進藤晶弘の名言 一覧

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進藤晶弘のプロフィール

進藤晶弘、しんどう・まさひろ。日本の経営者。半導体メーカー「メガチップス」創業者。愛媛県出身。愛媛大学工学部卒業後、三菱電機を経て、リコーに入社。電子デバイス事業部副事業部長、リコー半導体研究所所長などを務めたのち、独立してメガチップスを創業。同社を大きく成長させた。

どんなに非常識だと見られても、自分の気持ちをとめることはできない。


できない理由を並べるのではなく、できる方法を考える。このあたりの発想が、起業家であるかないかの違いかもしれません。


心をこめてやれば、ごく小さな仕事でも光り輝きます。


人間、「不可能だ」と思うと、そこで思考が止まります。私はエンジニアたちに、「問題点ばかり探すのではなく、どうすればできるかを考えてほしい」と反論しました。


上から「これをやれ」「こうしろ」と強制的に与えられる仕事には、心がこもらないものです。心がこもらなければ、どんな優秀な人でもいい仕事はできません。


会社を興せばだれでも起業家なのでしょうか。私はそうではないと思っています。起業家とは、会社ではなく、事業を興す人。自分がやりたいことを事業として興す人のことです。


部下に力を発揮してもらうのは難しいことではありません。やりたがっている人にやってもらう。ただそれだけです。


起業家にとって会社をつくることばかりが大事なのではありません。一人の人間として「何をやりたいか」が一番大切なのです。


メガチップスの経営原則の中には、「自主独立で発展する」という一文があります。自分で立つという起業家魂。これこそが、メガチップスの成長を支えた活力だと思っています。


基本はあっても正解はないのがベンチャー。メガチップスの創業期には、ピンチが我々に推進力を与えてくれました。


自分がやりたいこと、やるべきことを明確にし、一歩一歩着実に前進していけば、多少の計算違いがあってピンチに陥っても、とるべき進路がなぜか見えてくるものです。


49歳と11カ月。その年齢になるまで、私はサラリーマン人生をまっとうするものだと信じていました。まして起業するなどという考えは、頭の片隅にもありませんでした。「それなら、なぜ上場企業を2つもつくることができたのか」という質問を受けることがありますが、答えは決まっています。自分がやりたいことを追求していったら、起業する以外になかった、ということです。


私は三菱電機に所属し、1965年頃から半導体ビジネスに携わってきました。日本の半導体メーカーは製造部門に経営資源を投入し「設備をベースとした競争」をしようとしていました。一方、米国は「人材をベースとした競争」に力点を置いてきました。半導体のアーキテクチャ(設計思想)やアルゴリズム(論理構成)が、勝敗の分かれ目と考えたのです。実際に半導体を製造する下流の部分はあまり重視せず、多くの場合、海外のメーカーが量産を請け負っていました。韓国や台湾のメーカーが日本と同じ生産設備を使うようになれば、量産品を日本で生産する意味がなくなります。


工場はもとより、場合によっては販売チャンネルを持つ必要もありません。アウトソーシングでできることはすべきです。最も大事なのは、市場にエントリーすることですから。土俵に上がらなければ、相撲も取れないということです。


「生産性を競う時代は終わった。これからは創造的な技術を競う時代である」と思ったんです。実際、米国では工場なんか持たなくても立派に会社を立ち上げている。国際的にもアライアンス(業務提携)を組み、お互いに補完しあいながら、一刻も早く市場にエントリーすることこそが、ベンチャー企業には大事ではないかと考えたんですね。


ベンチャー企業は大企業と違ってパッと集まって、すぐに意思決定ができます。これは強みなんです。つまり、無駄な人を経由しない。それから、いくらスピードだと言っても、独断に陥ってはいけません。みんなで必ず議論して、ものごとを決めることです。


ハイテク分野の何よりの武器はスピードです。大企業は人を育て、開発をし、生産して、販売やサービスをするというプロセスをすべて自分のところでやります。そうすると、たいへんなお金がかかる。事実、工場を持ったり、販売チャンネルをもったりすると、大量の人を抱えて大量の投資をすることになる。これは大変な負担です。


私は現在、会社の事業に関してはいっさい口を出さないことにしています。名刺には「会長」とありますが、役員ではありません。これからは、メガチップスのベンチャー文化を、一人ひとりの社員に伝えていくことに力を注ぎたい。それが創業者としての役目だと思っています。


私は出張のときも、一般社員と同じ事務手続きをとります。秘書もいないし、コピーも自分でやります。なぜかというと、社員は全員スペシャリストであるべきだと思っているからです。だから、お茶くみやコピー係といった補助的な業務をする社員は、メガチップスにはいません。


メガチップスは2013年、川崎マイクロエレクトロニクスと合併しました。このとき、メガチップスの経営理念を川崎マイクロの社員に押しつけることはしませんでした。メガチップスと川崎マイクロからそれぞれ30代の若手社員を4人ずつ選び、「経営コンセプト創造委員会」を結成し、経営理念をすべて見直すことにしたのです。驚いたのは、川崎マイクロの社員。「経営理念を一緒になってつくるなんて」と感動していました。そもそもメガチップスでは、「買収」とか「M&A」という言葉を使いません。二つの会社の「融合」、そして「新生メガチップス」が生まれたということです。一緒に理念を考えるのは当然のことです。


