高杉晋一の名言 一覧

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高杉晋一のプロフィール

高杉晋一、たかすぎ・しんいち。明治生まれの日本の経営者。三菱電機社長・会長。茨城県出身。東京帝国大学英法科卒業後、三菱合資銀行部(のちの三菱銀行)に入社。大阪支店に10年間勤務し証券係長、貸付係長などを経験したのち、本店の監査課長、日本橋支店副長、四谷支店長、大阪船場支店長、名古屋支店長を務める。その後、グループ内の三菱電機へ移籍、監査役、取締役、常務などを経て社長に就任。戦後の三菱電機の復興に尽力した経営者。その他、三菱経済研究所理事長、海外経済力基金総裁なども務めた。

それぞれの人の人生観なり哲学は、本人が意識するしないにかかわらず、その人が重大事態に直面したとき、行動となって現れるものだ。


運命学者が言うように、人間には自分の努力によって開くことのできる「後天運」というものがある。人間には知恵があり、考える力があり、さらにいろいろの教えがある。道徳は人間生活の破たんを未然に防ぐためにあるし、精神の救いには宗教がある。人間はこうしたものによってある程度自分の運命を開くことができる。


私はどんな人でも、その生涯で一度や二度は大きな運命を決めるような最後の一線があると思う。そのときはまずハラを決めて、断固たる決意で立ち向かうことだ。物語の中でも悲劇の主人公は、たいがい優柔不断な人間と相場が決まっている。


三菱電機では、終戦後まだ一度もストライキを体験していない。それは、会社が従業員の福祉を真剣に考えてきたということと、経営者が組合に嘘を言わず、組合もまた公正な態度で経営に協力してくれたからであった。その点、組合を邪魔者扱いしたり、あるいは組合のことは勤労部長クラスに任せっきりにしているような会社は、えてして労使間の紛争が多いようだ。


この難局を突破するためには全員総力を結集しなければならぬ。そのためには相互の信頼が第一である。経営者が嘘を言うのが一番悪いから、会社の内容は一切真実を語ることをする。待遇も会社の基礎を危うくしない程度においてできるだけ良くするようにしたい。諸君も会社の実業をよく理解してほしい。
【覚書き|終戦直後社長就任のスピーチで】


私は関君(のちに同社社長となった関義長氏)と相談して社の内外に社長適任者を求めることにし、労働組合に対しても「今度社長を置くことにした。候補者は何も現重役には限らない。社員の中からでも社外からでもいいから、諸君のいいと思う候補者を推薦してほしい」と協力を求めた。こんな例はおそらく三菱始まって以来であろうが、私どもとしては全従業員の協力なしで今後会社再建は不可能と見たので、あえて労組の協力を求めた。
【覚書き|太平洋戦争後、重役のほとんどが公職追放されてしまった当時を振り返っての発言】


私は電気に関する本を買ってきて読んだが、英法科出の銀行マンには雲をつかむようでさっぱりわからない。とうとう私は泥縄はやめることにした。そして将来とも技術のことはいっさい口に出さない方針を固めた。以来私は電気のことは何を聞かれても「わからない」で通してきた。後年何かの雑誌に「この社長ぐらい電気のことを知らない社長はないだろう」と書かれたが、事実だから仕方がない。いい加減なことを言うよりその方が間違いがない。
【覚書き|三菱銀行名古屋支店長から三菱電機に移った当時を振り返っての発言】


私は子供心に父が成功しないのは酒を飲んで暴れるからだと思った。事実、出世しそうになると、父は必ず酒でしくじっていた。私はこの父からひとつの教訓を得た。酒に飲まれてはいかんということである。社会に出てからもいつもそのことを自戒していた。だから私は酒を飲むと絶対に姿勢を崩さない。若いころは一升二升と飲んだものであるが、絶対に酒に飲まれることはなかった。父のおかげである。


いくら学問があっても、学問だけでは悟れるものではない。


天命は天の裁断であり、絶対に抵抗できないものだが、これを私は因果応報と見ている。つまり世の中には偶然というものは何ひとつない。森羅万象はことごとく原因と結果があって生生流転している。


世の中の人はそれぞれ思想も好みも違う。部下の意見を好んで聞く人もあれば、聞くのを嫌がる人もいる。人間というものは自分の個性を殺してまで人に迎合する必要はなかろう。なにごとも私心を挟まない限り、正々堂々と自分の意見を述べるのに遠慮はあるまいと思う。


私は常に「人生は最後の一線において勝負する」と考えている。どんな人でも、運命を決めるような最後の一線があると思う。その時はまずハラを決めて、断固たる決意で立ち向かうことだ。


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