美輪明宏の名言 一覧

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美輪明宏のプロフィール

美輪明宏、みわ・あきひろ。日本のシンガーソングライター、俳優、演出家、タレント。長崎県出身。戦争によって父の会社が倒産し、国立音大付属高校を中退。17歳でシャンソン歌手としてプロデビュー。「ヨイトマケの唄」をはじめ多くの曲をヒットさせた。また、劇団「天井桟敷」の旗揚げ公演に参加するなど役者としても活躍。読売演劇大賞優秀賞を受賞。

火の粉はふり払わなければ、火傷します。だから必死にふり払う。自分が置かれた立場を悲観している暇はない。


個人の考えはたかがしれている。いろんな人たちが残した事物事象を参考にすればいい。ネタがないとガソリン切れになりますよ。


微笑みは幸運を開く鍵。私はそう信じています。微笑んでいる人を嫌う人はいません。大げさではなく、微笑みは一生を変えてくれる。


人生78年の私の経験から言えるのは、人生には、いいことも悪いことも起こるのだということ。苦があれば、楽もあります。つまり、すべてうまくいかない人生はありませんし、逆に常に順風満帆の人生もありません。


人生は常に二番手、三番手で走っている方が得策で、平穏無事でいられるのです。結局は腹六分の人生が一番幸せということなのです。


信用したり期待しなければ裏切られることもないのです。それを頭に入れておくと、意外と対人関係は楽になります。


人並みに働いている人というのは、やはり人並みの生活なのです。そして、人並み以上、頭ひとつ出している人は、ほかの人たちの2倍3倍も働いているのです。頭脳労働も肉体労働も両方。つまり、出し惜しみをしないのです。苦労の出し惜しみをしない人は、それだけで恵まれています。


世の中にはよく、「あのヤロー、いい暮らしをしやがって」とか、「なんだ、贅沢な暮らしをしやがって」と言う人たちがいます。ただむやみにうらやましがって、結果だけを見てブーブー言って妬んでいる人が多すぎます。その結果を見て妬む前に、その結果に至るまでの過程、プロセスを見なければなりません。そうすれば、その努力を見て、「なるほどなあ」と納得して妬まなくてすみます。


幸福とは何でしょうか。それは充足感です。何もかも満ち足りた気分になったとき、それが幸福なのです。しかしその成分は泡でできています。ほんの短い時間、一瞬で消えてゆくものです。でもそれだからこそありがたみがあり、貴重なんのとしての値打ちがあるのです。もし幸福感が絶え間なくずっと持続したとしたら、人間はしまりのないボケーッとした薄らバカになってしまうでしょう。


一番肝心なことは、悪いことが起きたからといって、嘆き悲しむことはないということです。悪いことは長く続きませんから。そのかわり、良いこともまた長くは続かない。だから、良いことがあったときには、施しをするなどして、そこそこの負を先回りして自分で意識してつくるとよいでしょう。そうすれば予期しない、ものすごい負に襲われなくてすむようになります。


孤独には孤高の人という言葉もあるのです。孤独だからといって卑屈になったり、みじめに思い込む必要などさらさらありません。背後に何本もの「つっかえ棒」などなくても、自分一人の足だけで充分大地を踏みしめて、立っているという証拠なのですから。充実している証なのですから。


自分と同じ種族の人間だと思うから腹が立つのです。人を見たときに、魔界族と天界族だと瞬時に見分けるようにするといいでしょう。そうすると魔界族に対して嘆いたり腹を立てずにすみます。「これは魔界から来ているんだ。だから、こういう人なんだ」と思えますから。


どんな人でも、完全な人格者はこの世にはおりません。お互いの長所もあれば短所もあります。浅くさえ付きあっていれば長所の部分だけで付き合っていられるのです。嫌な部分はお互い見ない、見せないで平和に過ごせるのです。


人間関係で一番大事なのは、腹八分ではなくて腹六分。腹八分だと多すぎるのです。夫婦、恋人、親子、兄弟、友達、仕事関係、すべて腹六分でお付き合いしなさい。「親しき中にも礼儀あり」これが鉄則です。


苦しめば、苦しんだ人ほど、それがたとえささやかでも幸せが訪れたときに、苦しまなかった人の何倍もの幸せ、充実感を大いなる幸福として感じることができます。


一升瓶には一升しか入らない。一升瓶に一生のお酒を入れてしまうと、ちょっと動くだけでこぼれてしまう。初めから八分目から九分目に入れておけばこぼれずにすむ、無駄にならないのです。残りの二分は人に初めからあげておけばいい。人も喜ぶし、お酒も無駄になりません。