職位と人格とのあいだに関係はありません。世の中の人はすぐに「社長=偉い人」と判断しますが、それはおかしい。新人から社長まで、みんな人間として平等。重要なのは職位よりも、各人がやりたいことをやること。そうすれば、世の中に新しいものを生み出すことができるからです。


メガチップスでは面白いことに、取締役が自分から志願して一般社員に戻ることがあります。降格処分ではありません。その人がやりたいことをやるために、そうする必要があるからです。


私は常々こう考えています。その人が最もやりたがっていることをやってもらう。それが、「自分の食いぶちは、自分で稼ぐ」という自己責任の精神を育てる。すると、一人ひとりの社員が、自分の責任と努力で利益を生み出そうという意識を持つようになる。つまり、自分が稼げなければ給料は出ないという緊張感で仕事をする。これが社員の起業家魂を育て、やがて「ベンチャー文化」として定着していくのです。


私は1日に3~4回、社内を巡回します。何をするのかというと、社員が仕事をしている横に行き、デスクの上にどんな本があるのか、さっと見渡すのです。すると、その社員の興味が分かる。そして、「どうやらあなたはこっちの仕事に興味がありそうだね。今の仕事と、本当はどっちをやりたい?」と聞くのです。すると、「実は、こっちをやりたいんです」などと答えてくれる。そして、その社員の上司に、「もしこういう仕事をする機会があれば、チャンスを与えてやってほしい」と伝えたりします。こういう私の社内巡回を、社員は「徘徊」と呼ぶんですよ(笑)。


バブルが弾けて受注の伸びに陰りが見え始めたとき、メガチップスの進むべき方向を決める岐路に立たされました。私自身は大企業の下請けになるよりも自主独立路線を歩むべきだと思っていました。しかし、人生の重みはみんな平等であるとの考えから、今後の進むべき道をみんなで決めることにしたのです。判断のよりどころを得るため、事前に無記名で会社の価値観すなわち「経営理念」「行動指針」「経営原則」に関して意見を提出してもらい、そして20数人の社員と兵庫県の有馬温泉で合宿、真剣な議論を行いました。大議論の末に「経営原則」を決し、下請けの道よりも、自主独立の道を歩むとの結論に達しました。


メガチップスは当初から、生産工場を持たない研究開発に特化した「ファブレスメーカー」という形態をとっていました。いまでこそ、ファブレスメーカーは当たり前になっていますが、私が起業したころは、まだまだ大企業による標準LSIの大量生産が花形でした。「生産工場を持たない会社なんて100パーセント失敗する」と言われたものです。「気が狂っている」と言われたこともあります。


気がつけば、五十歳目前の年齢。自分の人生を考えました。「このまま定年まで勤めたとして、あと10年。この10年を、サラリーマンとしてくすぶり続けて終わるか、失敗するかもしれないけれど、新しいことに挑戦すべきか」。悩んだ末、挑戦することにしました。辞表を書いて、一人で会社を飛び出したのですが、うれしいことに数名の部下が「進藤さんと一緒にやりたい」とついてきてくれました。この仲間たちをなんとか食べさせなければいけない。その一念で、1990年、メガチップスを創業したのです。


リコーで顧客専用システムLSIの事業を始めたとき、当初は実績がないので注文が来ない。転機が訪れたのは、任天堂との出合いです。あるとき、顧客專用システムLSIを売り込みに訪問したところ、応対してくれた開発責任者が、「今、こういうものを考えている」と、子供専用ゲーム機のコンセプトを見せてくれました。普通だったら「なんだ、子供用のゲーム機か」と思うだけでしょうが、私には「すごい」と感じるところがありました。これまでにないゲーム機の誕生を予感したからです。
【覚え書き|任天堂の「ファミコン」の開発に携わった当時を振り返っての発言】


カネ儲けをするのが起業家だという観念が定着しているから、「起業家はうさんくさい」というイメージを払拭できない。そのとらえ方を改めないかぎり、日本で真の起業家なんて育つはずがありません。


自分がやりたいことをやって、ほかにないものをひとつでも開発し、一人でも二人でも雇用を生み出す。すごく価値のあることじゃないですか。ところが世間は、大金を生み出す人だけを「成功者」と言う。では、失敗した人は意義のある仕事をしなかったのかというと、そうではない。事業を興して一人でも雇用すれば、サラリーマンで一生を終える人より、よっぽど社会に貢献していると思いませんか。


起業家というのは、たんに事業を興すだけの人ではありません。その特徴は、やりたいことをやり抜くことです。だから、会社を大きくすることには、あまり興味がない。やりたいことを達成できればそれでいいのです。


私は、「起業家」「事業家」「経営者」はそれぞれ違う才能を持っている人だと思います。事業を興す人が起業家で、事業家は既存の事業を含め企業や事業規模の拡大に才能を発揮し、経営者は既存の組織・事業の中で効率的に運営する才能に長け、利益最大化に手腕を発揮する人です。ところが世間では、この3つを区別しないでひとくくりにしている。それこそが、日本にベンチャー魂を根づかせないひとつの原因になっているのではないでしょうか。


私は実のところ、自分の勤務していた会社でやりたいことを実現したかった。新たに会社を設立するよりずっとラクですから。でも、私がやりたくてやりたくて、燃えるような思いで主張し続けたことを、会社は受け入れてくれませんでした。「既存の組織で実現できないのなら、自分で会社をつくってやるしかない」。そう思ってメガチップスを立ちあげたのです。つまり、やりたいことをやるための手段が会社設立だった。それだけのことです。


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