茂木友三郎の名言 一覧

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茂木友三郎のプロフィール

茂木友三郎、もぎ・ゆうざぶろう。日本の経営者。調味料メーカー大手のキッコーマンの社長。千葉県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、一族が経営していた野田醤油(現:キッコーマン)に入社。その後、コロンビア大学ビジネススクールへ留学しMBA取得。米国での醤油の製造販売に尽力した。同社の海外事業部長を経て社長・会長。

若い頃に厳しく苦しい経験をしたからこそ今がある。


ひとつのことに対して、信念を持って努力することで道が開ける。


外からスカウトに来るぐらいに、自分の市場価値を高めろ。


需要があるから、それに対してモノを供給するのではなく、需要がなくても需要を創り出す。


経営者にとって大切なことは、受動的ではなく、能動的な行動をすること。要するに、自ら需要を創り出すこと。


四半期ごとの短期で上がった下がったと一喜一憂するより、長期的なトレンドが大事。


市場調査をして「これはいくら売れそうだから、これだけ作る」というのではなく、需要のシーズを生み出さなくては停滞から脱出できない。


努力をしたら報われる社会でなくては新しいビジネスも出てこない。


一番大事なのはトップのリーダーシップです。いまはしっかりと進むべき方向を示す時。


政府は口を出し過ぎず、民間も政府に頼り過ぎない。業界にもよりますが、企業は自己責任で生きていかなくてはいけない。


企業が需要を創り出す努力をすることが必要。


需要を創り出すことで、付加価値が生まれる。


挑戦的な体質が企業の発展に繋がる。


私たちがアメリカで醤油を広められたのはアメリカで醤油の需要を創造したから。国内外を問わず需要の創造力を強めていく必要がある。


なぜ海外進出が成功したかというと、挑戦的にやっているから。


一番売れ筋の商品を自分たちで作っていかなければいけない。そうしなければ下請け会社になってしまう。


企業経営者にとって大切なことは「戦う覚悟」を決め、グローバルな視点で考え、革新と差別化を念頭に置いて行動することである。


ただ売らんかなでは勝つことは難しい。全ての分野において優位に立っていなくてもいいのです。特定の分野でこれは絶対に負けないぞというものが必要です。


マーケティングのテクニックだけで技術のバックグラウンドがなければ、短期的にうまくいっても砂上の楼閣となるだけ。


顕在需要があればすぐにでも商売できますが付加価値は小さい。時間、手間とカネはかかりますが、潜在需要を掘り起こした方が大きく飛躍できます。


海外で仕事をするためには日本人としてのアイデンティティ、自国に対する知識も持たくてはなりません。知りません、わりませんでは自国のことを知らない根無し草とバカにされてしまいます。


郷に入っては郷に従え。海外では日本流にやることは考えません。その上で、日本の経営の良さは取り入れます。


「体力」と「気力」。この2つは経営者にとって必要な要素。


広報の良し悪しで企業の明暗が決まってくることもある。


戦略のフレームを崩さないでやっている。崩しはじめたらガタガタになる。


常に技術的な優位性を保つこと。特定の分野でいいので、ここは絶対に負けないという強さを持つことが大切です。


実際に商売をしながら、潜在需要を発掘・開拓していくことが大切です。顕在需要がなくても潜在需要があれば、諦める必要はありません。


海外進出の際は現地の弁護士や公認会計士、コンサルタントを見つけることが大切です。現地に適したビジネスの仕方をしなければいけません。


いつでもキッコーマンを辞められる人間になりなさい。いつでも辞められると思うからこそ、思い切ったことが言えるし、大胆なことができるのです。


打つべき手を打てば、夜の後に必ず朝が来るもんなんです。夏は夜が遅くて朝が早い、冬は夜が早くて朝が遅いという違いはあるから、なかには長引く不況もあるでしょう。いずれにせよ、開けない夜はないのです。


人間は深刻なことを言っている方がインテリに見えるんですね。あまり能天気だと、お前は脇が甘い奴だ、なんて言われてしまう。だからマスコミにせよ、経済評論家にせよ、暗いことばかり書きたがるわけです。


自由主義経済の下では好況と不況があるのは当然のことです。好況だからといって浮かれていれば、必ず不況がやってくる。ですから、不況がやってきても、周囲の空気に振り回されてあまりビックリしすぎないこと。こういう心構えが肝心だと思います。


不況だから、消費者はどうしても価格志向になってしまう。これは仕方のないことですが、それに応じようとすると、企業は価格競争に巻き込まれてしまいます。これはよくない。不況だからこそ付加価値の高いものを売る努力をすべきです。


リーダーシップを鍛えるには、小さい会社を経営してみるのが一番です。小規模な会社でいいから、企業の責任者というポジションを一度経験してみる。そうすると、人と組織はいかにすれば動くかということがよく見えてきます。我が社の幹部にも、関連会社の経営者をやった連中が大勢います。


