藤原智美の名言 一覧

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藤原智美のプロフィール

藤原智美、ふじわら・ともみ。日本の男性小説家、エッセイスト。芥川賞受賞者。福岡県出身。明治大学政治経済学部政治学科卒。フリーランスのライターをしながら『王を撃て』で小説家デビュー。『運転士』で芥川龍之介賞受賞。主な小説に『Rリアリティ』『群体』『恋する犯罪』『メッセージボード』『モナの瞳』など。その他エッセイなどにも定評がある。

最近は、仕入れてきた情報をパソコンで管理する人もいますが、あまり感心しません。ファイルで整理すれば必要な時に取り出しやすいと考えがちですが、いったん目に見えないところに保存してしまうと、あの事例がこの文章で使えるという発想につながりにくくなります。できればメモ帳やノートを使って手書きし、ノートを開くたびに前に書きとめたメモが目に触れるような状況をつくっておくべきでしょう。


そもそも数字は客観的ではなく主観的なものです。一例をあげましょう。日韓、欧米5か国の18から24歳の若者を対象とした内閣府の調査で、「将来、老親をどんなことをしてでも養う」と答えたのは、欧米が51から66%だったのに対して、日本は最も低い28%でした。この数字だけ見ると、「日本の親子関係はドライだ」という結論が導かれるように思えます。ところが同じ調査で、現在親と暮らしている人は、日本が74%で二番目に高く、欧米は平均48%にすぎないという結果が出ています。同居率に注目すれば「子供が成人しても一緒に住むほど、日本の親子関係はべったりだ」という逆の解釈も可能になります。つまり同じ調査からの引用でも、どの数字に焦点を当てるかによって導かれる結論も大きく変わるのです。


表現力を高めるにはまず言葉を自分のものにする必要があります。私は若いころ、ある作家の作品を手書きで何度も書き写しました。文章が気に入っていたからですが、結果的にその作家の言葉が血となり肉となり、自分の文章にも違和感がなく使えるようになりました。


パソコンで打った文章を、そのまま関係者に配るのは間違いのもとです。できれば一度は印刷して、読み直したほうがいいでしょう。多くの場合、画面で見ているときには気づかなかった構成の歪みが発見できるものです。文章を客観的に見る仕掛けが必要です。


数字というのは客観的なものなので、文章に入れ込めば説得力が増す。そう考えてデータを並べるのは実は逆効果です。文章は、数字で飾り立てるほど説得力を失います。世の中には、数字の嫌いな読み手がいます。たんに数字が苦手だというケースばかりではありません。数字が嘘つきであることを経験的に知っていて、数字を並べたてた文章を見ると、一歩引いてしまうのです。


多くの人は文章を先に書きますが、ときにはいいタイトルに触発されて文章が思い浮かぶこともあります。タイトルと文章は、決してどちらが上という関係ではありません。文章を書き上げてからタイトルやキーワードを探すときは、自分の書いた文章からいったん離れるべきです。タイトルが思い浮かばないときに文章をもう一度読み直そうとする人もいますが、ますます箱の中に閉じこもってものを考えてしまうので逆効果です。あえて自分の文章を忘れることで、タイトルやキーワードの選び方が自由になります。


消防士が登場する小説を書くためにインタビューをするとします。そのとき、「なぜ消防士になろうと思ったのか」といった内面的な話は聞きません。そうではなく、消防服を着たときはどのような感じがするのか、ホースの重さはどうかといったディティールに徹底的にこだわります。事例やエピソードは、具体的に書くほどリアリティが出て、読み手に響くのです。


文章が抽象的でよくわからないといわれる人は、まず自分の考えの幹を育てることをすべきです。たとえば読書なら、やたらと乱読するのではなく、自分の読書の傾向にこだわって本を本を読む。そうすることで自分の個性が醸成され、主張のある抽象論を展開できるようになります。


主張のない人の文章は、新聞の文章によく似ています。新聞は社説以外、両論併記で書かれていることが少なくありません。たとえば「景気は今後回復する」と書いた一方で、「厳しい見方もある」と書き添えてバランスを取ります。新聞には両論併記の意義があるとしても、これを普通の文章でやってしまうと、何を言いたいのかがさっぱり見えなくなります。普段、新聞しか読まない人はとくに注意したほうがいいでしょう。


