若生正廣の名言 一覧

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若生正廣のプロフィール

若生正廣、わこう・まさひろ。日本の高校野球指導者。九州国際大学附属高校野球部監督。宮城県出身。東北高等学校野球部で主将を務め投手として甲子園に出場。法政大学野球部、社会人野球を経て高校野球の指導者に就任。埼玉栄高校、東北高校、九州国際大学付属高校などで監督を務めた。何人もの教え子がプロ野球選手になった。

野球で実際にプレーするのは選手たちです。彼らが自ら動かなければ、いいプレーはできません。もっと選手たちの自主性を引き出さなければならない。


選手たちの自主性を引き出すために逐一指示を出すのをやめ、代わりに選手と対話を重ね、どういうことを考えているのかを聞くようにしました。そうすることで、選手たちも自分でいろいろ考える習慣がついていきます。このように接し方を変えてからですね、甲子園でも勝ち進めるようになったのは。


最初の10年くらいは思うようにいかなかったですね。春の甲子園に3回出場しましたが、いずれも初戦で敗退。夏は県予選を突破できず、どうしたらもっと強いチームを作れるのかと悩みました。その末に考えたのは、監督である自分が先頭に立って指導するそれまでのやり方ではダメだということでした。


私は小さい頃から野球ばかりしてきました。高校は地元、宮城県の東北高校に進み、夏の甲子園にも出場。法政大学、社会人でも選手を続け、引退後はスポーツ用品の営業をしていました。その時、たまたまつけたラジオの番組で、「人間はなぜ生まれてきたのか」といったことを論じていたのを耳にしたのです。その中で「人生で一番大事なのは、いかに人のために貢献したかだ」という意見がありました。これを聞いて強く思いました。「自分は今まで他人に貢献したことはないな。これからは人の役に立ちたい」と。そして野球ばかりしてきた自分でも、野球の指導者になり、野球好きの子供たちを教えれば、人の役に立つことになるのではないかと思い立ちました。これが高校野球の監督になったきっかけです。


手術が成功しましたが杖をついて歩く姿を人に見られるのは最初、あまり良い気分ではありませんでした。しかし、そうした考えはすぐに変わりました。「球場やテレビで見た私の姿に励まされている」などと、同じような不自由を抱える同世代の方から声をかけられるようになったからです。思いもよらず、私の姿が他人を勇気づけている。人の役に少しでも立っているのなら、もっと頑張らないといけないと思ったのです。


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