辻範明の名言 一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加

辻範明のプロフィール

辻範明、つじ・のりあき。日本の経営者。「長谷工コーポレーション」社長。岡山県出身。関西大学法学部卒業後、長谷川工務店(のちの長谷工コーポレーション)に入社。主に営業畑を歩む。取締役、専務執行役員、副社長、長谷工アネシス社長などを経て長谷工コーポレーション社長に就任。

真の意味でお客さまに愛されるために、私たちはおもてなしの心を持たないといけない。


現場にいる社員の声に耳を傾け、彼らが抱える仕事上の問題に向き合えば、結果的にお客さまに対応することができる。


入社して、良い時も悪い時も見てきましたから、足元をしっかり見たい。


何が幸いで、何が災いなのか本当にわからないものだ。企業も人も、良いときもあれば、悪いときもある。私もそういった経験をたくさんしました。


どんなに逆境に立たされたとしても、起きたことは仕方ないと考え、次のステップを考える。反省ばかりしていても何も生まれないのではない。


良いことも悪いことも全てを受け入れる、これが人生。


守りの姿勢では、じり貧になるだけ。攻めないところに感激は生まれません。


「困ったら言いに来い」と言っても、話しに来る部下はいません。自分から聞きに行かないといけません。


コンスタントに仕事があるということも協力会社が当社から離れなかった理由。


一度死んだ会社が生まれ変わり、今はよちよち歩きを始めたところ。今後3年は自己資本を積み上げていきます。その後は将来を見据えて勝負をかけなければいけません。守りだけでは勝てません。


朝礼ではトップや役員の話よりは、介護現場の主任や若手社員など第一線で働く社員の声を届けるようにしています。臨場感があるから面白いですよ。それがきっかけになり、担当外の案件を見つけ、ビジネスにつなげる機会は今後増えると思います。


上からの号令だけではなく、現場で生じる悩みを汲むことも必要。直接意見を聞けたことで、社員への優しさをさらに育むこともできました。


赤字に陥った時、僕は部長職で責任の一端はあると感じていました。だからこそ、定年を迎えるまでに会社の負の遺産を清算して普通の会社にしたいという強い意志を持っていました。やっとここまで来られました。


社員から「苦しい時期によく株を買いましたよね」と言われました。それは、会社をつぶすまいという気持ちが強かったからです。
【覚え書き|倒産寸前だったときに自社株を自分で購入したことについて】


会社が経営支援を受けることになった1990年代、当時営業の責任者だった私が仕事を取ってこないと会社は潰れてしまう、まさに崖っぷちに立たされました。でもその苦しさが逆に社員の気持ちを一つにまとめました。


逆境にあっても「会社が好きだ」「会社を残したい」という強い気持ちがあったからこそ、「修羅場」「土壇場」「正念場」という三つの「場」を乗り切ることができた。


今後はサービス関連事業を伸ばしていく。分譲マンションには、買い替え、仲介、リフォームの需要があり、今後は介護の必要性も出てくる。お客様の人生全体の住まいに対するサポートができるような会社にしたい。


バブルが崩壊したとき、メインバンクの大和銀行(のちのりそな銀行)は厳しい状態になったが、それでも大応援してくれた。手形割引を工事業者に出すとき、割引してくれたのは大和だけだった。当社は不動産デベロッパー的な動きをしているから資金が要る。その資金を出してくれなかったら、もうそこでアウトだ。これまで大衆路線で普通の人が買えるマンションを55万戸以上つくってきた。社会的な存在価値がなかったら、応援してくれなかっただろう。


学生時代はバレーボールでセッターを務め、自分や相手チームの様子、試合の雰囲気など全体を見る経験を積みました。一人のメンバー交代が、チームの流れを変える場面も何度も目にしました。会社組織にも流れを変える人材が必要で、自分もそうした存在になろうと心がけてきました。


最近は仕事上、ドライな関係が多くなりましたが、こんな時こそウェットさが必要です。


社長就任後、全社朝礼の回数を増やし、課長クラスの社員数名に現在の自分の仕事内容などを話す機会を設けました。若手や中堅社員に、自分と同世代のグループ・社員が現在どのような仕事をしているか、興味を持って聞いてもらうためです。


人名ランダムピックアップ


経営・ビジネス・投資・仕事・お金・経済的な分野で成功を収めた人たちの名言を収録しています。

ページの先頭へ