野田一夫の名言 一覧

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野田一夫のプロフィール

野田一夫、のだ・かずお。日本の経営学者。愛知県出身。東京大学文学部社会学科卒業。立教大学助教授・教授、マサチューセッツ工科大学ポストドクトラルフェロー(企業経営の国際比較研究)、立教大学社会学部観光学科初代学科長、日本総合研究所初代所長、日本総合研究所初代副理事長、ハーバード大学イェンチンフェロー、日本総合研究所理事長、社団法人ニュービジネス協議会初代理事長、多摩大学初代学長、社団法人日本マネジメントスクール会長、多摩大学名誉学長、宮城大学初代学長、日本総合研究所会長、グロービス経営大学院大学理事、全国経営者団体連合会会長、事業構想大学院大学初代学長などを務めた。

優れた個性、理念、目標、戦略のない小企業が、大企業に躍進することはない。


企業は限りなく個性的であれ。


単なる夢ではダメだ。願望を成就するためには、夢を「志」と呼ぶ強い決意にし、それを常時自分自身に言い聞かせるだけでなく、機会あるごとに他人にも堂々と述べるべきだ。


悔いなく自分に正直に生きれば、100%以上の力が発揮できるし、強い味方が現れる。これこそが、大成功につながる行動パターンだ。


場の空気を読んでばかりいると、自分を失い、悪運の連鎖にはまり込む。


自分が誤っていれば他人の忠言を聞き入れるべきだが、そうでなければ人の言うことなど聞く必要はない。


運が悪い人は、往々にして他人の言うことを是として、本来の自分を殺して生きている。


志とは、壮大で、かつ感動を伴うことを、事前にやり切ると心に誓うことから始まる。


上司は命令を部下に与えるけれども、その与え方が大事だと思う。方針を示し、それをやるためには自分はこう思うが、君たちはどう思うかと問いかける。そうすれば部下は育つ。


私がお会いしてきた経営者の大部分は、自分の失敗を楽しそうにしゃべってくださいました。だから私はよく学生たちに言うんです。「自分の失敗を楽しくしゃべれるような大人になれ」と。


学校の先生というのは「成功の反対は失敗」と教えるでしょうが、そうではない。成功の反対は、「何も目指さないこと」なんです。


下手に知識があると、理論に対する信仰のようなものができると同時に、自分のプライドまで出てくる。すると、失敗から学ぶことが少なくなります。一方、妙な知識のない人は、「なぜ失敗したんだろうか?」と、自分らしい成功の方法を考えるのです。


子どものころから、なるべく失敗しないような生きざまをしていると、最後にとんでもない失敗をして終わってしまいます。やはり物事というのは、いろいろな経験をしながら、だんだんベテランの域に達していくものです。


ちょっと失敗したぐらいでクビを切っていたら誰も育ちませんし、一度も失敗したことのない人間を幹部にできるはずがない。


企業であろうと役所であろうと、およそ社会生活に影響を与える組織なら、そのリーダーの地位にある人々にまず求められるものは、構成員すべてに各自の業務に誇りと責任を感じるような理念を抱かせることです。


はっきりとモノを言い、こうだと思ったことはとことん実践する。現在85歳の私は、常に自分流を貫いてきました。気がついたら、自分なりの大学改革と、多摩大学や県立宮城大学など3つの新しい大学創設に携わりました。


はっきりとモノを言い、こうだと思ったことはとことん実践する。現在85歳の私は、常に自分流を貫いてきました。気がついたら、自分なりの大学改革と、多摩大学や県立宮城大学など3つの新しい大学創設に携わりました。


1960年から62年までMIT(米国マサチューセッツ工科大学)で研究生活を送れたことが、その後の自分に大きな影響を与えました。収入の65%を公的機関や企業からの委託研究費が占めるMITは、一流の研究ができるか、一流の教育ができなければ、大学教授としてのポストにとどまれない、厳しい環境であることを知ったからです。当時日本の大学に疑問を抱いていた私は「これぞ大学だ」と確信したのです。


