能村龍太郎の名言 一覧

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能村龍太郎のプロフィール

能村龍太郎。太陽工業株式会社会長。科学技術長官賞受賞。関西経済同友会、関経連の要職を務めた

我四十にして初めて惑い、五十にしてますます惑い、六十にして惑いを極め、七十にして惑いを楽しみ、八十にして惑いを悟り、九十にして惑いを終わり、百にして惑わず。


私は現在200ほどの特許を持っています。もちろん私は企業家ですから、これらのアイデアを商業ベースに乗せようと考えて商品化しようとしてみます。ところが、実際に売ってみるとうまくいかないことが多い。正直言って儲からないのです。アイデアを商業ベースに乗せるには、いくつかの関門を通らなければなりません。(1)アイデアが画期的なものであるか、現段階のものより優れているかどうか。(2)実際にうまく作れるか。(3)はたして世の中のニーズに合っているか。


経営にとって一つの仕事に依存しすぎるのは危険なことです。当社は当時売れていたダイハツ工業の小型三輪トラック、ミゼットの幌を作る仕事を一手に引き受けていたのです。ダイハツの仕事は当社全売り上げの七割近くを占め、社業は順調でしたが、反対に私の胸の中には不安が芽生えていました。


人間は、とくに企業を動かす者は、考えるだけではだめです。どんなに良いアイデアを思い付いただけでは一文の値打もありません。また、思い付きをああだこうだと公言しているだけの人間は、単なる大ぼら吹きです。アイデアを実行に移し、それが世のため人のための役に立って、はじめて価値が生まれるのです。その価値が利を生み、商売が成り立つのです。


本当の安定というものは成長率がむしろ不安定であるほうがいつも緊張してよいのではないかと私は思います。ニーズは待っているのではなく、こちらから見つけ創り出すものです。これが経営の要諦であり、企業も人間も一つの安定の上に座していては成長はないのだと気付きました。エビは脱皮するから大きくなるのです。


第二次大戦直後の物さえあれば売れるという滅茶苦茶な商売の時代で、巷には闇成金と呼ばれる人たちが大勢いた。彼らは儲けた金を湯水のように使っていたが、私は利益を資金としてせっせとプールしておきました。商売をはじめたとき、資金も設備も持たない私が、日本一になるためには自分の努力と運と才覚に頼るしかありませんでした。


発明家の多くが貧乏なのは、世の中のニーズというものを考えてないからです。どんなに画期的な良いものでも、人が求めていないものは商品としての価値がないのです。会社の経営も発明も、その点では全く同じで、ニーズに敏感でないとやってはいけない。


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