経営者というのはスペシャリストの中のスペシャリストでなければいけません。経営のプロでなくちゃいけません。昔のエリートはゼネラリストで、いろいろな仕事を少しずつ経験して上にあがっていった。そして、下があげてきた案件に対して、「よきに計らえ」といっていればよかった。おおざっぱな調整能力さえ持っていればよかったのです。しかし、現代の経営者はそうはいかない。そんなに甘くはないんです。


新しい部署に配属されたら、最初の半年間は自分の時間を相当犠牲にする覚悟を持つことが必要です。スタートの半年間で、その仕事に関する勉強を一気にやり込んでしまうのです。そうやって、その仕事のスキルを相当程度身につけてしまう。ある程度のレベルまで半年で駆け上がるのです。すると、仕事に追いかけられなくなります。これができないと永久に仕事に追われる状態が続きます。


スペシャリストになると仕事のコツや勘所が見えてきます。これは、どんな仕事にも応用が利くのです。40歳以降は、それまでに培ってきた自分なりの仕事の仕方を、全部の仕事に応用していけばいい。そうすれば、結果としてどんなジャンルの仕事もこなせる人間になれます。


最低でもひとつの仕事を10年やる。そういう経験がとても大切です。30歳までにひとつの仕事。40歳までにもうひとつの仕事。40歳までにふたつの仕事でスペシャルになれば、どこへ行っても通用する人間になれます。


私の理想としては、少なくとも10年間は同じ仕事をやるべき、やらせるべきだと思っています。3年ぐらいでは、とてもスペシャリティなんて身につきません。その世界では、まだまだ下っ端ですよ。最低でもひとつの仕事を10年やる。そういう経験がとても大切です。


ひとつの仕事を3年しかやらないなんてナンセンス極まりない。そもそも3年サイクルのローテーション(部署異動)は、エリート官僚のためにできた制度なのです。いまや多くの人が大学に進学する時代でしょう?大卒なんて、エリートでも何でもないのです。そんな人材が3年サイクルでグルグル仕事を変わるなんてことは、まったく意味のないことです。


優れた人材がどんどん辞められるのはもちろん困りますが、いつでも辞められる、どこへいっても働けるぐらいの人材じゃないと、社内で思い切ったことができないのです。自分の意見だっておっかなびっくりでしか言えない。上からにらまれて、クビになったら困ると思いますから。そんな人材に長くいてもらっても、会社にとってもいいことはないのです。


付加価値の高いものを売るというのは、どんな時代でも難しいものです。まして不況の時代はなおさら難しい。しかし、付加価値の高いものをまず手に取っていただくという発想は、どんな時代でも大切にしなければと思っています。


不況だから、消費者はどうしても価格志向になってしまう。これは仕方のないことですが、それに応じようとすると、企業は価格競争に巻き込まれてしまいます。これはよくない。不況だからこそ付加価値の高いものを売る努力をすべきです。


石油危機では相当なショックを受けました。しかし、アメリカでの事業は経済状況が正常に戻れば必ず軌道に乗るという確信があったので、それほど落ち込むことはありませんでした。確信がなければ工場建設なんてしませんから。事実、比較的早期に赤字を脱出することができました。
【覚書き|キッコーマン初の海外工場を稼働させた3か月後に石油危機が発生した当時を振り返っての発言】


重要なのは、顧客との間に「あの人が断るのなら仕方ない」と思われるような信頼関係を普段から構築しておくこと。お調子者では駄目だし、安請け合いも禁物だ。


あの動作(お客様がスーパーでキッコーマン商品をカゴに入れる動作)は見ていて一番楽しいですな。ありがとうございますとは言えないから黙っていますけど。


ピーター・ドラッカーの『現代の経営』の中で一番大切な部分は、企業が社会に存在する価値とは、顧客を創造する、需要を創造するということです。これに尽きると思います。利益を出し、株式配当を可能とする。それができて初めて、企業が経済・社会に貢献したといえます。


KII(キッコーマン・インターナショナル、海外での醤油販売会社)設立を担ったのは英語は駄目でしたが営業センス抜群の駐在員です。英語が堪能な人を駐在員にするのが当然の時代でしたが、経営陣はいい判断をしたと思います。


海外進出では経営の現地化が必要です。そのためには、「よき企業市民」であり続けることが重要です。現地の人を多く採用し、現地の活動に参加する。それから条件が同じなら現地企業と取引をする。これがグローバル展開で欠かせない点なのです。


潜在的ニーズを見誤ると、たいへんなことになります。20年ほど前でしょうか、ある日本企業から南米につくったしょうゆ工場を買ってくれないかと頼まれました。アメリカのスーパーにキッコーマンのしょうゆが並んでいるのを見て、しょうゆは海外でも売れるんだと思い、南米に進出したと言うんです。しかし、潜在ニーズを掘り起こさなければ売ることはできません。


