角川春樹の名言 一覧

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角川春樹のプロフィール

角川春樹、かどかわ・はるき。日本の経営者、映画監督、プロデューサー、俳人、冒険家。角川書店社長。富山県生まれ、東京育ち。國學院大學文学部卒業後、取次の栗田書店と創文社を経て角川書店に入社。編集局長などを経て、父の跡を継ぎ社長に就任。映画事業に参入し、出版と音楽・映像のメディアミックスの手法を確立。そのほか多方面で才能を発揮した。

人間の成長に必要なのは集中力と好奇心、そして継続である。そのためには、まず自分の仕事をとことん突き詰めることだ。その一方で、仕事だけにとらわれてしまってはいけない。私が冒険の旅に出たように、好奇心を満たす変化を起こすことが必要だ。そして、その変化があるからこそ、仕事に対して高い集中力を継続させることもできるのである。


社長時代、忙しくて睡眠時間はだいたい3時間ほどだったと思うが、私は仕事だけをしていたわけではない。ときには仕事を1カ月以上休んで、冒険の旅に出た。仲間数人と、伊豆の下田からチリまで、太平洋を船で渡ったこともある。途中で死にかけたこともたびたびだったが、自分を野生の状態に置くことで、生き返ったような充実感を味わえたのだ。


社長としての仕事しながら毎日の読書も欠かさなかった。一番忙しかった年でも、年間三百冊以上は読んでいた。睡眠時間はだいたい3時間ほどだったと思う。


映画に参入しても成功するはずがないという声もあったが、映画参入以前に『ある愛の詩』『いちご白書』など、洋画の原作本やノベライゼーションの編集を手がけ、それが軒並みベストセラーになった。その経験から、映画と音楽と出版が「三位一体」として噛み合えば、社会現象を起こせるという確信があったのである。そして、1976年に製作した『犬神家の一族』が大ヒットし、私の確信は証明される。その後、プロデュースから監督、そして役者として出演と、映画をとことん追究した。


映画参入当時は日本映画の冬の時代。洋画はともかく、邦画の上映では観客もまばら。成功するはずがない、という声も多々ありました。しかし、私は気にしなかった。もとより、時代に合わせてものをつくる気はない。自分の手で時代をつくりたかったからのだ。


父の死去に伴い、角川書店の社長に就任したのは私が33歳のときである。かつての角川書店は、印税が半年先でないと払えないような苦しい経営状態だった。私が20代に手がけた翻訳本がベストセラーになり、印税は支払えるようになったものの、伝統ある大手出版社にはまだ及びもつかない。売れっ子作家を多数抱えているライバルに勝つために私が選んだ方法が、「映画」だった。


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