鈴木修の名言 一覧

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鈴木修のプロフィール

鈴木修、すずき・おさむ。日本の経営者。自動車メーカー「スズキ」社長・会長。岐阜県出身。中央大学法学部法律学科卒業後、中央相互銀行(のちの愛知銀行)を経て鈴木自動車工業に入社。常務、専務などを経て社長に就任。同社を大きく成長させた。

机の上で評論していちゃ駄目。やってみなさい、試してみなさい。


人生には、チャンスを掴むか逸するか分かれ道がいっぱいある。


奇策じゃなしに、誰に何を言われようとも自分の実力を過信せずに続けることが大切。


ぺしゃんこに潰されるのは嫌だから、「この野郎」という気持ちで挑戦し続けてきた。


自動車メーカーのない国に行けば一位になれる。
【覚え書き|インドに進出した理由について語った言葉】


シェアではメシは食えないと言ったが、やはりシェアは大切だ。社員のモチベーションにつながるから。


追いかければ追いかけるほど、ツキは逃げていく。


メーカーというものは工場にカネが落ちているところだ。設計がいいモノを考えて、生産現場がいいモノをつくれば、そんなもん、売れますよ。管理なんて必要ない。


コスト意識を経営がはっきり持つためにも、本社を工場から離してはならない。スズキの本社はいまも静岡県浜松市高塚町の工場横にあります。創業以来、本社工場の考えを変えたことはないし、今後も変わらないでしょう。


日本の製造業がまだ強さを保っているのは、現場で働く人のレベルが非常に高いからです。特にコスト意識。これは世界で最高じゃないですか。


メーカーは現場がどうモノを作るかが勝負で、システムだとか管理だとかは後からついていけばいい。


僕は本社工場にものすごくこだわりがある。製造業である限り、モノつくりで生きていこうとする限り、経営の方針を決める本社は現場から離れてはいけないという信念があるからです。


人間の能力の差は、体力・気力・努力次第で簡単に逆転する。要はやる気次第だ。やる気を出せばなんでもできる。


富士山のおいしい地下水も、流れが滞り、溜まればボウフラがわく。社長に就任してから、これまで22年の間に内在した影の部分を新社長とともに払拭する。
【覚書き|会長就任時の発言】


強い人と競争しても、弱い人と競争しても、競争は競争。相手がすごいからといって怖じ気づいているようでは最初から負けだからです。自分がベストを尽くせば、おのずから結果がついてくる。固い信念を持って、柔軟にものごとに対処することが肝心だと思います。


自分たちのできることをして、それでも駄目なら撤退という割り切った心構えが経営者には不可欠だろうと思います。


1位と2位が本気で戦いはじめると、3位以下のメーカーなんて木端微塵に吹き飛ばされる。3位以下の企業というのは不安定で脆弱な存在にすぎず、やはり小さな市場であってもナンバーワンになることが大切だと思います。


「死に金は一銭たりとも使わない」というのが私のポリシーです。たとえば、工場内ではなんでもかんでもコンベヤー化しようとしたり、自動化しようとしたりする傾向があります。その多くは、大いなる無駄です。わざわざコンベヤーを設置しなくても、ちょっとラインを傾けて自然と重力で動くようにすればいい。電気やガスといったエネルギーにはお金がかかりますが、重力はタダなのです。


ボトムアップはコストアップ。トップダウンはコストダウン。下からの積み上げで決めようとすると、議論百出て時間ばかりかかる。トップダウンこそコスト削減の近道だ。


「スズキはなぜ、ハンガリーやインドのような国ばかりを選ぶのか」といった素朴な疑問があると思いますが、理由は非常に簡単です。軽自動車中心のスズキは、アメリカやヨーロッパで通用するような大きなクルマを持っていなかったからです。そこで、人の行かない市場に注目したのです。


「ツキと、出会いと、運」です。先見の明があったなどとは口が裂けても言えません。私に言わせれば、どんな先見の明も、すべて後講釈といいますか、後付けにすぎません。試行錯誤があるだけです。


若返りを図らないといけない。だが、100年に一度といわれる急激な経済環境の変化に直面している今回は、私が先頭に立ってやるしかない。この30年間、右肩上がりで伸びたため、社内は安泰ムードが染み渡っている。こういう事態を招いた自分が立て直していくしかない。景気が良くなるまでやりきらないといけない。


皆の話を聞いていたら、動きが鈍くなって仕方がない。時代の流れを見極め、機敏な対応で生き残るしかない。大事なのは、独りよがりの経営にならないよう、社内外の情報がきちんと集まってくる仕組みをつくることだ。


