豊田泰光の名言 一覧

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豊田泰光のプロフィール

豊田泰光、とよだ・やすみつ。日本のプロ野球選手(内野手)、野球評論家。茨城県水戸商業高校で甲子園に出場し、ベスト16入りしたのち、卒業と同時に西鉄ライオンズに入団。同チームをリーグ優勝、日本一へ導いた中心選手となった。二試合連続サヨナラホームランや通算1000試合出場などの記録を残し、日本シリーズMVPを始め数多くのタイトルを得た。引退後はテレビ、ラジオ、新聞などで野球解説を行い人気を博した。野球殿堂入りを果たし、同年に茨城県民栄誉賞も受けている。

日本人が変にアメリカナイズされちゃいけない。組織のリーダーは特に、スマートさの一方で、人を熱くさせる心意気を大切にすべきです。


最近、人に賭ける心意気みたいなものを感じる機会が減りました。働く方も、働かせる方もどこかマニュアル的で、ある一線を踏み越えようとしませんよね。そうなった原因の多くは、人間関係の希薄化にあると思います。思い切って部下に仕事を託すといっても、その部下のことを上司が良く理解していなければ、無理難題を押し付けるだけになりかねない。


いまどき部下を誘って飲みに繰り出す上司は、「時代遅れのオヤジ」と言われるのかもしれませんが、とにかく日ごろの付き合いを密にして情報を頭に入れておかないと、本当の勝負どころは見極められません。


私が仕えた指揮官では、やはり三原(脩)さんはすごい人でした。三原マジックと称された戦術はもちろん、人心掌握術も一流だったんです。私が一番感心したのは、二軍から上がってきた選手をすぐに公式戦で使う点です。私と一緒にプレーした選手に三宅(孝夫)というのがいるんですが、ある年、土壇場のチャンスで凡退して二軍行きを志願したんです。そしたら、次に戻ってきたとき、三原さんはこの男をまったく同じ場面で、いきなり代打に起用した。結果はダメでしたけど、本人は納得し、ベンチの我々はそれ以上に感動しました。


当時(三原脩監督時代)の西鉄はレギュラー陣が協力で、二軍の選手が入り込める余地はほとんどありませんでした。しかし、若い選手も腐ることなく練習していました。絶妙な人の使い方で、それほど組織を活性化させたことが三原さんの隠れた功績だったと思います。


無難な判断に流れる傾向は、職場の中だけでなく、組織全体に広がっているような気がします。この不況下で大企業は次々とスポーツから撤退していきました。聖域なきリストラの観点からすると正しいのかもしれない。でも、同じリストラが必要になった企業でも、日産自動車は野球部を潰しませんでした。ゴーン社長が試合を応援する社員の姿に感激し、存続を決めたからです。日本人の経営者より外国人の方が、我々の胸にぐっとくる心意気を持ち合わせているということになるのでしょうか。


チームの置かれた状況や、そのピッチャーの将来を考えたとき、140(球)でも150でも投げるべき場面が必ずあると思うんです。そういう「ここ一番の勝負どころ」は、一生に何べんも来るわけじゃない。だから、指揮官はそのとき「今日はお前一人でがんばれ」と言わなきゃいけません。


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