高いところへ登った人ほど、落ちたときには大怪我か即死です。低いところにしか登れなかった人は落ちてもせいぜい軽いかすり傷か怪我くらいですむのです。


好きなことをしてお金をもらえるのは、よほど稀な人だけです。その人でさえ、陰ではものすごい努力と血の涙と汗を流しているのです。世に名を残す人は皆例外ではありません。楽をしながら好きなことをしてお金を得ようと思っていることは図々しいのです。そんなことはこの世では許されません。


自分一人が暮らすのなら、そこそこあればいいではないですか。それを、もっと増やそう、もっと増やそうと利益を増やして、死んでしまったらあの世にどうやって持っていくのでしょうか。


ちゃんとした食事のかわりに、お菓子やジャンクフードや飲料類ばかりを飲食している子供や大人は、栄養失調で肉体だけでなく精神状態もおかしくなります。栄養のバランスはよほど注意しなければ肉体ばかりか精神までも病気になってしまうのです。


芸あれば楽あり。世の中の様々な学問、知識、教養、技術を身につけるのは辛抱強さと努力で苦しいものです。でもその代わりに、世の中の何を観ても、どこへ行っても、知識と技術があれば退屈しませんし、そのうちどれかで食べていくことができますし、忙しく、生きがいと自分に対する信頼感と自信に満ち、活き活きと充実します。そして同じレベルの人たちとの交際の輪も広がります。


楽あれば苦あり。怠けていれば何事も楽です。しかしそのかわりに、無知無教養で何の技術も取り柄もなく、ロクな仕事にもありつけず、お金は入ってきませんから、懐はいつも苦しくて、何事にも自信がなく、劣等感と不安感と焦燥感に付きまとわれ困ります。体を動かすのは面倒です。だからといって動かさなければ機能は退化します。運動不足で病気になります。醜くたるみます。太ります。


生きている間に、他人を苦しめ泣かせた人は、死んだときには喜ばれ笑われます。
生きているときに人を喜ばせ、笑わせた人は、死んだときに惜しまれ、泣いてもらえます。いつまでも惜しまれつづけます。


溺愛という言葉通り、お父さんもお母さんも「お前のために」とベタベタ愛情を注いでいたら、ロクな子はできません。腐ってしまいます。水をあげたいと思っても、あげないというのは植木を腐らせないためのひとつの技術なのです。べったりしたいところを、グッと飲み込んで我慢をして、放っておいて突き放すのも、その子を成長させるためのひとつの技術です。愛情のあり方なのです。


孤独には孤独の素晴らしい良さもあります。孤独とはみじめでも哀れでもなく、「自分一人だけで充分満ち足りている、充足しているんです。ほかの人のお助けには及びません」という、毅然とした、誇り高い姿なのです。堂々としていればよろしいのです。


友達がいない、できないと嘆く人がいますが、本当の友人というものは、一生のうちに一人か二人できるかできないかのものなのです。厳密に言えば一生涯出会わない人の方がほとんどです。


私は昔から「給料だと思うな、我慢料ですよ」と言っています。嫌なことを我慢するからそれだけのものをいただけるわけです。たとえば歌い手やタレントであっても、鼻歌だけ歌って、カッコばかりつけて、好きなことばかりやって、それで長く人気を保ちたいなどというのは図々しいのです。


勤め先でほかの社員より有能な人材として見られたければ、いろんなことで努力してごらんなさい、それは報われます。


人並みに働いていたのでは、人並みか人並み以下ぐらいしかならない。人並み以上になりたければ、人の3倍ぐらいは働かなければならない。それが鉄則です。


努力しない人も平等になどと、そんなバカなことはありません。それこそ不平等です。努力した人もしない人も同じ収入で、同じ家に住んで、同じ洋服を着て、同じ食べ物を食べる。それでは正直者がバカを見ます。うらやましいのだったら、妬ましいのだったら、自分もそれ以上に努力すれば報われるのです。