会計の基本は二つのポケットだ。
パランスシートが読めなくても、商業簿記を勉強しなくても、2つのポケットがあれば用は足りる。ある青果店のおじさんは右と左にひとつづつ、2つのポケットがついたエプロンをしていました。たとえば、今日仕入れてきたものが10万円なら、売上が10万円になるまで「右ポケット」だけにお金を入れてしまっておくのです。売上が10万円を超えたらはじめて超えた分のお金を「左のポケット」に入れるようにしていました。なぜこんなふうにするのか、それは「売上」と「儲け(利益)」は違うということがわかっているからです。左のポケットにたまったお金は好きなように使える金です。ひとつのポケットにすべての金を突っ込んでしまうと、他人に支払わなければいけない原価まで儲かっているように錯覚してしまい、失敗するのです。


ビジネスは深く静かにやるのが理想。華々しいのは桜と一緒で、パッと咲いてパッと散る。


シェアトップを選ぶか、売上や利益を選ぶかというと、経営者としては名誉ではなく売上が優先で、その次が利益だ。


私は79歳になりました。79歳で現役の上場企業経営者は日本に何人いるのでしょうか。80歳を超えた先輩たちもたくさんいるはず。そう考えると、私もまだまだです。働くことが楽しい。休んで遊びたいとか、趣味をしたいという気はまったくありません。有給休暇は死んでから嫌というほどとれるのですから。俺は中小企業のおやじ。生涯現役としてまだまだ走り続けます。


難しい問題に直面したら、自分だけで抱え込まずに、上司に相談してほしい。相談を受けた上司が迷ったら、さらにその上の上司に相談してほしい。これを繰り返すことで、組織のコミュニケーションがよくなり、会社の実力がアップすると思います。


かつて大企業といえば、資本金や人員数、売上高、歴史、利益といったものさしで判断することができました。ところが現在では、そうしたものさしだけで大企業だと判断することはできません。業界でシェアがナンバーワンかどうか、すなわちプライスリーダーであるかどうかが肝心です。たとえ小さな規模でも、強い個性や特色を備えた商品で、極めて高い市場シェアを持つ会社こそが大企業であると言えると思います。スズキはまだその域に達していません。


私は、いざというときトップが直接乗り込むことは非常に大切だと思います。細かい話だけならディテールに通じた部長や課長のほうがうまくまとめるかもしれませんが、トップが動かないといけない局面があります。こちらがどれほど本気か、そのメッセージを伝えるには、トップが出ていくことに非常に大きな効果があると思います。


コスト、クオリティ、プロダクティビティ。ザッツ・オール!
【覚書き|GMとカナダで作った合弁会社のオープニングセレモニーでのスピーチ。偉い人たちの長いスピーチの後に一言だけで済ませ、会場を爆笑させた。プロダクティビティは生産性】


会社というのは、いろいろ手間がかかっても、いちから自分でつくりあげたほうが、いい結果が出る。世の中ではM&Aブームと言われた時期もありますが、少なくとも自動車産業でM&Aをやって大成功しているところはありません。自力でコツコツと積み上げてきた企業が成功し、ダイムラーとクライスラーのような大合併は、結局失敗だったと思います。フォードもせっかく買収したジャガーを売ってしまいました。


スズキのクルマづくりがここまで進化できたのは、GMという「いい師匠」に恵まれて、技術者を育ててもらったということ、これはもう120%確かなことです。


日産さんにOEM提供すれば、それだけで年間3万台超が売れる。3万台といえば、スズキの大阪府での販売台数とほぼ同じだ。軽自動車で最大のライバルはダイハツさんだが、先方は47都道府県で勝負している。うちは日産さんへのOEMで48都道府県で勝負できる。長い目で見れば、ダイハツさんとの競争でうちが有利になり、悪い話ではないはずだ。
【覚書き|日産のカルロス・ゴーン社長に軽自動車の委託製造(OEM)を打診された際の発言】


私はよく「スズキは中小企業だ」と言います。「売上高3兆円で中小企業というのはおかしい」と反論されることもありますが、私が言いたいのは規模の話ではありません。会社の中身が中小企業のままだと言っているのです。他のメーカーと比べるとまだまだ見劣りします。


一度ばかりの成功で自惚れるわけにもいきません。この(アルトが大ヒットした)ころ、「70までやるとして、俺はあと21年社長をやらないといけない。先は長いから、稼いだ金は社内の内容を充実させるために使おう。ものづくりの会社なのだから生産設備に投資しよう」と経理部長などによく言っていました。