最初の一文に悩む人は、学校の作文のイメージを捨てて、まずは無秩序に書き始めてみることです。すると、頭の中だけで考えていたときには見えなかった思考の空白地帯が浮かび上がってきます。あとは薄い部分を埋めるようにして思考を完結させていけばいいのです。その過程で、最初の一文も見えてくるはずです。


1行目から書かなくてはいけないという強迫観念は、学校教育に起因しています。作文の授業では、400字の作文の課題に対して原稿用紙1枚しか渡さないケースがほとんどです。その結果、生徒はいきなり清書をする必要に迫られて、1行目が完成するまで2行目が書けなくなってしまいます。本来、文章は何度も推敲しながら書き上げるものです。その前提に立てば、たとえ書き出しが気に入らなくても、ひとまず先に進んであとから書き直せばいいと気楽に考えられるはずです。


表現力について考えるとき、まず表現力=ボキャブラリーの豊富さ、という誤った認識を改めるところから始めなくてはいけません。表現力が語彙に比例するなら、類語辞典を引きながら文章を引きながら文章を書けばいいはずです。しかし、類語辞典にできるのは機械的な言い換えだけです。借りてきた言葉でそのまま言い換えても、文章に込める思いを深めたり、自分の思考と文章のズレを修正したりするのは難しい。


必要なのは、あくまで主張の裏付けとなる数字だけであり、それに直接関係のない数字は省くべきです。数字やデータを使うなら、自分の主張に沿ったものをひとつかふたつに絞って見せた方がいいでしょう。


タイトルやキーワードを考えるとき、まず文章を書いてから、それを要約する言葉を探してはいないでしょうか。じつはそこに、いいタイトルやキーワードが浮かばない原因があります。言葉やフレーズが無限の宇宙に広がっているイメージを持ってください。その中から使いたい言葉だけを箱に集めて文章を書いても、広大な言葉の宇宙から見ると、その箱は小さな点のひとつにすぎません。にもかかわらず、箱の中からだけタイトルやキーワードを探そうとするのはもったいない。むしろ、箱の外に、読み手を引き付けるタイトルやキーワードは待っています。


つまらない事例やエピソードなら、無理をして引用しない方がいいと思います。せっかくオリジナリティのある本論であっても、陳腐な事例やエピソードが入ると、それにつられて陳腐化します。


フランスの批評家、ポール・ヴァレリーは読書は創造力を弱めるとさえ考えていたようです。私はこの主張を、乱読を続けると枝葉の情報ばかりに詳しくなり、自分の考えの幹ができないという意味に解釈しています。幹のない人は、たとえ具体論を並べたところで、結局は枝葉の羅列になって読み手を混乱させるだけです。逆にいうと、自分の考えの幹さえあれば、たとえ抽象論であっても訴求力のある文章を書くことは可能なはずです。


文章が抽象的だという指摘を受けると、とにかく具体的な事実をたくさん並べればいいと考える人が多いようです。ただ、個別案件についてのビジネス文書でも、ある種の普遍性や汎用性が盛り込まれていないと、広がりがなく読み手にも届かない文章になります。では、なぜ抽象的だと言われてしまうのでしょう。それは、文章に主張がなく、相手に何を言いたいのかが伝わっていないからです。


長い文章になると構成が混乱するという人は、材料が何もないところから始めている可能性があります。これではまるで、どのようなピースがあるかわからないまま、ジグソーパズルを組み立てるようなものです。まずは材料を揃えてから構成に入るべきです。


人間の思考は無秩序で、文章を書く順序と必ずしも一致しているわけではありません。ものごとを考えるとき、たとえば起承転結の「起」がないのに「結」が思い浮かんだり、なぜか「転」だけがぼんやりと見えたりすることがあります。その混沌とした状態は、文章という形でアウトプットしてはじめて整理されます。つまり文章とは、完成された思考を表現するために書くのではなく、思考を完成させるために書くのです。


最初の一文で躓くのは、文章を出だしから考えようとするからです。文章は一行目から書くべきだと思い込んでいる人が多いのですが、そのような決まりはありません。本当は書きやすいところから手を付ければいいのです。


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