遠藤優の名言 一覧

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遠藤優のプロフィール

遠藤優、えんどう・まさる。日本の経営者。電子関連製品、セラミックス製品メーカーの東証一部上場企業イビデンの会長。岐阜出身。慶應義塾大学法学部卒業後、揖斐川電気工業(のちのイビデン)に入社。取締役、常務、専務、副社長を経て社長・会長。一貫して営業畑を歩み、90年代のバブル崩壊を経営改革で乗り切った経営者。

社長時代はいつも刃の上に乗っているような緊張感がありました。でも、そのくらいの緊張感がなければ、経営に携わるべきではないのでしょう。社員は経営者の姿勢をよく見ています。社長が先頭に立ち、全員が同じ考えで事に当たれば、会社は変われると実感しました。その分、社長にはストレスがたまりますが、社員が頑張って少しでも会社が伸びれば、ストレスは癒されるものです。


「家貧しくして 孝子 顕(あらわ)る」とはよく言ったものです。病気になると、頑張ろうとする力が体内から湧いてくるように、人は追い詰められるといろいろ知恵が出てきます。それまで培ってきた電気関係の技術に生き残りをかけて、半導体のパッケージを生産し、それが米インテルの目に留まって、供給契約を結びました。2000年からは仏プジョーにディーゼルエンジンの黒煙除去フィルターを供給しています。おかげで、何とか電子工業で飯が食えるようになった次第です。


我々は決して大きな会社ではありません。身の程を知っているからこそ、常に危機感を持っています。私はよく「技術の自転車」と言いますが、技術開発に終点はありません。立ち止まれば、転ぶだけです。「これだけは世の中で通用する」という独自技術を常に磨いて、得意分野に特化する。それが、世の中の流れに合わせて変身してきた我々の経営理念なんです。


修羅場の連続でした。私が入社したころは電力会社の雰囲気で、のんびりした社風でした。田舎とはいえ名門企業と言われ、倒産することなどありえないと思っていました。それが経営破たんと隣り合わせの歩みになったわけですから、社長時代は、いつも刃の上に乗っているような緊張感がありました。


よく危機感と言いますが、言葉だけの話ではありません。何せ、目の前で電炉の火が消えていくわけですから。社員もその光景を見ている。売上はなくなるし、会社はこれからどうなるのだろうと私自身、不安で仕方ありませんでした。しかし、いま思うと、そうしたことが次のイビデンを作るきっかけになりました。瀬戸際に立たされて、社員も私もこれは頑張らにゃいかんと発奮したのです。
【覚書き|主力事業の抜本的転換で電気炉を廃炉したときを振り返っての発言】


イビデンの歴史は変転の歴史です。事業の柱を次々と変えてきたのは、その都度、会社存亡の危機に直面して、変わらざるを得なかったからなんです。当社はもともと、岐阜・揖斐(いび)川の急流を生かした水力発電会社・揖斐川電力として発足しました。その後、太平洋戦争時に電力が国家管理となったことから電力事業の継続が難しくなり、塩化ビニール原料となるカーバイドや、シリコンなどを電力を利用して生産する事業に転進しました。戦後、石油化学工業が発達し、我々はコストの上で太刀打ちできなくなり、やむなく電子工業に転換したのが今日の姿です。


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