しょうゆは国際的なビジネスです。ただし、絶対に安売りをしないという我慢強さがないと成功しません。


アジアはしょうゆ文化圏ですから、その国の経済力が十分でないうちに、他社の安いしょうゆが市場にあふれるかもしれません。安売り競争をするつもりはまったくありませんから、そのときはアジアと同時に南米に入っていくことも考えています。南米の所得はまだ高くありませんが、肉が主食の地域です。肉としょうゆは相性が良く、期待できます。


「食と健康をグローバルに」。これがキッコーマンの事業のコアであり、求心力となる理念です。しかし、これだけでは定義が広すぎますから、M&A(企業の買収・合併)の際には、メインのビジネスとのシナジーがあるかどうかを判断する必要があります。それは私の重要な仕事です。


セールスは現地の事情を一番よく知っている部門に任せるのが原則です。アメリカはアメリカ、ヨーロッパはヨーロッパ、アジアはアジアの現地法人に任せています。ただし、売上目標は管理しています。


以前、ワシントンポストの編集長がインタビューに来たとき、キッコーマンはアメリカ企業だと信じていたというんです。アメリカで勝負するには、アメリカの商品として定着する必要があります。だから最初から日本のブランドを強調しなかったのです。
【覚書き|海外進出は現地工場建設を含めた現地化から始めていることについて語った言葉】


農地を残したいと願う地主や、環境破壊になるのではないかと心配する地元住民を説得し、地域と協力していかないと事業は上手くいかないと気づかされました。同条件なら地元企業と取引し、労働力も現地の人を使う。日本人だけで固まらないように、駐在員は分散して住まわせ、お祭りなどにも積極的に参加させるなど、できる限りの現地化を進めました。
【覚書き|初めて海外に醤油工場を建設したときを振り返っての発言】


1973年にアメリカに初めて建てた工場が出荷開始した直後にオイルショックが到来しました。赤字を出して苦労した時期もありましたが、心の底に「醤油は売れる」という確信があったから、割合楽観的に対処できました。


過去に誰かほかの人が創造した顧客に便乗し、単に需要があるから対応するというだけの企業活動に終始していてはダメです。便乗商品には付加価値が少ないので多くの利益を上げられません。給料も余計に払えず、人も多くは雇えません。顧客満足も低く、GDPにもさして貢献できないでしょう。


個々の企業の付加価値が積もり積もると、経済成長につながります。GDP(国内総生産)のかなりの部分は、企業の付加価値の総和です。顧客の創造はすべての原点になるといっていいでしょう。


顧客創造が企業活動の核であり、それが試行錯誤の連続だということは、我々がビジネスの実践を通して強く感じたことです。我々の海外でのマーケティング活動が本格的に始まったのは1957年、アメリカのサンフランシスコに販売会社を設立してからです。いまでこそ、営業利益の6割を海外市場であげていますが、当初は醤油とはほとんど無縁の土地での新規開拓です。まさに自ら顧客をつくり出す必要がありました。


もともと読書は好きで、昔はいろいろな本を読みましたが、近年は時間がとれず、じっくり読めるのは海外出張の飛行機の中くらいでした。そこで10年ほど前から、20代後半から30代の優秀な若手社員を年に8人選び、定期的に読書会を開いています。8人にベストセラーを含め、毎月4冊ずつ本を読ませ、読書会でそのうちの4人が1冊ずつ内容を発表し、皆で議論するのです。僕はこれで月4冊、本を読んだことになり、いま何が話題になっているのかもわかります。若手社員にとっても勉強になるし、経営者である僕と直接対話することもできるので一挙両得です。


初めて国際化と醤油という二つのキーワードが、頭の中で結びついたんです。そんなことに気が付かなかったのかと反省したものです。
【覚書き|米国留学中、現地のスーパーマーケットでキッコーマンの濃口醤油が売れているのを見たときを振り返っての発言。当時、醤油は日本人、もしくは日本国内でしか売れない商品という先入観を持たれていた】


私は繰り返し言っているんです。アメリカでつくったビジネスモデルを世界中で展開していかなきゃいけないよ、と。アジアの次にはほとんど手付かずの南米があります。さらにはアフリカもある。


10年前、複数の国からお誘いのあった工場をオランダに建てた。数年後、有力な候補地のひとつだったデンマークの工業相が来日した際、私はなぜオランダを選んだのかを率直に説明した。こういう場面では、選ばれなかった者の欠点ではなく、選ばれた者の利点を述べることだ。


顧客からの頼みごとを断る際、手紙を出すことで済まそうとするのは失礼だ。直接断りに行かなければならない。テクニックの問題ではない。誠実さが大切であることは、洋の東西を問わない。


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