遠山元一の名言 一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加

遠山元一のプロフィール

遠山元一、とおやま・げんいち。日興証券創業者。埼玉県出身。旧制中学生時代、兜町の株屋半田庸太郎商店に丁稚に入る。その後、市村金次郎商店を経て独立。日興証券の前身である川島屋商店を創業。その後、商号を川島屋証券に変えたのち旧日興証券を吸収合併し社長・会長を務めた。また東京証券取引所の理事会議長なども務め証券業界の振興に務めた経営者

私は20歳のころから、証券業者に対する社会の批判に対し、何としても誤解を解きたいと思ったが、虫眼鏡で探してもわからぬような市井の一小僧が、どんなに切歯やく腕したところで「ごまめの歯ぎしり」にすぎなかった。しかし、証券業者の地位信用も、今日では世間一般の水準に近づいてきた。証券界の一切の公職からも退いたが、一証券業者として我々の地位向上のため余生を捧げるつもりである。


日本の株式市場は経済界の発展とともに発展し、産業資金調達の使命はますます重い。しかし、証券業者はとかく株屋として軽蔑されたものである。こうした世評の全部が間違っていたわけでもない。我々にも数々の欠点があり、これについては反省を忘れず、改善もし進歩もしてきた。それでも世間の見方は先入観が主となっていた。これは残念無念のことだ。


兜町は栄枯盛衰の最も激しい町である。私の旧主家の半田庸太郎商店も、暴落の打撃を受けて、大正3年の春、廃業のやむなきに至った。もう3か月頑張っていたら、欧州大戦に際会して、好機をつかむことができたかもしれない。それにしても、人間というものは、こんなに脆く参ってしまうものであろうか。半田さんの寂しい晩年を見て、私は幾多の教訓を得た。


川島屋商店(のちの日興証券)は、いろんな都合のために、個人企業として出発したが、私は私なりに新時代の証券業のあり方については理想と抱負を持っており、株式会社として近代的な企業に持っていこうと、最初から考えていた。そこで、創業1年半にして、早くも株式会社川島屋商店に改組した。


ある日、私が店先にいると、鈴久(相場師の鈴木久五郎)さんが黒の紋付に羽織袴で、指には何カラットという大きなダイヤの指輪をはめてやってきた。そのとき私は「鈴久という人は偉い人だ。この人も俺も同じ埼玉県の生まれだが、ずいぶん金を儲けた人なんだなぁ」と子供心に感心しながら見上げたものである。それから一週間で株の暴落とともに鈴久さんが転落の運命にあったとは、夢にも思わなかった。
【覚書き|株屋半田庸太郎商店の小僧になりたての当時を振り返っての発言】


兜町に入って50年以上になる。過去を振り返ってみると、朝から晩まで剣の刃渡りをしているようなものだった。
【覚書き:関東大震災、昭和恐慌、太平洋戦争後の不況などを証券業界で経験してきたことに対する回想】


人名ランダムピックアップ


経営・ビジネス・投資・仕事・お金・経済的な分野で成功を収めた人たちの名言を収録しています。

ページの先頭へ