米国から帰国後、立教大学に国内初の観光学科を創設して初代の学科長に就任しました。「閑古烏が鳴くだろう」と揶揄されましたが、実際には17学科中断トツの約21倍の競争倍率。立教の看板学科(のちに学部に昇格)になりました。


大事なことは、100人の知り合いを持つより、1人の友達を持つほうが、長い人生では遥かに価値があるということだ。もし君の周囲が敵だらけであっても、心強い賛同者が1人いればいい。恐れることなんかまったくないと思うべきだ。


発言するときに考えなければならないのは、「賛同者はいるか」ということだ。判断の分かれる事柄について、一方の意見を堂々と表明したとする。一同を見渡すと、みんなが批判的な顔をしている。「これは敵ばかりか……」と覚悟していると、面白いことに、あとになって「よくいってくれた」と共感してくれる人が出てくるものだ。価値観を同じくする、いわば「真の友」の出現だ。ここでもし共感する人が誰もいなければ、自分のほうが間違っていた可能性もあるのだから、そのときは反省し、仮に事実誤認や認識不足があれば謝るだけだ。


若いころから「お利口さん」で通して、いいたいこともいわずにいたらどうなるか。「おれはずっと我慢してきたのに、あいつは生意気だ」と、若手の足を引っ張るような見苦しい上司になるだろう。


会社でなにか不合理や不条理を感じることがあったとしよう。ところが3回目までは黙っていて、4回目になって突然、強い調子で意見を述べたらどうなるか。たぶん反発を食らうだけだ。だから、おかしいと感じたら、すぐに発言したほうがいい。最初はびっくりされるかもしれないが、君の評価は、その時点で「変わった奴」となる。するとそれ以後は、「変わった奴」として扱ってもらえるのだ。こうして精神の自由を確保すれば、ストレスはたまらないし、愚痴や陰口など出てくるはずもない。


僕は若いころから、思ったことは腹蔵なくぶちまけるたちだ。だから、若いころはさんざん陰口をいわれたし、いろいろ損をしたこともある。しかし、その場で発散してしまうから余計なストレスは感じなかった。いまとなっては、つくづく得な性分だと思っている。


僕は「愚痴を言うな、その場で堂々と話せ」という父の教えに納得し、大学の世界へ入ってからも、異論を述べるときは「先手、先手」でやることにした。だから「生意気な奴だ」と相手を怒らせることもあったが、そのうちに「生意気だが面白い」という評価を得て、次々と学内外の新しいプロジェクトに携わることができた。いまでも就職を控えた学生には必ず、「入社したら、最初から『変わった奴』と思われたほうがいい」とアドバイスをしている。


航空技術者の父から学んだのは「子ども相手でも、合理的で納得できる教え方、叱り方をせよ」ということだ。技術の世界では、相手が先輩であろうと、間違っていたらそれを指摘し、検証しつづけなければプロジェクトの成功はおぼつかない。つまり、きわめて合理的だ。「愚痴をいうな、その場で堂々と話せ」という父の教えも、精神論ではなく、そうしたほうが問題の解決が早いからだ。


僕はもちろん日本が大好きだが、この国では、いつまで経っても不合理な慣行がなくならないことだけは困ったものだ。たとえば、会議の席で誰かの批判めいたことをいうとする。あなたが年長者ならいいのだが、年が若いとか新参者であれば「生意気だ」と決めつけられ、陰口を叩かれ、足を引っ張られる。つまり大方の参加者にとっては、「何をいったか」ではなく「誰がいったか」が重要なのだ。本来、発言で大事なのは「理はどちらにあるか」。反発するなら、発言の内容に対してするべきだ。


会社にとって頼もしい人間とは、自分の意見を持っている人間のはずです。若造は発言するなと言うなら出席させなければいい。出席したからには同じ発言権がある。けれども、いまだに日本では、上司が最初にしゃべるとその線に沿った発言しか許されないような会議が多いようです。


