酒井貞彦の名言 一覧

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酒井貞彦のプロフィール

酒井貞彦、さかい・さだひこ。フィッシング、アウトドア関連企業ティムコの創業者。電機メーカー勤務ののち、部下2名とともにティムコを創業。フィッシング関連商品を軸としたビジネス展開を行い、同社をジャスダックへ上場させた。社名の由来は“Tokyo Import Export & Manufacturing Company”の略称から。

実際に事業を始めてみると、誰も手掛けていないのは当然だと思い知らされました。当時、ルアーやフライフィッシングの愛好家は確認できているだけで約400人。市場規模は400人プラスアルファしかない。まずはルアーやフライの存在を知ってもらうことから始めなければなりません。


会社が小さいので、仕事は何でもやりました。自分で仕入れて、売って、運んで、代金を回収する。自家用車に商品を積んで、あちこち回っていました。その後、社員は10人程度に増えましたが、売上高が10億円を突破するまでに18年かかりました。80年代後半になるとルアー・フライフィッシング市場は急拡大。自社企画のアウトドア用品「フォックスフライヤー」も順調に成長し、96年には株式公開を実現しました。


独立前に私が勤めていたのはある電機メーカーです。輸出業務に携わり、納入先のバイヤーともいろいろと付き合いがありました。そうした外国人バイヤーと話しているときに愕然としたのが、休日の過ごし方の違いです。彼らは実に多彩な趣味を持ち、生活を楽しんでいる。日本人の所得水準も急速に上がっていたので、いずれ欧米のようなライフスタイルへ移行していくことは自明の理でした。「レジャー関連産業は有望だ」と会社を設立することにしました。


私が社長の座を創業メンバーの一人に譲ったのは、経営陣の若返りが主目的です。背景には私なりの信念がありました。それは「格好いいうちに引き継ぐ」です。仕事をこなせる体力がまだ十分にあり、ものごとを的確に判断する能力もあるうちに、自分のほうから一歩下がる。経営者は自分がみじめになっては戦うことができません。それは、政治家やスポーツ選手でも同じことだと思います。


株式公開前には、往々にして株主の整理が必要になると聞きます。ところが、当社の場合、もとより株主は3人しかいません。余計な心配は不要でした。一般に、二人で支え合う二人三脚は、一人が倒れたら崩壊する。三人で支えるトロイカ(ロシアの三頭立ての馬車)なら、一人が崩れそうになっても、他の二人が手助けできる。我々の場合、トロイカ体制が非常にうまく機能したようです。


レジャー関連産業と一口に言っても間口は広い。具体的に何を手掛けるかは、会社設立時では決まっていませんでした。サーフィン、キャンプ用品、スノーモービルなど、様々な分野を検討した結果、浮かんできたのがルアーフィッシングとフライフィッシングです。日本でも生餌を使った釣りは盛んでしたが、ルアーやフライは未知の世界。しかし、「誰もが手掛けていない市場のほうが発展性がある」という点で(創業時のメンバー)3人の意見が一致し、すぐに用具の輸入・販売に乗り出しました。


妻と二人の幼子を抱えながら、勤めていた会社を辞め、独立するという無謀な決断。もう一度、同じ決断ができるかと言われれば、はなはだ疑問です。ところが、あの時期にはできたんです。高度成長という時代の背景もあったし、私もまだ30代前半と若かった。そして、私には二人の仲間がいた。


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