教養がなくても、器量が悪くても、一生懸命働いて正直な人は信用があるから、誰かが助けてくれるのです。だからどん底まで落ちることがない。


白の白さを際立たせるには、その白のかたわらに黒い色のものを置けばよいのです。黒の黒さが深く、濃ければ濃いほど、黄なりの白さのものでも真っ白に見えるものなのです。黒は苦労です。苦労したことが多く、苦しみの深さが深ければ深いほど幸せが訪れたとき、それがどんなにささやかな幸せでも、大きな幸福感として満喫できるものなのです。


いつでもどこでも、いますぐ幸福になる方法、常に幸福感を味わえる方法はあります。それは簡単なことです。つまり、どんなことでも感謝することを自分の中に、まわりに探して見つけることです。「見える、ああありがたい」、「聞こえる、ああありがたい」、「手足が動く、雨露がしのげる天井や壁のあるところで寝起きができる、ああありがたい」、「着るものがある、食べ物がある、ああありがたい、幸福だなあ」と。


尊敬される人とは、感情を理性でコントロールできる人。知識や教養のない人は、感情的になって、何の手立てもできない。


結局のところ、人生は経験や慣れがモノを言うところがあります。船が沈まないよう、その都度何かを打ち付けて補強する。そうやって経験値が高くなるごとに自分の中に手札も増える。それこそが自信となるのです。


私が自信を喪失した人によくお伝えするのは、「自分の手や足を鏡に映して、よく見てみなさい」ということ。ずうずうしく、でんっと生き続けてきた自分の姿かそこにはある。ものはついでです。今まで生きてこられたのだから、この先もきっとやっていけるはずです。


生きるか死ぬかという段階になれば、例えばかつてはプライドが許さなかった「人に頭を下げる」ことさえ、簡単にできるようになるものです。


ああだこうだと、弱音を吐いている人は、一度すべてを放り出せばいいんです。禅の修行で、絶食したり水断ちしたりして極限まで追い込まれると、おしんこ一枚、水一滴がありがたいと思えるように、試しに、落ちるところまで落ちればいい。ある種のリセットをすることで、風景もまったく異なって見えるはずです。


時間の使い方で、最近、私がとりわけ浪費だと感じているのはデジタル・ツールです。私自身はインターネットもスマートフォンも一切使いません。確かに、検索やメールは便利な機能ですが、それは思索の時間を奪うことでもあります。自分の頭で考えたり感じたりするのをサボれば、当然、脳が退化してしまう。仕事中の空き時間や通勤時間など、みな一様にデジタル・ツールを手にしますが、もう少し自分自身と向き合う時間にしてはいかがでしょうか。


ニコニコすることは、いわば運を引き寄せる行為。自分をパワースポット化する行為といってもいいです。


どの世界にも交渉事や権力争いといったシビアな駆け引きをしなければならない瞬間があります。その際、どっしり構え微笑みを浮かべた人は優れた人物に見えます。不思議と相手はその微笑みによって、威圧感のようなものを感じる。独特のオーラをまとっているので、たいそう手強い存在として映ることがしばしば起こるのです。


チャップリンの映画「モダン・タイムス」の主人公は、資本主義社会のなか、工場で機械の一部分のようにひたすらねじ回しを続ける単純作業の繰り返しの末、発狂し破滅していきます。現代のビジネスパーソンもただ仕事に忙殺され、微笑みを忘れ、思索のない時間を過ごしていては、いずれ破滅します。それは人間の形をした人糞製造機も同然だと思うのです。


日本の大人の男性は「文化」に触れる時間がいささか少なすぎると私は感じています。仕事の忙しさにかまけて、心の栄養を補充し、想念を清く美しくする時間をつくらないから、年を取れば取るほど、心の潤いがなくなり、微笑みも減少するのです。優れた作品など文化に触れることは、登場人物やストーリーに自分の人生を重ね合わせ、疑似体験をすること。それによって幸福の感度も増していくのです。


世の中の人は願い事が叶うように何かとご先祖さまや神さまを拝んだり、占い師に頼ったりします。わざわざ遠くのパワースポットを訪れることもあるようです。まあ、それも悪くないかもしれませんが、もっと確実で身近なパワースポットに気付くべきです。自分自身の微笑みが、それです。


誰かが今、悪い時のまっただ中にいるというのなら、私はこうお伝えしたい。「頭を低くして嵐が通りすぎるのをお待ちなさい」。そうすれば、いたずらに感情的になったり、悩んだり苦しんだり、酒を飲んだりする必要はありません。冷静でいられるはずです。


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