僕は若い頃、よく「生意気だ」と言われた。会議でも若手は末席に着いて、なるべく発言を控えるというしきたりが我慢ならなくて、いつも積極的に発言しましたから、敵をたくさん作りましたよ。


日本社会には不合理なことはいっぱいある。ところが、生命に関わるようなことでないかぎり、国民はなかなか大きな声を挙げない。だから事態は変わらない。


会社で認められなければ、米国なら転職します。勤め人で、最初に入った会社に40年もいるほうが変わっているわけだ。別の会社に行けば才能を発揮できる者が才能を認めない会社にい続けるというのは、社会全体で見ても大きな損失ですよ。


多くの会社は、そもそも自由な発言をさせない。物言わざるのが徳、というのが日本の会議でいまだに支配的なのは困ったものですよ。本当に優れたリーダーには、発言しにくい立場にいる者の意見を汲み上げる能力が必要だと思う。そういう能力を身につけないまま、年功で上司になった人が多いのが問題です。


アメリカでピーター・ドラッカーと一緒に山歩きをしていたとき、彼が疲れたと言うのでひと休みしていると、彼は私の前にしゃがんで小枝で地面に「○」と、その真ん中に点を描き、「これは何だと思う」と聞いてきました。分かるはずがないので、私が笑いながら首を振ると、彼は内側にもう一度○を描きながら、「これは会社だ」と、そしてその中心を突き刺して、「これが経営者なんだ」と叫ぶように言い、そして続けました。「山の上はとても景色がいい。したがって、下界がよく見えるように思うけれど、下界の実情は実はよく見えていないのだ。組織図も山型をしているだろう? あれは、経営者に危険な幻想を与える。経営者は、組織図の頂点ではなく、厚い壁の中に閉じ込められているという自戒の気持ちを忘れてはいけない」。


大学で学生たちを教えるようになってからも、経営「学」といった学問には興味がありませんでしたから、新聞や雑誌などでユニークな企業やその活動のことを知ると、その新鮮な事例をもとに「経営」というものを、実態に即して理解させるように努力しました。


やはり人間は叱るだけではダメで、褒めることもしないといけません。


人間関係が持つ力というものは、アメリカの産業界でも重視されてきたようです。MBAを取ってコンサルタント会社に勤める二人のアメリカ人が書いた『In Search of Excellence(邦題『エクセレント・カンパニー』)』では、アメリカで50年以上好業績をあげている会社に共通する8つの要件すべてが、ビジネススクールでほとんど重視してこなかった「人間的要件」であると指摘しています。


松下(幸之助)さんが何度も危機を打開できたのは、その指導力もさることながら、日ごろから周囲の人たちとの結束が固かったからだと信じています。


本田(宗一郎)さんの次の社長だった河島喜好君は私の親友で、ホンダが初めて採用した大卒社員でした。初の大卒ならと、本社に置いて大事にされそうなものですが、河島君は最初から工場で働かされたそうです。本田さん自身も本社におられることはまれで、私も最初の取材は、「工場でなら会いましょう」と言われました。それで工場の事務所を訪ねたら、社員の方が「親父はここでなく現場です」と……。だから、本田さんは、河島君を工場現場の自分のかたわらに置いて、ものすごく厳しく指導したはずです。河島君によると、ときにハンマーが飛んでくることもあったそうですが(笑)、「一度も本田さんを恨んだことはない。むしろ自分が情けないと思った」と言うんです。


出世する人の正念場の行動パターンは、どんな場合も自らが正しいと信じた意見を表明し、それが誤りだった場合は、直ちにハッキリ謝り、進んで責任を取ること。


僕が推察する限り、日本の大学の世界の慣習も社会的雰囲気も一般に、産業界に比べれば遥かに不条理かつ陰湿に思われる。そのため僕はこれまで、とくに若い頃には、どれほど不愉快な目に遭い、不条理な扱いを受けたものか。


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