自動車会社にとって最も大事なのはクルマです。当たり前のように聞こえるかもしれませんが、その経営者がどんなに人格者でも、いかにブランド力があっても、商品に魅力がなければ会社は傾いてしまいます。自動車に限らずメーカーとはそういうもので、商品がすべてといってもいい。


危機は常に社内にあり。苦境に立たされれば立たされるほどファイトがわいてくる。


会社が大きくなったからといって、スズキという会社に実力がつき、強くなったわけではありません。体の内部の筋肉や臓器が十分に発達していないのに、身長だけがどんどん伸びたようなものです。外からは一人前に見えるかもしれませんが、内部にいれば、その危うさを感じないわけにはいきません。


人間は皆同じ。言語、風俗、習慣、環境が違っても、心と心が通い合うことが重要だ。
【覚書き|インド政府との合弁会社をつくったときの発言】


民主主義だからといって時間をかければよいというものではない。金と時間がかかるものは大嫌い。会議はその最たるものだ。


俺はサラリーマン社長じゃないから花道はない。だから、自分の任期を考えて経営してきたわけじゃない。


クルマを生産していない国に行けば、100台でも1位になれる。従業員の士気を高めるためにも、スズキでも1番が取れる国があるんだというのを見せたかった。


止まったら負け。この程度の働きで業績が上向くと考える社員がいたとしたら危険だ。


ものごとの延長線上で考えるのはダメだとは思っていました。しかし、与えられた環境の中で最善を尽くすことだけがすべてでした。それが私の信念です。


振り返ってみれば1980年をはさむ数年間に、いまのスズキの原型をつくったと言ってもよいでしょう。とにもかくにも、がむしゃらに前だけを見て走ってきたのです。30年後のスズキを考える余裕などまるでありませんでした。クルマに例えてみれば設計図があったわけでもありません。明確な経営戦略や戦術が当時の私にあったはずもありません。それこそ我流というか、無手勝流でした。


社員全員が考え、主張する会社の組織運営は時間的コストがかかるかもしれません。これまでのスズキの特徴だった「即決即断のスピード経営」という良さを阻害するかもしれません。これまで、私が問題を指摘し、具体的な解決策を提示するケースが多かったのは事実です。しかし、それではダメだ。
【覚書き|自分がいなくなった後のスズキの理想とする未来像について語った言葉】


景気は1、2年で上向く状況にはありません。「苦境に陥れば、陥るほど、我行かん」という心境とでも言ったらいいのでしょうか。命ある限りスズキを引っ張り続ける覚悟です。同時に、健康で体力があり突進する人を見つけて、一生懸命育てていきます。50年に及ぶ私の経験を伝えて、「伸びて縮んで、また伸びる」経営に舵を切ってほしい。ワンマン経営から、経営幹部による合議制への移行がスムーズに行われるように人を選び、健康な限り見守っていきます。


後継者選びほど難しいものはありません。社長にできるのはひとりしかないわけですが、私のように早々に一人に絞ってしまったことは反省しなければなりません。やはり直前まで2から3人の候補者は頭に入れておかなければならないのです。いくら若くても何があるかわかりません。
【覚書き|唯一の後継者候補の部下が癌で亡くなってしまって後継者選びが白紙に戻ってしまったことについて語った言葉】


部品や製品はもちろん、設備まで、いかに小さく、少なく、軽く、短く、美しくするか。それがコスト削減とともに、できあがったクルマの燃費向上へとつながる。小型車と同じ安全基準が適用される中でのこうした努力が「小さなクルマをつくることなら、誰にも負けない」というスズキの競争力を養う力になっていたと思います。


当時のスズキは日本の乗用車メーカーとしては最後尾です。国内で1番になれるのが難しいなら海外でやってやるぞという気持ちです。いまのようにインド市場が成長するという先見の明があったわけではありません。勢いに任せて突っ走ったらうまくいったということです。
【覚書き|インド進出について語った言葉。インドでのスズキの軽自動車シェアは50%を超える】


いいか。セールスは断られたときからが勝負だ。諦めずに掛け合ってこい。
【覚書き|インド政府が国民車構想のパートナーを募集しているという情報を得て、申し込みをしたが期限切れで断られてしまった。上記は担当社員にもう一度交渉するように促した言葉。結局3回目の交渉で補欠承認された。その後スズキは、27年でインドでの軽自動車販売シェア50%以上を獲得した】


時間がかかりますが、自分で工場を作った方が、他人の工場を買うよりも最後は大きく成長します。企業には独自の文化があって、経営主体が変わったからといって体質は簡単には変わりません。それが外国の企業であればなおさらです。私は金輪際、外国企業を買収しようとは思いません。
【覚書き|スペインのサンタナで工場を買収し大損失を出したことを振り返っての言葉】


