赤井英和の名言 一覧

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赤井英和のプロフィール

赤井英和、あかい・ひでかず。日本のプロボクサー、俳優、タレント。大阪出身。浪速高等学校ボクシング部で活躍し、3年時にライトウェルター級でインターハイ、アジアジュニアアマチュアボクシング選手権優勝。近畿大学商経学部に進み、プロボクサーへの道を目指す。ジュニアウェルター級全日本新人王を獲得、当時の日本記録であるデビュー以来12試合連続ノックアウト勝ちなどの活躍を見せ「浪速のロッキー」の異名をとった。引退後は、ボクシングコーチを経て、映画『どついたるねん』に主演し俳優デビュー。その後、テレビのバラエティ番組やドラマで活躍した。

私の30代は夢に向かって走りまくった10年でした。みなさんも前だけを見て突き進んでほしい。ときには、水たまりに足を突っ込んで泥水を浴びたり、穴に落ちることもあるかもしれません。それでもまた立ちあがって走りだせるのが、30代ですから。


夢なんてそう実現しないよといわれるかもしれませんが、世の中の大半のことは、誰かが夢見て諦めなかったから実現したんです。飛行機にしても「空を飛びたい」という思いを持ち続けたから、今日存在するわけです。そういう意味では、「ものごとは、夢でしか叶わない」とも言えると思うんです。


「夢は持ち続けてさえいれば、叶うもんや」。今回、還暦目前でゴルフのプロテストに合格された古市忠夫さんの役を演じさせていただき、そのことを改めて教わった気がします。


「俳優の仕事を続けていこう」と思ったのは、映画完成後の初めての試写会で、お客さんが笑ったり、泣いたりしているのを見たときです。背中に氷が入ったようにゾクゾクすると同時に、「もっとこの仕事がしたい!」という思いが自然とわいてきたんです。とはいえ、すぐに仕事はできません。それから数年は、お金もなくて大変でした。でもそこで、そのときの思いを捨てなかったから、いまの自分があるんだと思うんです。
【覚書き|初主演映画『どついたるねん』出演した当時を振り返っての発言】


29歳のとき、映画『どついたるねん』に出演したことが、私の最大の転機です。現役引退から3年。当時の私は、母校のコーチとして充実した日々を送りながらも、どこか物足りない気持ちがあり、毎日酒ばかり呑んでいました。いま思えば、スポットライトを浴びたいという気持ちが残っていたんでしょうね。だから阪本順治監督から、「主役をやってくれないか」と言われたときは、「これや!」と思い、二つ返事でお受けしました。


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