異業種に参入し、自分たちの提供できる付加価値で勝負をしなければ。でも、あちこちに可能性を探ってみてもお金は出ていくばかりでね。高い授業料を払った。よその分野に授業料を払い続け、話を聞き、そのうち何となく自分たちの分野の強味が分かるようになっていったんです。建築の分野における造船技術の強味は、1から100まで、すべて自分たちで造れるところです。造船の世界では設計と施工が分かれてないからね。建築の世界では細かく分業化されてるでしょ。建築家が設計図を書く、ゼネコンが下請け業者に仕事を回す。すると、ただ「アルミを溶接する」なんてひとつの工程でさえ、専門家を呼ばなければ対応できないわけだ。造船の世界じゃ、そういうのは全部できないとオーダーメイドの船は造れない。どんな素材を切るのも、金属板の溶接も三次元加工も、お手のものなんだ。


家庭を持つと信用がつくというのは本当でした。結婚して五人の子どもを育てていると「まるくなったね」と言われるようになったけれど、じつは私は短気なままだから、これは周囲の見方が変わったんです。


のちのち、ちがう分野の人と仕事をする時には、自分たちの世界の常識を、それについてはぜんぜん知らないという人たちに説明しなければならないわけじゃない?その前に練習として妻に話すと「ここがわかりにくい」と適切な助言をくれたな。


家業が廃業になった直後の1985年に、弟と一緒に高橋工業といういまの会社を設立しました。とは言え、造船所も事務所もない。あるのは、海と船についての知識だけ。それのみを携えて、どこにでも行って何の仕事でもやろうと思っていました。母校である長崎造船大学の先輩から設計の仕事をいただいては、仕事道具の鉛筆と三角定規だけを片手に全国のあちこちにある造船所に出稼ぎに行っていたんです。各地から実家に送金をするという生活をしていました。


祖父も父も、船大工の棟梁でした。うちは江戸時代から続く船大工の家だった。その二人の背中と、家に住みこんでいた100人以上の職人の背中を見て育ったんです。だからいまでも、何かあると祖父や父ならどうしていたかなと思うし、そこに答えがあるような気がする。


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