私たちは、外国の事情をよく知っているようにみえて、主要国の社会保障制度や雇用ルールなどを意外にわかっていないのです。もう少し慎重に構えるべきでしたが、思慮が足りませんでした。当時のスペインは社会主義国家といってもいい状況で、労働者はのんびりしており、かといって法律で強力に保護されているので簡単には解雇することもできないという状況でした。
【覚書き|1980年代にスペインの自動車会社を子会社化した失敗について語った言葉。この買収は100億円近い損失を出してしまった】


弁護士にはカネを惜しむなということです。これは医者についても言えることですが、ケチケチせずに最高の人材を雇えば、その見返りは大きいことを知りました。
【覚書き|スズキのジープ型四駆車サムライの北米販売当初、消費者団体から米運輸省道路交通安全局に横転しやすいとリコール要請が来た時を振り返っての発言。結局、ドライバーの危険運転が原因だったことがわかり事なきを得た。その際、GMの有能な弁護士が迅速に対応したことが功を奏した】


会社のトップが会長、社長なら、そのうちのひとりは技術者であるべきだというのが私の持論です。やはり、メーカーのトップには必ず技術者を入れた方がいい。結局、クルマをつくるのはエンジニアであって、彼らをきちんと処遇すること、報酬でもポストでも処遇することが非常に大切だと感じています。スズキの場合は、役員人事でも技術系と事務系が均衡しています。


製造業は1円のコストダウンが生死を分けるといわれています。1円を大事にするというのは、決して空疎な精神論ではありません。1円の重みというのは、私たちが日々実感していることなのです。売上高3兆円、利益900億円というと非常に大きなビジネスをしているように見えますが、実際には1部品あたり1円50銭の利益を積み上げた結果にすぎません。もし1部品あたり1円50銭のコストダウンができれば利益は倍増しますが、反対に1円50銭コストアップになれば利益は吹き飛んでしまいます。


いったん規則ができると、自分の頭で考えずにそれに従う人が出てきます。これを世間では大企業病というのでしょうか。最も頭に来るのがこういう姿勢です。


セールスは断られてから始まるということです。とにかく足を棒にして歩くことです。自分で自分に言い訳してお客さんのところに飛び込まないようでは、新たな顧客は1件も開拓できません。


自分のところの商品の良さを誠心誠意説明し、お客さんのハートをつかむのがセールスの真髄です。


スズキは生産設備を平均して3年ぐらいで償却しています。たとえば、税制上の法定償却期間が10年となっている大型機械も、うちでは3年です。国が定めた償却期間は、当初は8時間労働を前提としてできているものと思いますが、スズキの工場は二交代で1日16時間、さらに残業と休日出勤の間も稼働しています。早く元が取れて当然です。うちのような企業は、ゆっくりと10年単位で元が取れればいいといった悠長なことは言っていられません。是が非でも3年で元を取るという覚悟で皆、一生懸命やるのです。たとえ、有税償却であっても。


スズキはもともと小さな会社ですから、巨大なライバルと対等に戦えるわけはありませんが、これだけは絶対よそに負けない、特長のある会社にしたいと私は常々思っていました。のちにリスク承知でインド市場に飛び込んでいったのも、他の大手が手を伸ばさないインドなら、一番が取れるだろうと考えたからです。


減産のときには、外注先にコストの削減を強いるのはもってのほか。そんなことをしてはいかんのです。それは生産が増えているときにすることです。いまみたいなときは、内なるコスト削減。すなわち、おのれのマイナスをいかに減らすかに努力する。


最大の問題は、人材の不足です。私たちの会社は、わき目も振らず、前を向いて走り続けてきた会社です。やはり、もっと早く人材を育てておくべきでした。たとえば、大卒の技術者といっても、一人前になるには12年から15年かかります。売上高1兆円のときに次の飛躍に備えた規模の採用をしておけば、いまは彼らが中核になっていたはずです。しかし、あのときは会社がこんなに大きくなるとはイメージしていなかった。経営者としての未熟さを反省するばかりです。


私には、会社経営について、ひとつの確信があります。企業は一時的に順調でも、いつまでも順風満帆で成長していけるものではないということです。周期的に危機がやってきて、それを克服できれば、よりたくましくなりますが、その波に飲まれると成長が止まってしまう。最悪の場合は倒産してしまうこともあります。その周期の長さは、だいたい25年くらいではないでしょうか。


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